http://hanatare-ruins.doorblog.jp/archives/51872672.html
2014年8月31日 ちなみに、川を挟んで向かいの蕨野小学校も廃校直前期は在校生がたった一人であり、そのため遠足や学芸会などの学校行事は .. 宮越地区墓地. 上ノ国町、宮越集落の墓地。 なぜか国土地理院の地図にも載っていない。 規模.
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八雲町立赤笹小学校(やくもちょうりつ/あかざさ/しょうがっこう)(1990年(平成2年)3月31日閉校)国道5号線から道道573号線に入って、ひたすら車を走らせる!こんなとこに昔学校があったのかと思わせるくらい畑だらけ(`・ω・´)家はまあポツポツとこの道路沿
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立ち寄り温泉ネタが切れたので(笑)もう一つ、木造校舎を訪問してみました。じつは「桜野温泉熊嶺荘」に立ち寄る為、道道573号線を通っていて偶然見つけたのです。この小学校の歴史を紐解いてみると野田生地区に入植者がどんどん増え、小学校も人口増加とともに奥地まで必要に
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八雲町立赤笹小学校明治39年7月1日開校 平成2年3月31日閉校平成22年5月訪問道道573号線を桜野温泉側へと進んでいく道路地図では「桜野」となっているこの地区車を走らせていると左手に校舎らしき小さな木造の建物がその跡地へ入り口には木製の古びた校門が残っている入り口から 右手には新しめの教員住宅達木製の門柱に校名が付いていないかと良く見ると門柱の裏側によく見かける寄贈者名を書いたもの「昭和41年4月建立 寄贈 ○○ 赤笹小PTA」中にはまり込んでいる敷地へ入ると校庭跡地には草が一面枯れた状態で倒れている敷地隅に錆び付く遊具達奥には石碑が「八雲町立赤笹小学校跡地」と刻まれている素晴らしき木造の校舎が残されている平成2年まで現役だった事がうれしく感じたそしてそのまま残されていた事も素晴らしい写真集 「わが心の木造校舎」には昭和60年撮影の赤笹小学校が掲載されている親子の像のオブジェが右側に建っているのだが残骸なども見当たらず消えていた校舎前のキリンは健在「おやこぐま 1968.10」こちらはかなり朽ちているその後ろ 玄関前のひょうたん池現役当時は小さな魚でも泳いでいたのだろうかすばらきしこの校舎は最近まで再利用されていたようだが現在は無人のようである玄関上の校章 壁面自体に刻まれているようだ貴重で小さな木造校舎このまま朽ちていく事を想像すると悲しくなるのである綺麗に整備すれば 現役時代に戻れそうである日の当たる裏手から昔は小さな集落にあったであろう校舎が目の前に佇んでいるbackPowered by FC2ホームページ