佐田岬砲台 概要・歴史

佐田岬砲台は愛媛県西宇和郡伊方町の佐田岬にあった旧軍施設。

豊予要塞の一部として第一から第四まで四つの砲台が設置され、太平洋戦争末期に新砲台が設けられた。

1926(昭和元)年11月に第1砲台竣工。対馬要塞大平高砲台から移設したスカ式12cm速射カノン砲4門が設置された。1927(昭和2)年10月、第2砲台竣工。15cm速射カノン砲4門。1930(昭和5)年、第3砲台竣工。30cm長榴弾砲4門。1930(昭和5)年、第4砲台竣工。30cm長榴弾砲4門。1945(昭和20)年7月頃、新砲台設置。12cm榴弾砲4門。

1945(昭和20)年8月、終戦により廃止された。

レールなどの金属類は戦後まもない時期に撤去されている。兵舎があった場所は、町営キャンプ場になったが、司令部や発電所跡は残っており、夏場の観光シーズンにはキャンプ場の売店や倉庫として利用される。現地司令部跡が「ストアーはまゆう」に転用されている。

キャンプ場周囲に井戸や貯水設備の遺構が残されている。弾磨き鍛造所の木造平屋建屋は整備されず壁が崩れるなど崩壊が進んでいるが、2014年現在辛うじて残っている。正野谷桟橋は2003年12月1日に文部科学省により「旧正野谷桟橋」として文化財に指定された。

第1砲台は保存状態が悪く荒廃が進んでいる。第2砲台は良好な状態で残っているが双方の砲台とも観光化されていないので、樹木に埋もれている。第2砲台観測所は民家に払い下げされ、倉庫として使用されている。弾薬庫は近づくことは困難な状況になっている。第3、第4砲台の榴弾砲は、愛媛県に進駐したイギリス軍の指令によってアセチレンガスで砲身を切断して解体された。第3砲台は、灯台付近から見下ろすと断崖にその開口部を視認できるが、第4砲台は海からでないと確認できない。

2017年4月、伊方町によって第4砲台の1つが観光用に整備され、穹窖砲台内にレプリカの三八式十二糎榴弾砲が設置された。また佐田岬灯台を望む展望台や「永遠(とわ)の灯」と呼ばれる灯台を東側から望むモニュメントが作られた。灯台からは三崎漁協の旧蓄養池を経由して御籠島に至る長さ200mの歩道が新たに整備された。第4砲台に続く洞穴も、元々は素掘りであったが、崩落防止のためにコンクリートで補強され見学できるようになった。

状態■■
2019年01月29日 更新

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佐田岬砲台 住所

愛媛県西宇和郡伊方町正野

佐田岬砲台 種類

軍事施設・戦争遺構

佐田岬砲台 画像・写真

佐田岬砲台

佐田岬砲台 ストリートビュー・空中写真

佐田岬砲台 スポット

佐田岬砲台 ブログ・リポート

佐田岬 砲台
http://www17.big.or.jp/~father/fortress/sata/sata.html
2009年11月10日 左:新砲座の上部にある忠魂碑脇から高島方向を、右:新砲台の裏手 左:探照灯の 左:観測所入り口付近の石積、右:観測所の北東下にある地下壕跡? 太平洋戦争時の高射機銃の銃座ではないかと思われるが、記録にはなにもない。
豊予要塞佐田岬
http://www.mafura-maki.jp/tanbo/senseki/misaki/view9.cgi
[HOME]豊予要塞佐田岬多くの人が目にする穹窖砲台広域地図戦争に備え、瀬戸内海を守る為に設けられた要塞。大日本帝国陸軍によって建設された二等要塞で、豊後水道を通る敵艦を撃沈する役目を背負っていました。要塞なので当たり前なのでしょうが、難攻不落に造ってあるお陰
佐田岬(穹窖)砲台
http://www006.upp.so-net.ne.jp/fortress/sonota/sada01.htm
佐田岬(穹窖)砲台(上)38式12cm榴弾砲が据え付けられた穹窖(きゅうこう)砲座(大島側)1945(昭和20)年に急造された砲台で、佐田岬灯台直下に2門と当時離島だった大島に2門、38式12cm榴弾砲が据え付けられた。本来の出入口が裏側にあったと思われるが、
愛媛県 豊予要塞 佐田岬砲台その1 -underZero-
http://underzero.net/html/tz/tz_532_1.htm
豊予要塞佐田岬砲台その他その1(伊方町2010/3)他の砲台と異なり、昭和20年に建造された砲台。崖に口を開いた砲座は写真で見てもなかなかの迫力。今回の佐田岬散策で一番楽しみにしていた所である。写真で見る限り、結構危険な感じであるが、逆にそれだけ人の目に触れら
佐田岬第一砲台
http://www6.ocn.ne.jp/~topposak/newpage30.html
観測所から降り、小道を行くとそれらしい石積みの短い階段が何箇所か石垣に張りつき、尾根を目指して藪と倒木の中にわずかに痕跡を残している。「日本築城史」では、第一砲台敷地に第一・第二砲台があったように記載されているが、どうやらこれは誤記の可能性が高い。学研「日本の
佐田岬第二砲台|遺産、遺跡を求めて…
http://ameblo.jp/ns-c35-235/entry-11555985895.html
『佐田岬第二砲台』所属豊予要塞着工大正15年11月竣工昭和2年10月備砲30cm短榴弾砲4門4砲座×1門昭和9年2月備砲は転用の為に撤去となってます。訪問は今年1月…全体的に少し荒れ気味でした…砲側庫などにはゴミもあり少し残念でしたが、胸墻部下部と砲側庫のコン
コーポDruagaの住人 - 秋の四国一週ドライブ~(その3、佐田岬灯台編) -
http://corpodruaga.blog45.fc2.com/blog-entry-283.html
ちなみに灯台へ行く途中にあったバンガロー村の「ストアーはまゆう」と書かれた廃墟が佐田岬砲台郡の現地司令部跡だそうです。(写真撮ってなかった・・・。)う~ん、事前に予習しておくべきでした。・゜・(ノд`)・゜・。レンズの件もあるし、機会があったらまた行きたいです
愛媛旅行 3日目(後編) : 存在感のないページ
http://matsu0219.exblog.jp/12373913/
そして「ストアはまゆう」という管理人室を兼ねた建物は、あきらかに戦時中防空壕か兵器の格納庫として使っていた施設では・・・( ̄□ ̄;)とても一人では泊まれません。というか、こんな場所にあって一体どんな人向けのキャンプ場なんでしょうか。キャンプ場を過ぎると、再び上
佐田岬灯台
http://www2s.biglobe.ne.jp/~stakers/arch/tsadamisaki.html
バンガローが並ぶ広場に「ストアーはまゆう」があります。今も営業しているか謎ですが、夏場は飲食料品や薪や炭などを売っていたと思われます。問題は弾薬庫のような外観です。暴風雨時の吏員避難所だったのではないかと推測します(倉庫にしては窓が多いし、もちろん弾薬庫ではな
四国の佐田岬灯台 国道行くな!!?ですが行きました。|よしみっちゃんブログ
http://ameblo.jp/e-cascade/entry-10596649585.html
現地司令部壕(ストアはまゆう跡)、移動式探照灯格納庫、環状路レール跡(現在観光遊歩道)歩いて帰るときに珍百景がありました。認定?ボツかな?ワンちゃんが伏せをしてる姿に似てませんか?絶対似てる、と思うのですが。遊歩道ナデシコらしき植物遊歩道カイズカの実が凄かった
佐田岬紀行(H20.03.21)
http://homepage3.nifty.com/higemaru/page148.html
「ストアはまゆう」一部文字が欠落しているがそのように読み取れる。この店はインディアンテントの住人のために食料品や薪などを販売していたのであろうか?どうやらこのキャンプ場は現在では放棄されているようで、「ストアはまゆう」も扉は硬く閉ざされており、中の様子を窺い知
Newly discovered memoirs dt.佐田岬半島(後)
http://pachyderm.blog54.fc2.com/blog-entry-782.html
浜茶屋の如き構築物には『ストアーはまゆう』と書かれて有るが、どうも2~3年前から廃墟になってる模様。扉に板が打ちつけられていました。コテージはというと、奇麗な状態です。兆番も錆付いていないし、握玉錠も生きてる様子。中に入って施錠出来そうな感じでした。中の備品。
佐田岬~愛南町”外泊”への旅(その3) - 散歩カテゴリ - モデルライフ - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/gxdcm524/33597866.html
ストアーはまゆうは戦時中の施設を再利用したらしいです。さらにてくてく歩いてついにやってきました!灯台元から北に見えるのは出荷調整の蓄養池。手前の断崖にある穴は佐田岬要塞の砲台跡。
豊予要塞 - So-net
http://www011.upp.so-net.ne.jp/fortress/houyo/houyo.htm
1925(大正14)年9月26日, 兵器本廠長より陸軍大臣へ、佐田岬第一砲台備砲(7年式15cmカノン砲4門据付)工事竣工書の進達 1926(昭和元)年12月23日, 築城部本部より豊予要塞司令官へ、佐田岬第一砲台、佐田岬第一砲台観測所、佐田岬電灯所、佐田 
旧正野谷桟橋 佐田岬第2砲台
http://tamutamu2011.kuronowish.com/sannbasi.htm
愛媛県西宇和郡伊方町(旧三崎町)正野(しょうの)/国登録有形文化財(伊方町所有). 1919(大正8)年に決定された豊予(ほうよ)要塞整備要領により、旧陸軍豊予要塞佐田岬第2砲台(佐田岬砲台=正野谷の中腹)建設の工事用資材等の陸揚げためにつく 

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