祭畤大橋 関連ブログ・参考リンク
http://yoshio-niikura.cocolog-nifty.com/tanabota/2012/09/post-de06.html
2012年9月30日 【橋リスト】 ・その名も粋なり『恋路橋』はこちら。 ・伊豆・廃ループ橋跡はこちら。 ・旧稲又 川橋跡はこちら。 ・君津・廃橋跡はこちら。 ・君津の変な橋はこちら。 ・中央線遺構・立場 川橋はこちら。 ・ねずみの歩道橋はこちら。 ・須坂の渡れない橋は
http://yamaiga.com/bridge/maturube/main5.html
2011年10月24日 2011/10/24 7:50 【現在地】. 全長94mの本橋には、全体を3等分する位置に2本の 橋脚が立っていたが、このうち左岸側のP2橋脚は崩壊し、それが支えていた2枚の桁 もろとも谷底へ墜落した。 残るP1橋脚は、山崩れに乗って11mも移動しツ黴
http://yamaiga.com/bridge/maturube/main4.html
2012年4月18日 2011/10/24 7:39 【現在地】. 前回の舞台から一転し、今度は自転車で現国道に架かる 「祭畤大橋」へやってきた。 銘板によると、本橋の名称は「祭畤大橋」であり、これは落橋 してしまった旧橋と同一である。 敢えて「新祭畤大橋」などと名付けツ黴
http://yamaiga.com/bridge/maturube/main3.html
2012年4月9日 2011/10/24 7:15 【現在地】. この写真に写っている2つの橋。 同じ祭畤(大)橋の新旧 であるが、世代的には親と孫の関係である。 大きいのが“孫”、小さいのが“親”。 生物や テクノロジの世界から見れば真逆な関係だが、土木構造物においてはツ黴
http://yamaiga.com/bridge/maturube/main2.html
2012年4月4日 2011/10/24 7:07 【現在地】. 平成20年6月に発生した岩手宮城内陸地震によって、 落橋という壮絶な末路を辿った初代の祭畤大橋は、このすぐ先にある。 路面の半分を現 国道の盛り土に占領され、いかにも肩身の狭そうな旧国道。 そして、旧ツ黴
http://yamaiga.com/bridge/maturube/main1.html
2012年4月2日 2011/10/24 6:56 【現在地】. 前回の最後はかなりハードコアな画像で幕を閉じたが、 今回は冒頭からそれに付き合って貰う。 引き続き、「祭畤被災地展望の丘」からの「展望 風景」である。 前回の最後の画像は望遠で、肉眼だとこのくらいのツ黴
http://yamaiga.com/koneta/koneta_79.html
この祭畤地区で鬼越沢川を跨ぐ場所には、現在昭和52年開通の祭畤大橋が架橋され ていて、一跨ぎである。 同様に、祭畤と真 . そう言って、先頭を歩いていたパタ氏が、 まだ我々の誰も足を踏み入れていない無垢な廃橋への道を、譲ってくれた。 私は、合同 ツ黴
http://ameblo.jp/roadjapan/entry-10344896660.html
2009年9月18日 第1回 国道342号 祭畤大橋 旧道 祭畤の地へ-今回紹介するのは、近い将来、旧道かつ廃道となるであろう、 国道342号祭畤大橋です。 大きな地図で見る 国道342号は、宮城県北部の内陸の地から、岩手県の一関市.
http://ameblo.jp/roadjapan/entry-10352383841.html
2009年9月28日 Road Japanでは、主に「旧道、廃道」となった「昭和の道路」を巡る旅を、写真を中心に紹介しています。 国道342号旧道 祭畤大橋・冬 国道18号未成道路 廃道をゆく3 2つの廃道を紹介させていただきました。紹介した旧道の連載はこちら。
http://locaruins.blog.shinobi.jp/廃橋/祭畤大橋-2013-11-15-第1回--
比較的新しい、天災による橋廃墟を紹介。橋が真っ二つな具合に折れ曲がっている。波がうねるように変形した道路。散策歩道を通って近くまで。東日本大震災の大きな爪跡を実感する景観。東日本大震災の影響で崩れ去った事で有名?になった、祭畤(まつるべ)大橋。今では、その大き