樫山集落 関連ブログ・参考リンク
http://heyaneko.web.fc2.com/dj23.html
有名な廃村というと,伝統的には京都府京北町の八丁,長野県飯田市の大平宿,栃木 県藤岡町の旧谷中村あたりでしょうか。廃墟フリーク的には, . つまり小学校跡を中心 として,畝畑の旧集落は往時のままに廃墟となっていたのです。 .. .. # 23-15: 「さらば
http://haiaikoujin.sakura.ne.jp/haison5.html
廃村 古座川町 樫山集落(管理されています) 5,6件の廃屋が残っていますが、写真の1枚目と2枚目そして川沿いの倒壊した家以外は管理されているようです 廃村 倉庫のようですが廃屋です 主にこの家を撮影しました 廃村 子供さんのおもちゃ 廃村ツ黴
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/30.Wakayama/Kozagawa_Kashiyama.html
◆樫山(かしやま)※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「那智」(昭和28.7)を使用したものである所在:古座川町樫山地形図:古座/那智勝浦形態:川沿いの斜面に家屋が集まる標高:約120m訪問:2011年5月 大字樫山の南部、小匠(こだくみ)川の支流沿いにある。古座川の水系ではないため、町内から車道で訪れる場合は池野山(いけのやま)―楠(くすのき)間・楠―樫山間の2つの山を越えることになる。 下流の小匠で伺った話では、5、6年前に最後の住民(前(まえ)氏)が亡くなり無住になったという。 集落は最近まで有人だったこともあり、明るく開けている。残っている家屋は7、8軒ほど。家屋もよく手入れされ、度々人の行き来があるよう。学校跡は位置を把握しておらず未確認だが、集落南部の川の蛇行部に囲まれた小山付近にあったよう。 HEYANEKO氏の調査によると、学校(高池小学校樫山分校)は昭和50年休校、同63年閉校。 資料より、児童の推移は以下のとおり。昭和32昭和33昭和34昭和35昭和36昭和37昭和38昭和39昭和40昭和41昭和42昭和43昭和44昭和45昭和46昭和47昭和48昭和49昭和50 10131191075422002233320 写真1 「樫山」の看板写真2 集落風景写真3 家屋写真4 家屋写真5 家屋写真6 平坦地写真7 屋敷跡写真8 地蔵権現写真9 剣神社
http://queenofthemoon.xxxxxxxx.jp/kashiyama.html
樫山集落は和歌山県東牟婁郡古座川町の廃集落。古座川町大字樫山として現在も地名が残るものの、既に人は住んでいない。非常に山深い地に位置しており、アクセスは古座川から尾根を越えるルートと、小匠ダム方面から川沿いを行くルートの2つしかない。このうち後者は廃道に近い道であり(「山いが」さんでも詳細に探索・説明されている)、到達には前者のルートが現実的である。小説「炭焼と魚」でも取り上げられており、(ただしフィクションではあるが)戦時中~戦後の頃の生活の一端を知ることが出来る。上記サイトで読むことが出来るので是非一読あれ。そういうわけで、数多の和歌山県の廃村中ではそれなりに知名度がある方ではないかと思われる。かつての集落1800年代前半に紀州藩によって編纂された「紀伊続風土記」に、この村についての記述がある。詳しくは当ページを閲覧してほしいのだが、「僻地であり○俗は太古のようである」などと評されている。それにしても「その他推して知るべし」って…古くより僻村として知られたことがわかる。
http://netishim.seesaa.net/article/449620392.html
樫山集落これは橋のつもりかね?という、かなり目を引く風貌の橋を横目に樫山へと向かいます。とは言いつつ、ちょっと渡ってみたりするのだけれど・・渡った先、ロープも張ってあって、この道が使われていることを示しています。この先はまたいつの日か。小匠ダムから樫山まで。雨の中の、この道中こそ今回のメイン、と言わんばかりの困難をもって、林道が迎えてくれます。それもまた別の機会に譲って、 とにかくこの小旅行の終盤、樫山に到着です。いまや、この道では歩きしか許容していない道程です。