http://www.biwako-visitors.jp/kokoku100/taga/02.html
芹川上流のこの辺りには、かつて製炭業を主とする集落がいくつもあったそうだが、荒れ た家屋をそのままにした廃村も増えている。わずかな民家がさびしく残る甲頭倉も、時代 の流れを象徴する風景。山里の四季のうつろいを見ていると、懐かしさとはかなさが
http://clavelito.blog105.fc2.com/blog-entry-804.html
先日、廃村巡りをしてきました。 興味のある方はこの方のページが分かりやすくて良いと思います。 行ったのは滋賀県多賀町桃原,杉,保月,五僧と霊仙入谷、霊仙落合、男鬼、武奈、 多賀町甲頭倉,向之倉エリア。 haison01 荒らされています。 この辺りには廃村と過疎集落?、冬季だけ無人になる集落があるようです。 haison04 ここのお宅には教科書やアルバムなんかも残っていました。 出て行かれたのは昭和30・40年代っぽいです。 しかし修学旅行のアルバムまで放置して出て行かないと
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/25.Shiga/Taga_Kozukura.html
◆甲頭倉(こうずくら)※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「彦根東部」(昭和26.9)を使用したものである所在:多賀町甲頭倉地形図:彦根東部・高宮/彦根東部 アクセント:コーズクラ形態:谷の上流・下流の2つの家屋群がある離村の背景:現住標高:奥・350~400m 手前・200m訪問:2008年7月 芹(せり)川右岸の斜面にある。 近世の犬上郡甲頭倉村。明治22年に芹谷(せりだに)村(のち多賀町)の大字となる。 県道沿いに2軒、谷の奥に数軒の家がある。奥は施錠されたゲートが設けられ通常は入れない(不審者の侵入防止)が、在住の方に許可をいただき集落を訪れることができた。以下は伺った話の概要。かつては50軒(他地域も含む?)くらいの家があったが、今は県道沿いの2軒のみ。昭和40~50年台から人が減り始め、奥でも平成10年くらいまで3、4人が暮らしていた。藤井姓など。生業は林業・炭焼き。田畑は自給や物々交換用。リヤカーで木炭や農作物を運んだ。リヤカーなどは芹川沿いの道に物置を構えそこに入れておいた。なお下手の2軒はかつての物置小屋のあった場所で、大正・昭和の間くらいに上流から降りてきた。奥・手前とも「甲頭倉」で、別々の名称はない。寺は西蓮寺(さいれんじ)、神社は八幡神社。 集落では、手入れされた家々が道の両側に残されていた。集落の道路の真ん中には蓋がされている。おそらく集落を流れる甲頭倉谷が、車道の開通に伴い暗渠になったのだろう。 写真1 神社(手前)と寺院(奥)写真2 道沿いの廃屋写真3 家並み
http://www.ken-tmr.com/hibanoyama2015/hibanoyama.html
今日はFB友達のトウドウシゲルさんに誘われて「比婆之山」に登る計画です。午前8時少し前に待ち合わせのJR河瀬駅に着きました。駅前でトウドウさん、TUTIKAWAさん、お二人に合流する。そこからトウドウさんの車で登山口のある甲頭倉へ向かいました。中央の崖が見えるイワス(原石山)から右の比婆之山(右)を歩く予定です。 多賀大社前を過ぎて、国道306号線の多賀北の交差点にあるセブンイレブンでお弁当を仕入れる。写真はこのコンビニ前から写しました。ここから登山口の甲頭倉へは、国道を走り芹川を渡って久徳という所から右へ、県道17号線に入って行き、甲頭倉にむかう。 8:45 芹川沿いに車を止めて、甲頭倉集落への林道へ入って行く。 甲頭倉集落跡へはこんな林道です。 かなり高度が上がってきた。山々の新緑がまぶしい。 9:15 今は廃村になっている甲頭倉集落跡の入り口に着きました。まずは、お地蔵さんに登山の無事を祈って集落に入って行く。