旧小松海軍航空基地 関連ブログ・参考リンク
http://marukado.blog75.fc2.com/blog-entry-1763.html
小松に行った日は小松空港が取材先でした。仕事の前に空港最寄りの小松浮柳郵便局に立ち寄ってみたところ、局舎の背後にすごい廃墟がどーんと鎮座していて驚いた。何かと思ったら戦争遺跡なのでした。ネットで調べたところ、小松空港の前身である海軍小松飛行場の発電所跡らしい。
http://www.kysd.net/komatsu_ek.html
http://komatsusiseki.web.fc2.com/page052.html
2015年5月6日 旧海軍小松基地隊施設跡-2 小松海軍飛行場 鉄道引込線跡 小松空港の始まりは太平洋戦争末期の海軍航空隊の退避基地の開設からであるため、小松飛行場周辺にはまだいくつ かの戦争遺跡がありますが、風化の一途をたどっているツ黴
http://komatsuairfield.web.fc2.com/page157.html
2014年6月30日 昭和20年6月 小松基地で出撃前の訓示を受ける神雷部隊 第708飛行隊員たち 旧海軍小松基地の『神雷部隊』 . 加賀市の柴山町付近には小松海軍航空隊があり、予科練生や兵士が6000人ほどが暮らしていました。
http://komatsuairfield.web.fc2.com/page019.html
加賀市一白(いっぱく)町 戦時中、加賀市柴山町~新保町にあった小松海軍航空隊(予科練) の司令官、生徒たちが戦後、予科練跡地に「一白開拓集落」を作っ て住み着いたのがこの町の始まりです。 2015/04/20 更新!
http://komatsuairfield.web.fc2.com/page156.html
小松の空~小松飛行場物語~石川県小松市小松海軍航空基地小松空港(基地)の前身である、小松海軍航空基地の滑走路。※石川県立航空プラザ(小松市)の展示写真から転載写真上は日本海は、下は今江潟。今は埋め立てられて一面が田んぼとなっている。小松海軍航空基地加南地方史研
https://blog.goo.ne.jp/yusaki_2009/e/9614cb09eb59f64a1beca6c78642a830
昨日8月15日は73回目の終戦記念日だった。しかも平成最後の終戦記念日でもある。昭和という時代が遠くなると誰かが言ったが、昭和といえばやはり戦争のイメージが強い。多くの犠牲者を出した悲惨な戦争でした。以前記事で石川県はなぜ空襲が無かったのだろうと投稿したが、最
https://ameblo.jp/origami-turu/entry-11930423669.html
今回は郵便局さんと日本レンタカーさんの裏手にある戦跡旧海軍小松基地 自力発電所跡ちょっとどうしても近くで見たかったので日本レンタカーさんに頼みまして敷地に入れて頂きました\(^o^)/でかい!それにレンタカーもイッパイ←なんか発電所らしき物は残ってないかなーと思ったのですが…しっかり車庫状態です穴の中は…物置になっていた(´・_・`)まとめ庵体壕も、よく物置にされてますよねw
http://komatsusiseki.web.fc2.com/page054.html
小松だよ!小松市の史跡・古道探訪!!石川県 小松市旧海軍小松基地 自力発電所跡小松市に残る戦争遺跡小松市 浮柳郵便局の裏側。付近一帯はニッポンレンタカーの用地となっています。戦時遺跡の周りが「わ」ナンバーの車だらけ・・・(^_^;)インターネットでは旧海軍小松基地の「弾薬庫」としていろんなブログに書かれていますが、間 違いです。小松市浮柳郵便局の裏側より撮影、ニッポンレンタカーの駐車場となっている。近所の古老たちに話しを伺ったら、・終戦後に米軍に接収される。その後、海軍の所有地が払い下げられて、多く人が購入し周囲に人が住み着いた。・この建物も昭和30年代に手作業で解体をしていたが、あまりにも頑丈で途中で解体をあきらめた。・毎年一回、この構造物をどうするかという協議が行われているが、どういうわけか、50人以上の所有権を持つ人がい て、話しがまとまらない。ということでした。戦争遺跡として残していく方がいいと思いますがね。旧海軍小松基地 自力発電所跡の内部小松市浮柳町郵便局後戻る直前のページへCopyright(c) 2006-2016. 小松だよ!全員集合!! All rights reserved. Powered by FC2ホームページ この広告は3ヶ月以上更新がない場合に表示されます。ホームページの更新後、24時間以内に表示されなくなります。 この広告は3ヶ月以上更新がない場合に表示されます。ホームページの更新後、24時間以内に表示されなくなります。