比叡山空中ケーブル 関連ブログ・参考リンク
http://syowakara.com/03syowaA/03history/historyS03.htm
阪急電鉄)が開発した温泉地が急勾配の為、当時のバスでは登坂不能な事から登場しますが、営業不振の為4年で廃線となり 既に大正14年と昭和2年には、叡山ケーブルと坂本ケーブルの2本が出来ていますが、比叡山空中ケーブは山頂までの500mをツ黴
https://syasin.biz/urbex/hieizankuchucable/
比叡山にはロープウェイがありますが、過去に別の場所にあったという事はご存知でしょうか? 昭和3年に京都電燈が初めて比叡山にロープウェイを通したのですが、現在の位置とは少し違う場所に通っていました。 現在は深い森に覆われて、かつて賑わいを見せていた面影はありません。 延暦寺駅は横高山や水井山へ向かう縦走路の途中にあり簡単に見つける事が出来ますが、支柱は藪こぎで地図を頼りに森へ入り込んでいかなければならず、今回は高祖谷駅のみの散策記録となります。
https://www.kyotocity.net/diary/2013/1127-hieizan-koyo/
https://suwasinco.exblog.jp/22847734/
戦前は違うルート・高祖谷駅~延暦寺駅でした。その駅舎が山中に埋もれ残っています。今も残る高祖谷駅昭和の宝です
http://fukumotosyatyu.seesaa.net/article/400016122.html
今日は、比叡山人工スキー場跡のやや北側斜面にあると思われる高祖谷駅を目指すことにする。 山科までJRで出て、そこから地下鉄東西線に乗り換える。蹴上駅で、ちょっとした出来事があった。 ややブレーキがきつかったかな、と思っていたら、案の定、停車位置を修正する旨の放送があり、30cmほど前進して改めて停車、ドアが開いた。「あれ・・・・?」たしか東西線はATOでの列車制御の筈。発車時に、運転手が安全確認ボタンを押すだけで、加速、減速そして停車する自動運転システムなのに、停車位置を誤るとは・・・。まあ、この時期のこと、新人運転手の習熟のため、手動運転をしていたのかも知れないが、思わぬ体験だった。 京都市役所前からバスで出町柳に出て、叡電に乗り換え八瀬、ケーブルカーで一息に上までやってきた。 ケーブルカーを降りると、ロープウェイには乗らず、旧い搬器の保存車体横の道を進む。延暦寺方向に向かうトレイル道より左下手にある山道は、ロープウェイの下をくぐったところで草むらが行く手を阻む。
http://baishi4650rou.jugem.jp/?eid=7383
SIGMA dp0Quattrof:4 1/100 ISO400 -0.3EV14mmUltrawide(21mm/35mm換算)撮影地:京都府京都市左京区八瀬秋元町旧京都電燈比叡山空中ケーブル高祖谷駅跡 開業の昭和3年以来16年、延暦寺参詣の善男善女の歓声で満ち溢れていたであろう高祖谷駅の待合室も今は僅かに南壁を留めるのみ。そこには駅務室の出札窓口と伝わる穴がぽっかりと口を開けていた。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2449376.html
●比叡山空中ケーブル高祖谷駅周辺以外の所は、よく整備されています。案内表示もあり問題ありません。●比叡山空中ケーブル高祖谷駅へのルート比叡山ケーブル駅から、京都トレイル東山東部ルートの1番を右手に行かずに、左手に進みます。すぐに車止めのコーンがあります。これを超えると、左手にトラロープに誘導された下っていく道がありますが、これは発電施設らしきものに行くもので、行き止まりです。右手に、通行禁止とある細い踏み跡が今のロープウェイの下に続いています。この間の道を進みます。以前は、ケーブルの駅から空中ケーブルの駅を繋いでいたものですから、幅が2mぐらいあり、水平に移動していきます。何かの施設か店かの土台らしきものも残っています。途中に、一箇所だけ倒木で通行しにくい場所があります。雨上がりのためか、ヤマビルがいましたし、通行後に何かの虫に刺されたような痕がありました。虫除けをしておいた方が良いでしょう。
https://yamap.com/activities/109126
昭和3年に開通し、西塔の釈迦堂へのお参りが便利だったそうですが、戦時中に廃止された空中ケーブルの高祖谷駅跡を訪ねました。 赤山禅院~梅谷~トレイルNO70~ケーフ゛ル比叡~高祖谷駅跡~西山峠~松尾坂~ケーフ゛ル八瀬~赤山禅院 延暦寺駅跡は5月6日の活動日記をご覧下さい。