白滝鉱山 概要・歴史
白滝鉱山(しらたきこうざん)は高知県土佐郡大川村にあった鉱山。
1699(元禄12)年2月に土佐藩により開炭した本川銅山(大北川銅山)を起源とする。その後、閉坑と再開坑を繰り返す。
1871(明治4)年11月 に樅之木鉱山が開坑。1887(明治20)年9月に住友樅之木鉱業所が開設される。1894(明治27)年11月、中久保鉱山休業。
1913(大正2)年より宇宝合名会社による近代化が進められ、1915(大正4)年1月には大北川藤ノ谷に最大出力120kwの自家用水力発電所が竣工。
1916(大正5)年に大北川、樅の木、大川、白滝、中蔵、喜多賀和、朝谷の7鉱山の統一通称名が「白滝鉱山」と定められた。
この頃に製錬に伴う煙害が問題となり大川での製錬が中止され、宇摩郡中之庄村具定(現・愛媛県四国中央市)まで21Kmの架空索道が敷設され、川之江港から船便で大分の精錬所に運ばれることになった。
1919(大正8)年3月に久原鉱業(日本鉱業を経て、現・JX金属)に譲渡される。
昭和20年代後半から昭和30年代にかけて非常に栄え、1960(昭和35)年には大川村の人口4,114人となり、その約半数が鉱山関係者だったという。
1972(昭和47)年3月に閉山した。
閉山後、選鉱場跡には鉱山資料館が建てられたがその後閉鎖されている。小学校跡には自然王国白滝の里(地図位置)が設置されている。
浴場跡、廃屋、トロッコ軌道跡などが見られる。
金砂湖の湖上に白滝鉱山の架空索道支柱と言われる遺構があるが、佐々連鉱山のものとの記述もある。
2014-10-03
2023-03-31