佐々連鉱山(さざれこうざん)は愛媛県四国中央市(旧・伊予三島市)にあった鉱山。主に銅を産出した。....

佐々連鉱山

佐々連鉱山 概要・歴史

佐々連鉱山(さざれこうざん)は愛媛県四国中央市(旧・伊予三島市)にあった鉱山。主に銅を産出した。....

佐々連鉱山 画像

佐々連小学校跡(2023年1月)
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校舎は解体されているがそれらしい高台がある
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門柱跡
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小学校前にのみ唯一の横断歩道がある
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鉱山施設の周りはフェンスが設置されて立ち入りできない
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鉱水処理施設の向こうに鉱山遺構が見える
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比重選鉱場跡
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貯鉱庫
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通電室跡
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通洞跡
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佐々連鉱山碑
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©国土地理院
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佐々連鉱山 動画

近くのスポット

佐々連鉱山 ストリートビュー・空中写真

佐々連鉱山 関連ブログ・参考リンク

http://ameblo.jp/holga-ergo-sum/entry-10942555921.html
2011年7月3日 佐々連鉱山跡. Theme: PENTAX K-x. 7/2 愛媛松山へ一泊プチ旅行。 目的は音溶で のイベントと廃坑探索。 最近アルコールにめっきり弱くなったらしく、. ビール2~3杯で かなりグロッキー。 近くのネットカフェで休みながらでほとんど楽しめませ
http://outdoor.geocities.jp/ksjjr840/nisinotani.html
佐々鉱山. 中ノ川への分岐点から右へ約4.5キロ、9割方未舗装の道、乗用車でも行け ない事はない。 この林道は比較的新しく閉山 橋を渡ってすぐ右に埋めた廃坑跡が あり下のホースから地下水が出ている。 セメントは佐々連より一服峠を経て担いで 運び砂や石などは近くの川から採りすべて人力により埋めたそうだまた単に入り口を 塞いで
http://tetsuru.fc2web.com/hido4-2.html
TOP>隧道・道路>佐々連旧鉱山ニ回目 重要な位置を占める入口付近にコンクリート 一つ使っていない旧鉱山。もしや大正以前の状態のまま 廃坑となってからはかなりの 年月にがたっているであろうのに、何故に橋が架けられたのだろうか。 そしてもう一
http://furoppa.blog.fc2.com/blog-entry-106.html
佐々連廃鉱へ12/15 (12/16載). 前日の天気予報は、晴れで、中の川奥へ行く予定であったが、今日の雲行きはどうもあやしい。 中の川途中で突風もあり、引き返し、小川橋まで来て、急に、佐々連廃鉱へ行くことにした。 フォトの説明は、近くのおっちゃんが、 帰って、廃鉱を調べてみると、廃鉱探訪なんてブログも結構あり、鉱山も種々の問題を含んでいるのだなぁ。 まあ、身の回り全てそうだが・・・・。何かを書くと、結論がこうなるからいやだねぇ。だから無為自然がいいのか。廃鉱なぁ・・・・。必然かぁ・・・・。
http://black.ap.teacup.com/purelove/310.html
愛媛の佐々連鉱山広大な敷地に記念碑がお迎えしてくれます。鉄道軌道は坑道に続いていました。坑道の中が凄く気になりますけどさすがに柵があり無理ですね~
http://black.ap.teacup.com/purelove/312.html
佐々連の廃村佐々連鉱山に行く途中にあります。そんなに建物は残っていないのですが中には立派なお屋敷もありました。
http://www.mafura-maki.jp/tanbo/kouzan/sazare/view9.cgi?num=0
[HOME]佐々連鉱山新坑佐々連坑地図産出された鉱物は主に金・銀・銅・硫化鉄・鉄・亜鉛と、複数あり、規模の大きな鉱脈を複数持っていたようで、別子銅山と並んで住友金属鉱業の主力鉱山でした。鉱脈の発見は、元禄2年(1700年)らしいのですが、実際に操業が始まったの
http://www.mafura-maki.jp/tanbo/kouzan/sazareo/view9.cgi
HOME佐々連鉱山旧坑金立坑地図今回は愛媛でも有数の規模を誇った銅鉱山である佐々連鉱山の旧坑(旧佐々連)へ訪問。この鉱山の歴史はとても古いもので、元禄年間には既に操業されていました。それゆえか、現地までの車道が整備されておらず、現地まで徒歩で1時間以上道なき道
http://orange.zero.jp/zbc54213.wing/sazarekoozan-01.html
SAZAREKOOZAN佐々連鉱山1/1愛媛県四国中央市金砂町小川訪問日:2009年佐々連鉱山の発見は1690年頃、元禄年間の頃と言われている。場所は近代に入り住友鉱業が開抗(当ページの写真)した場所とは違いもう少し東側、下の地図の”中ノ川”の源流あたりであっ
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/38.Ehime/Iyomishima_Sazare.html
◆佐々連(さざれ)鉱山所在:四国中央市金砂町小川山(きんしゃちょうおがわやま)地形図:佐々連尾山/伊予三島形態:川沿いから斜面にかけて家屋や施設が多数集まる標高:旧鉱区―約850~900m新鉱区―約540~690m訪問:2018年8月(新鉱区)・2018年12
https://blogs.yahoo.co.jp/amaidekopon/13970616.html
愛媛県には住友財閥の発展の基礎となった有名な別子銅山がありますが、四国中央市にもかつて鉱山がありました。新宮鉱山と今回訪問した佐々連鉱山(さざれこうざん)。当店のお客様にも時々「親父が鉱山に勤めていた」って話しが出ることがあります。元禄2年の開山ということです
http://yosuzumex.daa.jp/industrial_heritage/sazare/sazare_1.htm
佐々連鉱山見学その1旧別子を満喫した後に、香川県にある『豊稔池』を見て帰ろうと県道を走っておりました。県道47号線は県道6号線に名前を変え、赤石の峰を左手にずっと東へ進みます。その途中でいきなりすごいダムに遭遇してアドレナリンが全開になり一人で騒ぎ疲れ、半ば虚
http://geo.d51498.com/ksjjr840/sazare.html
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください佐々連鉱山からいっぷく峠へ最近知り合った佐々連さんが佐々連よりいっぷく峠を経て金立坑へ、再びいっぷく峠〜尾根伝いで薬師峠へ更に岩鍋までと行くのを知り、それに同行させてもらいました。私は佐々連からいっぷく峠へ登るのは初めてですが薬師峠の方は数回目なのでたぶん楽勝だろうと軽い気持ちで挑みましたが実際は苦難の連続となりました。帰ってから気が付いたのですがルートの大半が消えかかっていたため探す方に気をとられ写真は殆んど撮っていませんでした。いっぷく峠への入り口となる場所は東区のB地点ですがA点からB点へは舗装がされて無く、荒れているめA点の橋の袂に車を停めました道路の終点Bに着いたが藪と背丈以上に伸びた木々に行く手を遮られ、この場所を突破となると朝露で全身がずぶ濡れになるだろう。そこで迂回路を探す事にしたがすでに腰から下は濡れていた。東区 社宅跡を上部に向かいました。閉山後、木造建ては取り壊されたそうだがブロック建ては取り壊される事なく今も残っている。正面側  住んでいた人達はこのシーンをどんな想いで見るのか。内部  私の出身地、中之川の別荘もいずれこうなる運命だ。(涙)裏側階段の最上部からさらに上がると水道水用と思われる巨大なタンクが在った。タンクの手前を右手方向に進むと開けた平地で遊具が残っていた。すでにジャングル化としているジャングルジム(ダジャレを言っている場合でない!) 左に滑り台が付いている。木の下にある懐かしいかごブランコ   乗ってみたい衝動に駆られたがよく見ると座る所が朽ちている。 しかしそれどころでない!小さな公園を通り過ぎると杉林に出会い、下に沿って降りると、入り口と思われる場所に出ました。いっぷく峠へ出発 小さな谷に沿ってD点に向かうが、道とは名ばかりで殆んどが消えかかっています。破線の先端部の所で行き過ぎに気付き引き返したがD点は全くわからん。佐々連さんがGPSで現在位置を確認し、この...佐々連さんのお母さん(看護婦さん)きっとあなた達も私達と同じ場所に座ったはず 「ご苦労さんでした!」 この後、西の谷本坑まで降り、再びいっぷく峠から尾根伝いに薬師峠に出ました。私が小学生の遠足の時見かけた、薬師峠からいっぷく峠へ向おうとしている人達と出合った場所も確認することが出来、やはり薬師峠からいっぷく峠へ抜ける道は実際に存在した事が分かりました。機会があれば再び挑戦を、とは思っていますが…。薬師峠から岩鍋間は以前にも増してルートがわかり難く、崩れている箇所も多くなりより困難となっています。慣れている私でさえも間違いそうになる。(歳のせい)最後に岩鍋から佐々連鉱山、佐々連さんの住んでいた西区へ向かう事に。以前から気になっていた昔撮った古い写真の場所、佐々連さんに案内をしてもらいました。次の写真は佐々連さんの話では昭和30年頃の写真だそうです。トップの写真Cに車を停めわき道を下りると今は開けた空き地になっている。上の写真Dの場所(佐々連さんに教えてもらったが忘れた)に出、さらに下りるとEにたどり着きますブロック積みの建物のみが残っているので、次の写真に写っているのがEの建物だと思います。社宅周辺の木々も建物以上に伸びているため上部から建物の存在を確認する事が殆んどできません。建物跡沿いに上に向かって階段が続いていました。古い写真の撮った場所ですが現場を見る限りあのアングルから撮れると思う所は見当たらない。やはり佐々連さんの言う、索道から撮ったのだと思う。上空から撮ったとなるとグーグルアースの3Dを使って強引に重ねてみました。 マウスを当てて下さい。結果はどうでした  無理がある?今日歩いたコースはよほど物好きでない限り行く事がない場所、地元の人で無い限り、単独で行くのは無理だと思う。もし今回も私、独りだったら早々に退散していただろう。佐々連さんに感謝!道中の大半は薄暗い植林の中をひたすら歩くのみですが最後の達成感は私にとって先日登った石鎚山東稜コースに勝るとも劣らないコース私の人生の1ページとなったのは言うまでもありません(当然、夜の一杯は美味かった!)戻る               金立坑(西の谷)〜いっぷく峠へ
佐々連鉱山 関連ワード
  • マチュピチュ
  • 住友金属鉱山
  • 子銅山
  • 閉山