川棚海軍工廠は長崎県東彼杵郡川棚町にあった旧海軍の施設。 1942(昭和17)年、佐世保海軍工廠の川棚...

川棚海軍工廠

川棚海軍工廠 概要・歴史

川棚海軍工廠は長崎県東彼杵郡川棚町にあった旧海軍の施設。 1942(昭和17)年、佐世保海軍工廠の川棚...
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川棚海軍工廠 ストリートビュー・空中写真

川棚海軍工廠 関連ブログ・参考リンク

http://hasamiooen.fc2web.com/2010-report-18-1.html
川棚町川棚海軍工廠跡今も遺構が残っているので記録として残して置きたいと思い2010年4月に2回取材に行きました。川棚町百津郷の城山公園には「歴史と平和の塔」があります。その碑にはこう記されています。歴史と平和の塔全国各地から動員された工員たちで町はあふれていた
http://allxa.web.fc2.com/archi/industry/senseki/kawatana/index.html
佐世保海軍工廠の増産と空爆の被害を分散するため、佐世保市に近い川棚町に川棚分工廠が設置されたのは1942(昭和17)年のことである。これが翌年に格上げされて川棚海軍工廠となった。同工廠は魚雷を生産し、町内の別の場所にある魚雷発射試験場でテストを行っていた。やが
http://hayabusa-3.dreamlog.jp/archives/51321269.html
川棚海軍工廠で生産されたのは「九一式航空魚雷」。つまり飛行機に搭載する魚雷ですね。艦船を攻撃するのに一番有効なのは航空魚雷による雷撃であったといいます。陸上陣地を攻撃する爆撃よりも雷撃に追われた、という事実は迫りくるアメリカ軍艦隊に対し、防戦一方となっていた、
http://hibiki15.blog.so-net.ne.jp/2008-09-16
前回の川棚海軍工廠地下工場に引き続き今回は疎開する前の海沿いに一部残っている工場から覗いて見ましょう。真珠湾攻撃でも使用した九一式航空魚雷を製造していましたが太平洋戦争末期に攻撃を受けるよになったためいち早く廃墟となった倉庫が残っています。細い住宅の路地を入っ
http://blog.livedoor.jp/kurobee_ruins/archives/5051918.html
2011年6月18日 2011年5月30日探訪。 5月30日~6月2日にかけて九州遠征に行ってきた。 元々この場所は存在すら知らず、川棚(片島)魚雷発射試験場へ向かう途中偶然発見した物件である。 帰宅後調べた結果、川棚海軍工廠の施設という事が判明した。