大楽毛住宅街のトーチカは北海道釧路市に残るトーチカ跡。 太平洋戦争末期に米軍の上陸を阻止するため....

大楽毛住宅街のトーチカ

大楽毛住宅街のトーチカ 概要・歴史

大楽毛住宅街のトーチカは北海道釧路市に残るトーチカ跡。 太平洋戦争末期に米軍の上陸を阻止するため....

大楽毛住宅街のトーチカ 画像

大楽毛トーチカ(2021年4月)
© 2021 廃墟検索地図 転載禁止
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重厚なコンクリートの塊で、上部に草が生えている
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近くのスポット

大楽毛住宅街のトーチカ ストリートビュー・空中写真

大楽毛住宅街のトーチカ 関連ブログ・参考リンク

http://www009.upp.so-net.ne.jp/fortress/abashiri/abashiri.htm
台町のしおさい公園の下敷きになっている地下掩蔽部は陣地の一部と考えられ、厳密に はトーチカではないため含まず) . 考えられる上陸正面は、(A)根室及び標津海岸、(B) 釧路及び大楽毛海岸、(C)十勝海岸、(D)網走海岸の四つがあり、第7師団は、(A)・(B)
http://blogs.yahoo.co.jp/bncfm880/21244759.html
2008年11月29日 今思い出しましたが大楽毛の村山にもう一個(たぶんトーチカ) 38号線から新道の下を くぐりすずらん団地(新野団地)方面に向かい、ちょうど団地の入り口当たりのカーブの ところですが、そこから右手の山のほうを見ると、コンクリートの塊が
http://ameblo.jp/henroisimanjyu/image-11263808498-12000027960.html
『桜花』 四国高知発 戦争遺跡調査・研究の「北海道戦争遺跡 10 『トーチカ』 大楽毛南 トーチカ」に投稿された画像です。
http://blogs.yahoo.co.jp/bncfm880/21225429.html
2009年9月10日 今、この手のトーチカは殆んど残ってません。30年くらい前は、新富士、大楽毛の 海岸線に、寂しくポツン、ポツンと草を被り建っておりました。現在の新富士、スバル 自動車前(現、西港)に5~600メートル間隔で残っておりました。戦争の残骸
https://ameblo.jp/kimamadoshujin/entry-11529626767.html
 釧路市の郊外散歩、今回はちょっと毛色の変わったところをご紹介します。 太平洋戦争末期、北海道では根室半島から苫小牧市にかけての海岸線にトーチカが作られました。そのいくつかは戦後68年を経ても現存しています。釧路市にも5ヶ所ほどあるようですが、そのうち桜ヶ岡のものは、つい最近その存在を知ったので詳しい位置は判りません。新富士のものは写真にも撮ってあります(但し、故障したHDDの中ですが)。これは、JR新富士駅のすぐ東側にあり、住宅にも囲まれていて一見してトーチカであるとは判別しがたかった印象があります。 これからご紹介する大楽毛の3ヶ所は容易に見つけることができます。
http://gootan001.blog.fc2.com/blog-entry-160.html
今回は、釧路市の新大楽毛駅南の住宅街のはずれに残っているトーチカについてご紹介致します。これらトーチカについては、「負の遺産」として残すべき、という意見がある一方、忘れ去りたいことを思い出させる過去の遺物と仰る方もいると聞いています。ここでは、残存すべきか否かの判断を避け、淡々と建物の概況を述べたいと思います。私が初めてトーチカを目にしたのは鎌倉の稲村ヶ崎にある素掘りのもので、以前、帯広に住んでいた頃、十勝の海岸にトーチカが沢山残っているのに驚きました。ホームページで調べると、釧路にも僅かながら残されているのが分かり、場所がハッキリと紹介されているこのトーチカをまず訪れました。形は異形の六角形。南側に2つ銃眼があります。南東側からの写真。
https://chaenomeles.net/page-21263/
JR新大楽毛駅から程近い住宅街に、トーチカが一基忽然と現れます。宅地の一区画に建っているので、不思議な印象を受けます。2011, 7, 1大楽毛のトーチカコンクリート製です。2011, 7, 1大楽毛のトーチカ別の角度から。夏草に埋もれています。この一画だけが戦時中のまま、時の流れが止まった感じです。
https://minkara.carview.co.jp/userid/177050/blog/37706784/
大楽毛のトーチカ  住宅地の近くにポツンとありました。