上尊鉱業豊州炭鉱は福岡県田川郡川崎町にあった炭鉱。 1890(明治23)年頃に池尻炭鉱として始まり、経...

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名称 上尊鉱業豊州炭鉱
住所 福岡県田川郡川崎町池尻
種類 廃鉱・採石場跡
福岡県の廃鉱・採石場跡
スコア
★★★★★★★★★★★★ 48
現況 現存
評価 ■■

上尊鉱業豊州炭鉱 概要・歴史

出水事故で閉山

上尊鉱業豊州炭鉱は福岡県田川郡川崎町にあった炭鉱。

1890(明治23)年頃に池尻炭鉱として始まり、経営主の変遷と共に宮崎豊州炭鉱、福田豊州炭鉱、豊州炭鉱等と呼称が変わる。

最終的に上田尊之助氏の経営となり、従業員800名余あまりを擁し、月産約1万2000トンに達した。

1960(昭和35)年9月20日、出水により作業中の鉱員220名のうち67名が生き埋めになる惨事が起きた。付近にある中元寺川の川底が陥没し、古洞を伝わって川水が流入したことによるという。

いつまた爆発や陥没を起こすともしれない危険な状況に捜索は断念され、1960(昭和35)年9月、上尊鉱業豊州炭鉱は閉山した。

地図位置の中元寺川川岸にコンクリート遺構が残る。また個人宅敷地内に坑口跡が残っている。

上尊鉱業豊州炭鉱 画像

上尊鉱業豊州炭鉱
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