灰野集落(南丹市) 関連ブログ・参考リンク
http://kida.shiga-saku.net/d2011-05.html
2011年5月30日 さて、近年までは京都大学芦生演習林へ、福井県側や滋賀県側からも入山できたが、 人気の上谷・下谷へツアーなどで観光 ここは、まだ京都市左京区だが、茅葺きがある 広河原集落。 杉林の中に石垣が見えてくると廃村灰野である。
http://shon.echizen.net/asyutorokko02.html
須後~廃村灰野~小蓬作業所~かづら作業所~七瀬■ 由良川最上流の集落である須 後の駐車場に車を置いて、演習林事務所に立ち寄って入林許可を得る。この昭和5年に 建設された事務所はなかなかの風情と風格を漂わしている。 トロッコの由良川橋を
http://ameblo.jp/hotetu/entry-10955010305.html
⑰灰野谷川を渡ったところの灰野集落跡。⑰灰野集落跡の神社。一級河川由良川の起点がこの辺。⑲京都大学芦生研究林軌道の灰野谷 - 赤崎西谷間。廃線が色濃くなっていた。 ⑲京都大学芦生研究林軌道の灰野谷 - 赤崎西谷間。芦生奥。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~unsui/html/asiu.html
1998年10月4日 やや空間の開けた感じの灰野廃村跡に着く。説明板には江戸時代初期に集落が出来 たと いう。佐々里峠からの峠道も有ったようで、最盛期には民家8軒を数え、田圃、宿も あっ たというから驚き。昭和35年の廃村からの時の流れは人間の
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/26.Kyoto/Miyama_Haino.html
慶安3年(1650)北村より7人灰野に定住する。更に奥、七瀬・中山にも寛文5年(1665) に木地師が居住していた記録があり、その後も各地に居住する人達がいたが、昭和35 年に灰野が廃村となった時には由良川最上流の集落であった。最盛期には、八軒、 旅人
http://www.cycleland-up.co.jp/event27_parts/event_27.htm
>>写真をクリックすると拡大されます. 秋の雰囲気が漂う一部
http://yamanoasiato.at.webry.info/201106/article_1.html
研究林入り口から歩くこと30分程で廃村灰野に至る。昭和35年に廃村になった集落跡で石垣なども残っている。そこには大きなトチノキがあって、今も人のいなくなった集落をひとり守り続けているように思えてくる。灰野の集落跡を過ぎると左に
http://kida.shiga-saku.net/e624540.html
ここは、まだ京都市左京区だが、茅葺きがある広河原集落。 何気なしに、川沿い越しの土手に目をやると、ふさふさした大きな根性葉から あちこちから30 cmくらいの 杉林の中に石垣が見えてくると廃村灰野である。昭和35年に廃村となった。最盛期にはこの奥深いところに八軒あり、旅人相手の宿もあった。 左手にこの村人が大事にしていたのであろう灰野神社の小さな祠が鎮座していた。祠は、かって人が住み山の暮らしを立ててきた証しでもある。左手には、トチ餅にするトチの木、さらにクルミの実を
http://kida.shiga-saku.net/c11433.html
2011年5月30日 現在では、原則として京都府南丹市美山町芦生の研究林事務所からの入山しか認められていない。 ところで、 ここは、まだ京都市左京区だが、茅葺きがある広河原集落。 何気なし 杉林の中に石垣が見えてくると廃村灰野である。昭和35ツ黴
http://www.kyoto-np.co.jp/info/culture/asyu_mori/20110129.html
2011年1月29日 後の里を由良川が流れる。かつて木炭を供給した里山の雑木林は里の営みに合わせ、スギの人工林に姿を変えた(1月7日、南丹市美山町) 由良川最上流の集落だった灰野はそんな時代に廃村となった。芦生地区の須後から約2キロ。