尾鷲隧道(国道42号線旧道) 関連ブログ・参考リンク
http://www.geocities.jp/tentacles344/owasezuido.html
この特徴的な退避坑は他の熊野街道沿いの隧道でも見ました, 自転車の墓場になって た
http://www.henari1.jp/Z-24-013-B.htm
ORRの道路調査報告書:全国の廃道・隧道・酷道・旧道・林道を個人が実走調査した レビュー
http://usa-nekosando.web.infoseek.co.jp/miti_42owase.html
【国道42号線旧道-尾鷲隧道】前編 三重県の国道42号線には沢山の旧・廃隧道が あります。しかも大正時代の煉瓦隧道です。 青字…ラピスのコメント ■黒字…作者の コメント. 今回は熊野街道煉瓦隧道中2番目の長さの 尾鷲隧道をレポートします。 中は 面白い
http://mafura-maki.sblo.jp/article/51239103.html
2011年12月1日 紀伊半島日記13 尾鷲隧道,四国の旧廃道にある「隧道」を紹介するHPです。http://www .mafura-maki.jp/ ←が親サイト. 以前は現道から丸見えでしたが、いつのまにか フェンスができていました。 o1.JPG 北側坑門。三重県、煉瓦造りまくり
http://teeart.blog107.fc2.com/blog-entry-144.html
2012年2月20日 [廃道] 尾鷲の旧トンネル群~前編. 三重県多気町から尾鷲市にかけて、明治大正時代 に掘られた隧道がたくさん残されているという事で、早速見に行ってみた。 これらの隧道 は、国道42号線の改修によって車道として使われなくなったものだ。
http://teeart.blog107.fc2.com/blog-entry-145.html
2012年2月21日 この記事は、 [廃道] 尾鷲の旧トンネル群~前編 からの続きです。 本日の一番のお 目当てである、尾鷲隧道にやってきた。 なんとか谷へと降りようと思い周囲を探索 すると、尾鷲隧道のすぐ横から、谷に向けて水路が構築されているのを
http://www.henari1.jp/Z-24-013-A.htm
ORRの道路調査報告書:全国の廃道・隧道・酷道・旧道・林道を個人が実走調査した レビュー. トップ>隧道電撃ネットワーク>東海>三重>尾鷲隧道. 尾鷲隧道(1) その双璧 を成すのが先に紹介した三浦隧道とこの尾鷲隧道である。中でも尾鷲隧道は今瀕死の
http://blogs.yahoo.co.jp/tissot900gazoni/11374518.html
2013年4月24日 鳥越隧道・尾鷲側坑口。ポータル自体のインパクトはさほどない。 イメージ 1. 熊野側に 刻まれていたとおり昭和9 では、しばし廃道の風景をお楽しみください。 イメージ 9. イメージ 11. 廃道で見つけてトクした気分になる。あるある。 イメージ 12.
http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_42owase.html
【国道42号線旧道-尾鷲隧道】前編 三重県の国道42号線には沢山の旧・廃隧道があります。しかも大正時代の煉瓦隧道です。 青字…ラピスのコメント □黒字…作者のコメント. 今回は熊野街道煉瓦隧道中2番目の長さの 尾鷲隧道をレポートします。 中は面白いツ黴
http://blogs.yahoo.co.jp/rin7574/11133951.html
基本的に一人で探索してるので、勝手にナレーション付けながら歩いてることも多いですが、怪しいもんじゃありませんので廃道で僕と会っても逃げないでくださいね! イメージ 12 . 高知県の 山間部にも 廃村(廃集落)跡が - あ、地域によって
http://blogs.yahoo.co.jp/rin7574/11129378.html
位置し、そして最も有名な隧道。 起工 明治44年 竣工 大正5年 設計者 岩井藤太郎 延長 481m 尾鷲隧道(おわせずいどう) 相賀隧道 とは前座と大トリのよう 酷道、廃道、旧道、峠、隧道の探索ブログです。 お気に入りの人に登録/削除
http://sprout34.blog16.fc2.com/blog-entry-39.html
現役の尾鷲トンネルの横に、旧トンネルが残っています。 橙色が眩しいレンガ化粧の、立派な坑門です。 銘盤は読めません。 古い字体のようです。 トンネル内部は、廃道なのにずいぶん綺麗です。 荒れた相賀隧道とは違い、コンクリ舗装もしっかりしています。
http://natsuko482.blog78.fc2.com/blog-entry-404.html
R42の旧道をシバいてきました。 先日下見した 尾鷲隧道と、その隣の相賀隧道をみてきました。 まずは、尾鷲隧道から。 海山町側. 今日は 突入してみることに・・・. 海山町側から 尾鷲側・・・・道が・・・・・・ ← 隧道を抜けて 尾鷲側の惨状. 路面のてかりは、隧道脇からの漏水の流れ。 雨の時は? 川?道? 白看 今となってはレア? ← 上の画像にある赤矢印はこれ。 ああ、 間違いなく この道は、国道42号線だったのだ。 尾鷲の地までは、厳しい道程だったのだなあ。 尾鷲への道は、水路と化し、12月と
http://musasipardon.blog.fc2.com/blog-entry-364.html
尾鷲隧道国道42号線旧道三重県尾鷲市某所(詳細は下記のマップより参照)廃道、廃隧道好きの方ならば地図を見ただけで一瞬で、わかりますよね。旧道お馴染みの現道のトンネルの脇から入り込む形です。ただ、このGoogle先生の地図を見る限り簡単に走破できそうな表記ですよ
http://sputoyo877.com/owase.html
再訪篇はコチラ 2008年6月訪問 三重県南部の主要都市である尾鷲市。 北へ向かえば紀北町、そして伊勢方面に国道42号線は延びていきます。その国道42号線、尾鷲市と紀北町境には現役ばりばりで毎日大量の車両を捌いている尾鷲トンネルがあります。 その隣には、地図上では堂々と車道の表記があり、今でも旧道として紀北町から尾鷲市街に抜けられる道であるかのようですが。。。 紀北町側から現行尾鷲トンネルを見た写真、左側は真新しいコンクリ吹きつけの法面や、鋼鉄の落石防止柵が設置されており、道なんてどこにもない!ように見えますが。。。 しかし、柵の内側に回ってみますと、 奥にはくらーい穴がありそな雰囲気で。。。他のサイト様の情報ですでに「廃」なのは知っていましたが、こんなに法面補修は受けていなかったような。 ちゃんと残っていました。よかったです! ここに来て、法面が大規模補修されていたために埋め戻されたのではないか、ととても不安になっておりました。 今でも何も変わらずその威容を見せ付けていただけます。ヘタな封鎖措置も採られることなく、「入りたければ勝手にすれば」的に構えています。 ただし、内部は真っ暗、落石の危険大、こうもり大量と、常人を寄せ付けぬ雰囲気が、ある意味封鎖の役割を担っているのかも知れません。 何と言ってもその特徴は迫石にあります。 アーチ下部は長さの異なる切石を配し、上部はとんがりのある切石により構成されています。実は、ここ尾鷲市や北牟婁郡に残る隧道群は同じ様式を採用している場合が多いです。 同時期、同施工者の手による建造が成されたのでしょう。 扁額は風化が進んだ為か判別できません。 内部はレンガが見事なアーチを描いています。うっすらと靄がかかり、冷房のようにひんやり顔をなでてくれます。 起工 明治44年(1911年)10月 竣工 大正 5年(1916年)4月 設計者 三重県技師 岩井 藤太郎 (道?)工者 三重県技手 天野 久 石工 藤田 六(林?)(朧?) 何とかここまで判別しましたが。。。 設計者の岩井藤太郎氏は結構有名のようで、他にも設計した隧道がいくつかあります。 紀北町側坑口振り返り。 完全に現道から隔離された状態になっています。 レンガ巻きは入り口付近のみで、内部の大方は素掘りのままです。覆工などもないのでそこかしこで岩が剥離して落下しています。 壁面には。。。電線跡?でしょうか、或いはランプを配していたのか、両サイドに見られます。 尾鷲側坑口です。 こちら側は現道と幾分離れた所に口を開けており、比較的静かです。 左手にはレンガ装飾が見事な退避口のようなスペースがあります。まあ退避口ではなくて道路関係者用荷物置き場といったところでしょうか。現代的な自転車が放置されています。 しかし、洞内にこういった装飾物があるのは珍しいのではないでしょうか。 坑口間近。緑の侵食は大きく、何も手を入れられていない、自然なままのように感じます。 こちら側も威容は変わらず、立派そのものです。総切石造りは頑丈なイメージが強いですが、レンガでここまで頑丈なイメージを与える隧道もあまりありません。帯石や迫石、要石など、要所に切石を配している所がポイントでしょうか。 。。。。。。。。 尾鷲隧道。。。と読めなくはない。。か??いや、読めんな。。。 尾鷲市街への道は完全に自然に還っております。 歩きや自転車で尾鷲、紀北間を行き来する方が多くいればこの隧道込みの道も整備する意義があるかもしれませんが、あまりに山深すぎで、紀北町街に出るのに相当距離があることから、あまりに非現実的です。 このまま余生を過ごしていただくのが、一番状態良く保存されるのかもしれません。 owase2.htmlへのリンク