赤石鉱山(四国中央市) 関連ブログ・参考リンク
http://outdoor.geocities.jp/ymkm1982/071123higasiakaisi.htm
2007年11月23日”東赤石山(河又ルート)”赤石鉱山跡を尋ねて、北面周回GPSによるトラックログ(カシミールソフト使用)「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/000430.html
東赤石山(赤石鉱山)[所在地]愛媛県宇摩郡土居町[登山日]2000年4月30日[参加数]8人[概要]東赤石山の北斜面からのアプロ-チである。新居浜市と土居町の境目から関川に沿って、長い五良津林道を辿ってゆく。以前は、登山口まで車で行けたが、昨年の台風で、途中の
http://orange.zero.jp/zbc54213.wing/akaisi.html
HOME愛媛県四国中央市土居町上野赤石鉱山撮影:2011.11(1/1)今回、ここ赤石鉱山にも行っては見たがたぶん鉱山跡までは行けないだろうと思っていた。がやっぱり行けなかった。車では集落の外れまでしか行けない。そこに駐車して後はテクテク歩きだ。東赤石山の麓ま
https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:1/107/view/16758
赤石鉱山は、四国中央市土居町上野(うえの)に鉱山事務所があった。採掘現場は、東赤石山(ひがしあかいしさん)北側斜面中腹の標高約1,300mの位置にあり、操業当時は鉱山事務所より徒歩で4時間を要した。 鉱床は明治43年(1910年)に発見され、大正13年(1924年)から明治鉱業株式会社の所有となり、以後、掘り出す鉱石の種類や採鉱を請け負う会社には変遷が見られたが、昭和61年(1986年)まで操業した。当初、赤石鉱山では、クロムを高品位で含有する鉱石の採掘をしていたが、昭和13年(1938年)に鉱石を含む母岩であるダナイト(ダン橄欖(かんらん)岩)が耐火物の原料として大変優秀であることが発見され、クロムの鉱石とともにその採掘が計画された。そして、運搬設備を強化するため、それまでの軽便索道から、採掘現場から東赤石山の麓の県道付近(土居町上野内の川(うちのかわ)集落)までの約7kmを結ぶ玉村式架空索道が設置された。その後、クロムの鉱石採掘量が減ったため、ダナイトの採掘に移行、昭和24年(1949年)から昭和26年(1951年)7月まで鉱業界の不況のため一時休山したが、再開後は赤石オリビン株式会社が明治鉱業の下請けとなってダナイトの露天掘りのみを行うようになり、以後、閉山までダナイトの採掘のみが行われた。
https://blog.goo.ne.jp/sipouzan-2009-goo/e/53f66f780425d3663979c3ae7aaacb87
赤石鉱山跡の斜面を仰ぎ見るように目を凝らしてみた。索道が通っていたと思われるところは岩ゴロの涸れ沢のような様相で、その上には鉱山らしき跡地が見えている。ここは貯鉱ポケットの跡地のようだ。ここから鉱石がトラックに積み込まれて、林道をいく台ものトラックは土埃を舞い上げて走っていたのだろう。