水窪小学校門谷分校 関連ブログ・参考リンク
http://kumachan.hamazo.tv/e2316768.html
栗拾いと同時に、分校探索にも行ってまいりました。 水窪小学校にはかつて6つの分校がありました。 今はすべて廃校となっていますが、そのなかで、校舎の形を唯一とどめている分校が門谷分校です。 門谷分校は明治28年に「奥山尋常
http://misakubonet1.hamazo.tv/e1302509.html
現在は水窪小・中学校がそれぞれあるのみですが、 戦後は小学校の分校として、門谷、草木、河内浦、大嵐、有本、大地、大野が 独立校として、西浦小、門桁小がありました 中学が西浦・渡元・大地・門桁の4分校(その後門桁中は独立校に)
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/22.Shizuoka/Misakubo_Kadotani.html
所在:浜松市天竜区水窪町奥領家(おくりょうけ) 地形図:三河大谷/満島 大字奥領家の西部、天竜(てんりゅう)川支流の門谷川沿いにある。 訪問時はかつての住民夫婦(2 大正14.5.10, 水窪尋常高等小学校門谷分教場と改称. 昭和16.4.1, 水窪町国民ツ黴
http://drshinwebsite.fc2web.com/sanennanshin/kadotani_bunko1.html
旧水窪町立水窪小学校門谷分校. 門谷集落の天竜川林道沿い、やや山側に入ったところにこの貴重な廃校跡は存在します。 林道から見えるのは旧教員宿舎です。 現在、改築中です。別荘になるとか。 その改築中の家の横の廃屋内には古いカレンダー。
http://talkintrash.fc2web.com/kd/kd1.html
とある所にある小学校の廃墟に向かう通学路この道を進みます遊具がありましたこっちにも遊具がありました石垣があります石段を上がりますすると小さな校舎が現れます校舎の前の小さな校庭にある木は折れています
http://blogs.yahoo.co.jp/freezemoon315/12545576.html
今回、ご紹介するのは今年、初探索のK分校です。明治28年に尋常小学校として開校したのが始まりでそのあと、教育制度改革で分校となり昭和45年3月末をもって廃校となったそうです。この日は久々の一人行動です。少し移動距離もありますし、何件か周る予定だったので日付が変
http://fine.tok2.com/home/paki/trip/sanennanshin/kadotani.html
2004年1月28日 この門谷分校は明治28年に「奥山尋常小学校門谷分教室」として作られたのがはじまりです。その後、戦後の教育制度改革で「水窪小学校門谷分校」と名前を変えました。 元々は周辺 昭和45年3月31日をもって廃校となりました。 現存するツ黴
https://syasin.biz/urbex/misakubohaiko/
今回はずっと来たかった静岡の廃校にやってきました。なんしか遠い…浜松からまだ80km以上離れており、京都から浜松までの高速より、降りてからの方が長かった…。水窪小学校は9つの分校があり、現在残っているのはこの門谷分校です。アクセスが困難な事からさすがに人為的な
http://blog.livedoor.jp/mistral_mt/archives/46013034.html
軽い気持ちで行きましたが、非常に過酷な行程となりました・・・特に廃墟的な観点からは苛酷さは無いんですが、如何せん遠い・・・なんで、静岡行くのに諏訪湖を通過するんですかねえ・・・なんだかスゴい所に到着謎施設森のなかに佇んでいます保存状態が良いですね
https://www.departure-ruins.com/misakubo-bun/
水窪(みさくぼ)と読む。1970年に廃校。1951年の伊勢湾台風の際に建て替えられた校舎が、山奥にひっそりと佇む。卒業生は水窪の中学まで二時間歩いて通った!というくらい相当な山奥である。