三菱発動機久々利地下工場 関連ブログ・参考リンク
http://sputoyo877.com/mitubisikukuri.html
総延長7kmトンネル本数38本トンネル最大口径幅4.9m高さ3.5m計画面積33,500㎡実際完成面積25,100㎡。。。取りあえず普通ではないことがこの数字からも読み取れます。トンネル本数38本、以前の三重県関の鈴鹿海軍地下工場14本を遥かに凌ぐ本数。高さ3
http://teeart.blog107.fc2.com/blog-entry-134.html
岐阜県可児市(かにし)久々利に三菱発動機の地下疎開工場が残されているという事で行ってみた。終戦直前の昭和19年から掘削が始められたが、完成を待たずに終戦となり、実際に航空機の部品が作られる事は無かったという。総延長は8Kmということで、なかなかの規模である。地
http://kuromax.web.fc2.com/ruin/gifu/warruins/kakishita.htm
三菱航空機久々利地下軍需工場柿下山地下工場A坑(第10坑~第11坑間)南B坑(第11坑~第12坑間)北B坑(第13坑~第14坑間)南B坑(第14坑~第15坑間)北D坑(第9坑~第10坑間)南D坑(第10坑~第11坑間)北D坑(第10坑~第11坑間)南E坑(第1
http://www.geocities.jp/kg21nitto3i0/gifu/chikakoujou/chikakoujou.html
教科書には載らない日本史~可児市巨大地下軍事工場~時は第2次世界対戦末期、戦局も極めて悪くなり、米軍との本土決戦に備えた日本は数々の施設を地下に移そうとしました。その中でも長野の松代大本営はあまりにも有名です。そして地下航空機製造工場も全国各地につくられました
http://www.tokaicue.com/houkoku_16.html
出発前に、案内をして頂く平和委員会理事長の高橋信さんにこれから行くところの概要を説明してもらいました。 可児インターを出て北の方へ30分ほど山道を走り、可児市久々利公民館に10時半に着きました。最初の見学地は三菱発動機地下工場跡です。
http://teeart.blog107.fc2.com/blog-entry-179.html
岐阜県可児市にある三菱発動機地下軍需工場跡だが、何度か潜ったものの回っていないエリアがあった。ここは作りも単純だし、潜っても似たようなものだろうと思っていたのだが、くるまみちを見るとかなりすごい事になっているではないか!!と言う事で、未踏破エリアを回って来た。
http://teeart.blog107.fc2.com/blog-entry-161.html
岐阜県可児市(かにし)にある三菱発動機地下軍需工場跡。前回訪問したときに回らなかったエリアを中心に潜ってきた。いつもどおり、前夜発。東海環状の五斗薪PAにて、自作のバックドアテントを広げて車中泊。前日までの雨で、辺りはひんやりとし、とても気持ちがいい。急激に天
http://teeart.blog107.fc2.com/blog-entry-135.html
この記事は、三菱発動機地下工場跡探索の続きです。岐阜県可児市にある三菱発動機地下工場跡を後にし、次に、通行止めになっているトンネルを探しに行く事にした。このトンネルは、地下工場の一部を利用したもので、現役当時は自動車の往来も可能だったらしい。先ほど探索した壕内
http://eyk.blog107.fc2.com/blog-entry-1095.html
ご近所、可児市久々利の柿下山の地下に、日本最大クラスの地下壕があると知った時は、興奮を抑えられませんでした。これまで幾度となく通勤で通過した所だし、むすめとサイクリングしたり、古い町並みを散策したりした町です。そこにこんなとんでもないものがあったなんて。もちろ
http://blog.livedoor.jp/kuubohosiina/archives/42402830.html
岐阜県可児市に残る、地下軍需工場跡に行ってきました。(2014.11)この辺りには大戦末期、三菱発動機の工場が作られた。空爆から逃れる為に、名古屋工場を移設させたが、稼動前に敗戦となった。総延長は8キロにも及び、国内でもトップクラスの地下工場跡となる。1200
http://pulam.blog.fc2.com/blog-entry-190.html
岐阜県にある、第二次世界大戦中に作られた、大規模軍事地下工場跡を見に来た。この山の地下全体に、坑道は張り巡らせてある。戦後米軍が製作した調査地図。坑道総延長は、7kmを越えていたそうだ。山麓各所に確認出来る、地中へと続く坑口。この坑口は、ダムが築かれていた。こ
http://mat0213.blog17.fc2.com/blog-entry-958.html
先に、本日訪問した「可児市地下軍事工場」の概要を載せとく大戦末期、米軍との本土決戦に備え日本は数多の施設を地下に移そうと試みる中部も各地(瀬戸・小牧・瑞浪・川辺)に地下軍需工場が建設されその中でも可児市久々利のそれの規模は全国でもトップスラスであり国家中枢機能移転の計画があった「松代大本営」に匹敵するほどだ可児の地下軍需工場は「三菱第四製作所」として航空機のエンジンを造るため、1944年12月に建設開始8ケ月を経て工場は完成し、順次機械を設置するが生産体制が整わないまま敗戦をむかえることとなり実際に航空機が生産されることはなかったこの地下軍需工場は、谷を挟んで2ケ所ありその2つの総延長は約8kmとの事(松代大本営は約10km)