尾平鉱山 関連ブログ・参考リンク
http://www.geocities.jp/kashii_gannyuu/index.ohira-h.htm
2009年3月18日訪問。鉱山があればそこに街ができる。そして鉱山が閉山すればその街は廃墟になる。日本には閉山した鉱山・炭鉱が数多く存在するが、その近くには往々にして運命を共にした街が存在している。閉山が1954(昭和29)年と早いため現存する建物はさほど多く
https://forbiddenkyushu.wordpress.com/2010/06/04/大分:尾平鉱山選鉱所10-from-the-hillside-to-the-summit-頂上付近/
尾平鉱山の選鉱所、険しい斜面をようやく頂上までやってきました。本日で尾平鉱山も最終記事になります。赤茶色に染まるホッパーの脇を登るとそこはもう頂上。やっと着いたなーという気持ちです。残りの斜面を一気に登りきり、到着。辿ってきた軌跡を再び見下ろす。よく体力が続い
http://orange.zero.jp/zbc54213.wing/obirakoozan.html
大分と宮崎の県境、古祖母山の北側山麓に広がる尾平鉱山で最初に銀が発見されたのは16世紀中頃と言われている。16世紀中頃と言えばまさに日本列島ど真ん中で信玄、家康、信長と言った戦国武将達が戦に明け暮れていたいわゆる戦国時代である。その後江戸時代に入りまもなく16
http://blog.kyushu-heritage.jp/?eid=433319
大分県豊後大野市の南西部、宮崎県との県境付近の山間に明治以前より採鉱が行われていた金属鉱山である尾平鉱山があります。昭和10年に三菱鉱業により近代的操業が始まり、銀、砒素、銅、錫などの産出も飛躍的に増加。それに伴い従業員も増え、ピーク時の昭和25年には500人
http://www.geocities.jp/purelove_haikyo/haikyo05/obikou01.htm
まずは見学の申し込みを事務所にします…この物件は「廃墟Standard+」のとおる氏が九州に来られたときに探索された物件です。私、先日TAO氏と行ってきました!
http://www.geocities.jp/purelove_haikyo/haikyo05/obison01.htm
尾平鉱山の周辺は廃村になっています。あちらこちらに廃屋がありました。