軽井沢銀山 概要・歴史
巨大なレンガ製の溶鉱炉煙突が残る
軽井沢銀山(かるいざわぎんざん)は福島県河沼郡柳津町軽井沢にあった銀山。
1558(永禄元)年に発見。戦国時代後期から採掘され、日本屈指の銀山であった。江戸時代の飢饉による閉山の際などは、会津藩が手厚く保護し、その後も藩の台所の一翼を担い続けた。
明治に入って個人経営になり、1879(明治12)年に鉱山王と呼ばれた古河市兵衛の経営となった。1886(明治19)年に精錬の新技術であったオーガスチン工法が取り入れられ、大煙突はそのために建てられた。
これにより鉱山の生産性は大きく向上、最盛期の1893(明治26)年には年間産銀量約4tに達し、全国鉱山の第6位となった。1895(明治28)年には福島県内で一番早く電灯が導入され、周囲には1000戸の家々が軒をつらね、郵便局や遊郭もあった。
しかし同1895(明治28)年に金本位制が導入されると銀価が暴落、同年中に採鉱を中止、1896(明治29)年に閉山となった。設備は解体され草倉鉱山(草倉銅山)と足尾銅山に送られた。
昭和に入って日本鉱業によって再調査されたが、事業再開には至っていない。
現在、坑道は閉鎖され建物はほとんど取り壊されて、巨大なレンガ製の溶鉱炉煙突のみが残っている。倒壊の危険性があり、接近には注意が必要である。
2013-11-15
2021-01-31