https://tabiken.net/eizanhotel-haikyo/
比叡山の訪問目的はまず横川定光院(設計:増田友也)であって、叡山ホテル(設計:村野藤吾)跡地は“眺望が良ければいいなー”くらいの期待度。滞在時間は15分ほどと見込んでいました。そんなピクニック気分は、巨大構造物が見えた瞬間にぶっとびます。叡山ホテルに少し詳しくなった今でこそ、これが地下階を兼ねた人工地盤であったとわかるのですが、訪問時の知識はレベル1。道なき道の先、戦時中に廃業したホテルの痕跡がこれほど色濃く残っているとは思いもしませんでした。
https://tabiken.net/eizanhotel-relocation/
弧を描く宿泊棟とそれに連なる本館棟。明らかに叡山ホテル(設計:村野藤吾)の配置ですが、この航空写真が写しているのは比叡山ではなく京都府城陽市寺田。撮影日時はホテル廃業5年後となる1948年。つまり、叡山ホテルの移築後の姿なのです。※航空写真は全て地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)より私が叡山ホテルの移築先を知ったのは長谷川堯先生の著書「村野藤吾の建築 昭和・戦前」においてです。移築先は別の場所と記憶していたので大変驚いたのですが、長谷川堯先生も興味深いエピソードとともに、それを知った経緯を書かれています。
https://ameblo.jp/aac-6028/entry-12801198196.html
昭和12年から昭和18年に営業した旧叡山ホテル跡地です。建築家の村野藤吾氏が設計した建物です。木造2階建てのホテルでした。戦時中に廃業しました。現在残っているのはエントランスに通じていた玄関とコンクリートの基礎のみです。上の部分は展望台でした。 当時は「景観日本一」というのが謳い文句だったようです。
http://nagareboshi.travel.coocan.jp/diary/pic/ki_hanto13/shima.htm
昭和12年(1937)に叡山ホテルとして村野藤吾設計で造られたものを一部、鈴鹿海軍将校集会所として移築、昭和26年(1951)に再移築されたもので、平成19年(2007)までホテルとして使われたそうです。 。現在はギャラリーとして見学に対応しています。 。上写真は庭園側からの外観。下左はバー、下右は食堂です。