http://harubasha.blog.fc2.com/blog-entry-4.html
ここで、古地図に目を通すことにしよう。これは遊郭全盛期である昭和12年に発行された商工図である。画像のカーソルのちょっと下に「松月」の屋号が確認できる。であるならば、先ほど僕におたけびをあげさせた三層楼は、位置的に「福徳楼」という予想が立つ。さて、福徳楼をさらに北に進んで、遊郭のどんづまりに「みどり楼」と「時和楼」の屋号が見えるだろう。「時和楼」の位置には、一般的な民家が建っていただけだったが、「みどり楼」の位置には・・・
https://ameblo.jp/hai6no1/entry-12566656060.html
昨年の秋。青森県三戸の桐萩遊郭跡に行ってきました。 三戸役場近くのここから先が旧桐萩遊郭跡です。城山公園入口の看板とこの大きな建物が目印です。JR三戸駅からこちら方面へのバス便もあるようですが、町並みを見たくてブラブラ歩いて来ました。歩いて1時間くらいかかったでしょうか。 煙草屋のショーケースみたいな出っ張りの小窓が気になる。なんじゃろか? 一車線の狭い道を進みます。赤線時代の名残りが残る建物がチラホラ残っております。
https://yuki.liblo.jp/archives/18017895.html
紅灯の巷といわれた桐萩。公娼の街として開かれ、往時には十指に余る女郎屋があり、30名を超える娼婦がおりました。戦時中は統制のこともあり、賑わいはやや下火になるも、戦後の自由な空気の中で、公娼廃止の昭和33年までは城山側に女部屋、向側には飲食店が立ち並び、不夜城を思わせる雰囲気だったそうです。昭和33年から町並みは変化し、2度の大きな火災(昭和31年4月の三戸町役場留崎支所を火元とした火災で、旭樓からときわ樓まで類焼した所謂桐萩大火。その復興直後、昭和32年のよか樓を火元とする火災によりよか樓・松月が全焼。なお原因は女中のロウソクの消し忘れと推定。)もあって昔の面影はあまり残していません。