根古谷荷扱所、根古屋鉱山 関連ブログ・参考リンク
http://homepage3.nifty.com/rurounotami/ruins_tsukigawa01.htm
また新設の精錬工場が八高線に近い為、自社の東上線で運ばれない皮肉な貨物線 として、最後は走り続けた。 この根古屋線の終点より、槻川沿いには幾つかの廃鉱山が 存在する。廃鉱より数十年の時が流れているが地形図を片手にそれらしき鉱山跡を訪ね て
https://www.hotetu.net/haisen/Kanto/080927toubunegoya.html
更新日時2011年11月05日根古屋線(ねごやせん)は埼玉県比企郡小川町の小川町駅から根古屋荷扱所までを結んでいた東武鉄道の貨物線である。主に終点近くの鉱山で採掘される石灰石等を搬出するために敷設された。終点の根古屋荷扱所からは坂本経由で皆谷(秩父郡東秩父村)
http://rurounotami.la.coocan.jp/ruins_tsukigawa01.htm
(CAUTION)当ページは廃墟探索を推奨するものではありません。全て自己責任、自己リスクである廃墟内の危機管理について栗原亨さんの「廃墟HAZARD」をご覧ください。槻川沿いの廃鉱山を訪ねる1埼玉県小川町よりかつて石灰石の搬出を目的として建設された貨物線があ
http://geo.d51498.com/history_of_rail/neko/00.html
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください 経済現象試論〜〜東武鉄道根古屋線 ■まえがき この一文は、本来長い長い前書きを必要とするであろう。しかしながら、それらを全て記してしまうと、いったいなんのための一文かという矛盾に陥るおそれがある。だから、最低限の前書きと装飾にとどめておくことにする。 それでもなお、きついクセやアクの伴う一文にならざるをえない。安比奈線や秋田内陸縦貫鉄道に捧げた一文を凌ぐ内容に、おそらくなるであろう。 以上の次第で、通常の廃線レポートを期待する方には、この一文を読むことを推奨できない。根古屋線を素材にしていることは確かだが、あくまでも素材にすぎないからである。そして、それは考えるための素材ともなる。楽しめる要素は、少ないはずだ。 一読される場合には、そのおつもりで。 【前編】 成功は誰のもの? 【後編】 消費者の利益は誰のもの? 表紙に戻る ■根古屋線関連記事(リンク先HP内) 『東武沿線廃線めぐり』より「その3・根古屋線(小川町)」・・・・・・「Rail&Bike」柏熊様 ■参考文献 (01)週刊新潮 *月??日号(2001年版)より 「世間漫録」(井尻千男) (02)日本経済新聞より 「私の履歴書」(高橋政知) (03)「東武鉄道百年史」(東武鉄道) (04)『鉄道廃線跡を歩くⅧ』(宮脇俊三編)より 「東武鉄道根古屋線(浅野専用線)【小川町〜根古屋】」(岡本憲之) ■執筆備忘録 初訪問 :平成13(2001)年晩夏 本稿執筆:平成13(2001)年晩夏 このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
https://ishi-sagashi.com/negoya-limestone-mine
根古谷石灰鉱山とは埼玉県比企郡小川町の打越付近にある石灰鉱山跡です。当初はこの場所でも石灰を採掘していたようですが、しばらくして枯渇してしまったとの事で、後に4.5キロ離れた埼玉県東秩父村に有った皆谷鉱山から、石灰を運ぶために索道を昭和10年に設置しています。
https://ameblo.jp/takaratta-2/entry-12498201973.html
右側は小川町から出ていた貨物線、東武根古屋線の跡だ。 この柵の向こう側が線路だったと思われる。 現在地はここいったん県道に戻り、この空地を俯瞰した。この空地こそが根古屋線の終点、根古屋荷扱所だという。 県道11号線のこの場所を通った人なら、この場所が多かれ少なかれ気になったと思う。私も、何度も通っていたのでもちろん気になってはいたが、ちゃんと見てみるのは初めてだ。
https://ameblo.jp/takaratta-2/entry-12733003108.html
この画像は国土地理院の過去航空写真、昭和35年(1960)の物の一部分を加工したものになる。白黒画像(いやに青いが)ではあるが、鉱山内のトロッコが鮮明に写っている唯一の写真になる。