千畳敷砲台 関連ブログ・参考リンク
http://www009.upp.so-net.ne.jp/fortress/tsugaru/senjojiki1.htm
(上) 千畳敷砲台の平面図. 1948(昭和23)年頃撮影の空中写真より。正面(西側:函館湾 入口)防御の28cm榴弾砲6門と背面(北西側:函館市街地方面)防御の15cm臼砲4門 からなる南北に長い形状の堡塁砲台である。終戦時には、28cm榴弾砲が第三砲座に2 門
http://www009.upp.so-net.ne.jp/fortress/tsugaru/senjojiki2.htm
千畳敷砲台. (上) 地下砲側庫及び右観測所へ通じる階段. (上2点) 地下砲側庫の外観 及び内部. 半分以上の高さまで、残骸や土砂が埋まっている。心無い散策者による飲食 物のゴミが目立つ。 (右) 右観測所への階段. (上) 右観測所. (上) 〔28cm榴弾砲用〕第二
http://www009.upp.so-net.ne.jp/fortress/tsugaru/senjojiki3.htm
千畳敷砲台. (上) 28cm榴弾砲の3砲座(各2門ずつ据付)を過ぎて南へ向かう通路. 写真 は、やや左カーブ下り傾斜部分。進駐軍による破壊がひどく、藪に埋もれているため、 通行は困難。この先、右手に4連の棲息掩蔽部がある。 (左)(上) 4連の棲息掩蔽部中、
http://gggzzz.cool.ne.jp/ikou/main2/Komayama.html
千畳敷山(湘南平)防空砲台. ここは神奈川県中郡大磯町東小磯。現在は高麗山公園( 湘南平)となっています。1999年10月24日の遺構探訪「三浦半島遠征」に於いて関東 地区の砲台跡研究の第一人者であるネーモン氏に最初に案内をして頂いた場所です。
http://chisama.seesaa.net/article/223507992.html
【薬師山砲台跡】 細い道の行き止まりまで行くのは気味悪かった(ToT) 【千畳敷砲台跡】 明治34年(1901)施行。28センチの榴弾砲 、15センチの臼砲の砲座跡などが残っている。第1砲台・第2砲台と遺跡が長く続く。
http://leontopodium.blog51.fc2.com/blog-entry-526.html
取りあえず見なかったことにして、 千畳敷砲台1・2へ。 こちらは石積で、太古の巨石文明を想像させた。 全体の仕上げも「要塞」という名称に相応しいもので、 莫大な資金と、労力が使われたことは間違いない。
http://blogs.yahoo.co.jp/x103nanodayo/54152441.html
追記 ・銀ぎつね様と「要塞探訪」の管理人様より、千畳敷砲台の第3砲座であるとの確定情報を頂戴いたしました。情報提供、誠にありがとうございました。 ・なお、函館山への一般人の入山規制が解かれたのは1946年の5月ということです。
http://blogs.yahoo.co.jp/kazuki133/12590520.html
千畳敷砲台 戦闘司令所跡 5話あたりからちょくちょく出てきますが、主に15話の内田と郡山がカラスとトビに接触するシーンで出てきます。 実際の場所は函館山にあるんですが、地元でも訪れる人はほとんど居ない
http://blogs.yahoo.co.jp/mametomo_otti/37030086.html
写真は、千畳敷砲台跡。 コンクリートに固められた円形の砲台跡が、青空の下にぽっかり空いていました。 6月29日午後、函館港にて 撮影:Canon EOS-5D + 17-35mm f2,8-DiLD(IF) otti(筆まめユーザーズクラブ「まめとも」管理人) http://www.mametomo.com
http://blogs.yahoo.co.jp/tusk380/2033502.html
2007年12月16日 千畳敷砲台その1 千畳敷砲台は函館山に残る要塞跡でもっとも規模が大きな要塞跡で ある。 また、千畳敷砲台 画像は千畳敷砲台、北側にある掩蔽部と広場前ではあるが 、その画像は紛失しているので外壁部分の画像を載せます。右端に
http://blogs.yahoo.co.jp/tusk380/2128294.html
2007年12月16日 千畳敷砲台は戦斗司令所まで連なる大所帯であるからして飲料水の確保は当然である が、地形から鑑みると、他の貯水池より この千畳敷砲台の主砲は二十八cm榴弾砲 ではあるが、他に十五糎臼砲を四門備えていたために、千畳敷第一
http://www.netlaputa.ne.jp/~nemon/senzyouziki.html
神奈川県中郡大磯町と平塚市にまたがる尾根の高所に存在した千畳敷山(湘南平) 防空砲台は、横須賀海軍警備隊の手によって、1942年(昭和17年)に完備された。当初 8cm単装高角砲4門のみを装備していたが、1944年(昭和19年)12月1日に12.7cm2
http://jm-hokkaido.sakura.ne.jp/is-hakodateyosai09.html
千畳敷砲台, その3 砲台など. その2で紹介した場所から少しだけ北側へ歩くと、そこに も砲台の跡がある(1)。(1)写真左側が(2)、右側が(4)。 (2)の中央の階段の先にも 砲台があった模様だが、そこを地均しして海上保安庁?(失念)の建物が建てられている
http://www17.big.or.jp/~father/aab/yokosuka/senzyouziki/senzyouziki.html
千畳敷山 防空高角砲台. 米軍航空写真M201-2-98(国土地理院) 米軍航空写真R227 -A-3-126(国土地理院) 左:米軍航空写真M46-A-7-1-190(国土地理院)、右:同左( 国土地理院)、南東側 左:米軍航空写真M201-2-98(国土地理院)、南東側、ツ黴
http://tomozoaruku.blog89.fc2.com/blog-entry-812.html
御殿山や薬師山、千畳敷に砲台をはじめとする軍事施設を設け、函館山は要塞地帯となり、以来一般人の入山は禁しく制限された。昭和2年(1927年)津軽海峡を守備するため、新たに建設された汐首岬砲台と青森県側の竜飛崎砲台・大間崎
http://sprout34.blog16.fc2.com/blog-entry-324.html
函館要塞跡/3 入江山砲台跡 の続き 千畳敷という場所にも、砲台跡があります。 美しいカーブを描く擁壁の奥に、 ひっそりと掩蔽部の入口があります。 現在は立ち入り禁止になっており、 入口は閉塞されています。 2005年の時は、閉塞されていませんでした。
http://wocchan2.blogspot.com/2014/09/20140914.html
2014/09/14 函館山千畳敷砲台跡に住み着いている?猫. どう考えても、食糧が手に入るとは思えない場所なんだけど。 Posted by mark yagi at 12:48 PM · Email ThisBlogThis!Share to TwitterShare to FacebookShare to Pinterest
http://papusura.blog.fc2.com/blog-entry-113.html
函館山 汐見コース~旧道コース~千畳敷砲台跡~七曲りコース~ 宮ノ森コース 2012年4月29日 9:00函館山管理事務所駐車場発。付近にはカタクリ,エソ゛エンコ゛サクが咲いている。9:08舗装された観光道路に出る。左手に戻り汐見コースの尾根を登る。冬枯れも終わり新芽が出
http://wanderer2009.blog40.fc2.com/blog-entry-2817.html
つまり地下に第一砲台跡は残っているらしい コレはちょっとびっくり 地下にある砲台跡の上で みんな夜景を見ているんだね~ RIMG0545.jpg ココからも夜景は見れるぞ\(^o^)/ RIMG0550.jpg 千畳敷砲台跡いい感じです\(^o^)/
http://blog.livedoor.jp/asano_hisao/archives/51826338.html
元町の観光地に散策に向かった家族の皆さんと別れ、駐車場から登山道を撮影機材と三脚を背負って人気のない山道を、要塞の址を辿りながら歩いていきます。千畳敷砲台の址についた頃には浅野、「もうへとへとです(明らかに運動不足/