http://www.mafura-maki.jp/tanbo/kouzan/singu/view9.cgi
HOME新宮鉱山金・銀・銅・硫化鉄鉱新宮鉱山入口「愛媛石の会」さんの巡検に、ご一緒させて頂きました。鉱山へ行くには、県道から集落に向いた小さな橋を渡ります。その名も金山橋!鉱山への道、ゆえに「金山」なのでしょう、小さな銘板が四隅に残されていました。このような小
http://shikokuchuoiju.jp/topics/1931.html
新宮地域のミステリーハンター用松です(世界ふしぎ発見調)。新宮へ遊びに来られる方々は、霧の森やあじさいの里を訪れる方が多いですが、それだけで帰ってしまうのは、MOTTAINAI(ワンガリ・マータイさん風、ちょっと古い??)。それ以外にも、新宮地域にはあまり知ら
https://ameblo.jp/origami-turu/entry-12038674628.html
新宮鉱山跡に行ってきたさっそくですが山を走りダートな道になると大きい貯鉱庫が見えてきたここの上にはシックナーがありました小さく茶色のトタン屋根の部分。この向かいに鉱山事務所中はからっぽだった歩いて山を登っていくと穴穴がチラチラ見える中はだいたいこんな感じでした
https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:1/107/view/16769
2 新宮鉱山①(1)新宮鉱山の概要 新宮鉱山は、四国中央市新宮町馬立(うまたて)に鉱山事務所があった。事務所、坑道口ともに標高約360mの山腹にあり、急峻(きゅうしゅん)な岩山を背に三方に開けたような場所である。 採掘されていた鉱石は主に銅鉱石で、鉱床発見の時代は明らかではないが、旧坑口に「元禄鋪(げんろくしき)」という名称があることから、相当に古く、歴史がある鉱山であることが予測される。 明治44年(1911年)に旧宇摩郡の個人企業が採掘鉱区を設定以来、数々の個人企業や株式会社に転売され、最終的には昭和37年(1962年)に新宮鉱山株式会社が日本鉱業株式会社から操業を引き継ぎ、鉱石の枯渇による昭和53年(1978年)の閉山まで事業を続け、閉山直前の斜坑の延長は2,470mに達し、最下底部は海面下195mに至っていた。