佐田岬砲台 関連ブログ・参考リンク
http://www17.big.or.jp/~father/fortress/sata/sata.html
2009年11月10日 左:新砲座の上部にある忠魂碑脇から高島方向を、右:新砲台の裏手 左:探照灯の 左:観測所入り口付近の石積、右:観測所の北東下にある地下壕跡? 太平洋戦争時の高射機銃の銃座ではないかと思われるが、記録にはなにもない。
http://www.mafura-maki.jp/tanbo/senseki/misaki/view9.cgi
[HOME]豊予要塞佐田岬多くの人が目にする穹窖砲台広域地図戦争に備え、瀬戸内海を守る為に設けられた要塞。大日本帝国陸軍によって建設された二等要塞で、豊後水道を通る敵艦を撃沈する役目を背負っていました。要塞なので当たり前なのでしょうが、難攻不落に造ってあるお陰
http://www006.upp.so-net.ne.jp/fortress/sonota/sada01.htm
佐田岬(穹窖)砲台(上)38式12cm榴弾砲が据え付けられた穹窖(きゅうこう)砲座(大島側)1945(昭和20)年に急造された砲台で、佐田岬灯台直下に2門と当時離島だった大島に2門、38式12cm榴弾砲が据え付けられた。本来の出入口が裏側にあったと思われるが、
http://underzero.net/html/tz/tz_532_1.htm
豊予要塞佐田岬砲台その他その1(伊方町2010/3)他の砲台と異なり、昭和20年に建造された砲台。崖に口を開いた砲座は写真で見てもなかなかの迫力。今回の佐田岬散策で一番楽しみにしていた所である。写真で見る限り、結構危険な感じであるが、逆にそれだけ人の目に触れら
http://www6.ocn.ne.jp/~topposak/newpage30.html
観測所から降り、小道を行くとそれらしい石積みの短い階段が何箇所か石垣に張りつき、尾根を目指して藪と倒木の中にわずかに痕跡を残している。「日本築城史」では、第一砲台敷地に第一・第二砲台があったように記載されているが、どうやらこれは誤記の可能性が高い。学研「日本の
http://ameblo.jp/ns-c35-235/entry-11555985895.html
『佐田岬第二砲台』所属豊予要塞着工大正15年11月竣工昭和2年10月備砲30cm短榴弾砲4門4砲座×1門昭和9年2月備砲は転用の為に撤去となってます。訪問は今年1月…全体的に少し荒れ気味でした…砲側庫などにはゴミもあり少し残念でしたが、胸墻部下部と砲側庫のコン
http://corpodruaga.blog45.fc2.com/blog-entry-283.html
ちなみに灯台へ行く途中にあったバンガロー村の「ストアーはまゆう」と書かれた廃墟が佐田岬砲台郡の現地司令部跡だそうです。(写真撮ってなかった・・・。)う~ん、事前に予習しておくべきでした。・゜・(ノд`)・゜・。レンズの件もあるし、機会があったらまた行きたいです
http://matsu0219.exblog.jp/12373913/
そして「ストアはまゆう」という管理人室を兼ねた建物は、あきらかに戦時中防空壕か兵器の格納庫として使っていた施設では・・・( ̄□ ̄;)とても一人では泊まれません。というか、こんな場所にあって一体どんな人向けのキャンプ場なんでしょうか。キャンプ場を過ぎると、再び上
http://www2s.biglobe.ne.jp/~stakers/arch/tsadamisaki.html
バンガローが並ぶ広場に「ストアーはまゆう」があります。今も営業しているか謎ですが、夏場は飲食料品や薪や炭などを売っていたと思われます。問題は弾薬庫のような外観です。暴風雨時の吏員避難所だったのではないかと推測します(倉庫にしては窓が多いし、もちろん弾薬庫ではな
http://ameblo.jp/e-cascade/entry-10596649585.html
現地司令部壕(ストアはまゆう跡)、移動式探照灯格納庫、環状路レール跡(現在観光遊歩道)歩いて帰るときに珍百景がありました。認定?ボツかな?ワンちゃんが伏せをしてる姿に似てませんか?絶対似てる、と思うのですが。遊歩道ナデシコらしき植物遊歩道カイズカの実が凄かった
http://homepage3.nifty.com/higemaru/page148.html
「ストアはまゆう」一部文字が欠落しているがそのように読み取れる。この店はインディアンテントの住人のために食料品や薪などを販売していたのであろうか?どうやらこのキャンプ場は現在では放棄されているようで、「ストアはまゆう」も扉は硬く閉ざされており、中の様子を窺い知
http://pachyderm.blog54.fc2.com/blog-entry-782.html
浜茶屋の如き構築物には『ストアーはまゆう』と書かれて有るが、どうも2~3年前から廃墟になってる模様。扉に板が打ちつけられていました。コテージはというと、奇麗な状態です。兆番も錆付いていないし、握玉錠も生きてる様子。中に入って施錠出来そうな感じでした。中の備品。
http://blogs.yahoo.co.jp/gxdcm524/33597866.html
ストアーはまゆうは戦時中の施設を再利用したらしいです。さらにてくてく歩いてついにやってきました!灯台元から北に見えるのは出荷調整の蓄養池。手前の断崖にある穴は佐田岬要塞の砲台跡。
http://www011.upp.so-net.ne.jp/fortress/houyo/houyo.htm
1925(大正14)年9月26日, 兵器本廠長より陸軍大臣へ、佐田岬第一砲台備砲(7年式15cmカノン砲4門据付)工事竣工書の進達 1926(昭和元)年12月23日, 築城部本部より豊予要塞司令官へ、佐田岬第一砲台、佐田岬第一砲台観測所、佐田岬電灯所、佐田ツ黴
http://tamutamu2011.kuronowish.com/sannbasi.htm
愛媛県西宇和郡伊方町(旧三崎町)正野(しょうの)/国登録有形文化財(伊方町所有). 1919(大正8)年に決定された豊予(ほうよ)要塞整備要領により、旧陸軍豊予要塞佐田岬第2砲台(佐田岬砲台=正野谷の中腹)建設の工事用資材等の陸揚げためにつくツ黴