上尊鉱業豊州炭鉱

上尊鉱業豊州炭鉱は福岡県田川郡川崎町にあった炭鉱。

明治23年頃に池尻炭鉱として始まり、経営主の変遷と共に宮崎豊州炭鉱、福田豊州炭鉱、豊州炭鉱等と呼称が変わる。

昭和35年9月20日、出水により作業中の鉱員220名のうち67名が生き埋めになるという惨事が起き、間もなくして閉山した。

地図位置の中元寺川川岸にコンクリート遺構が残る。また個人宅敷地内に坑口跡が残っている。

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上尊鉱業豊州炭鉱 住所

福岡県田川郡川崎町池尻

上尊鉱業豊州炭鉱 種類

廃鉱・採石場跡

上尊鉱業豊州炭鉱 画像

上尊鉱業豊州炭鉱
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上尊鉱業豊州炭鉱 写真・ブログ・リポート

上尊鉱業 豊洲炭鉱 | あれなん
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川崎町池尻三ヶ瀬近くにあった中小炭鉱の一つ。(昭和7年?~昭和35年9月)昭和35年9月20日午前零時過ぎ、横を流れる中元寺川の川底が以前の乱掘と豪雨のため陥没し、乱掘された古洞を伝わって地底でつながっていた豊洲炭鉱坑道に多量の水が流れ込み水没。さらに坑口から
上尊 鉱業 豊州 炭鉱|鶴嘴さんのブログ
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今回は、豊州炭鉱跡地を探索したいと思います操業時の写真です、明治41年頃の宮崎豊州炭鉱の写真です詳細は、最後にして探索をさせていただきますやはり、最初に周辺をうろちょろ、うろちょろしますしかし、遺構は、見当たらずとりあえず、中元寺川の方向に行くことに、そして、
上尊 鉱業 豊州 炭鉱2(詳細)|鶴嘴さんのブログ
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元は、明治23、24年頃、池尻炭鉱と称し佐々木恒平外6名の鉱業権者の共同経営だった(中文省略)明治28年、より昭和24年年までの約55年間に少なくとも6回鉱業権者が変わっている明治36年10月、宮崎義一が所得して個人経営として宮崎豊州炭鉱と呼称した同社は、大正
上尊 鉱業 豊州 炭鉱3(川崎町)|鶴嘴さんのブログ
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豊州炭鉱の水没事故について昭和35年9月20日、午前0時10分、豊州炭鉱、中元寺川水流入前日来の豪雨に氾濫した中元寺川の川底は、突如轟音と共に陥没したこの出水で、作業員220名のうち、67名が遭難、消防隊、自衛隊の懸命な救出作業がおこなわれたが前日の豪雨の影響
フクダジマ探検記 豊洲炭鉱
http://kyuragi2011.blog.fc2.com/blog-entry-71.html
福岡県田川郡川崎町。上田尊之助氏が経営する上尊鉱業が吸収したこの炭鉱は昭和35年、中元寺川の川底が突如陥没し坑内が水没。二番方の坑夫67名の方々が亡くなっている。穏やかに流れる中元寺川。この日は今にも泣き出しそうな暗い空を川面に写していた。豊洲炭鉱の材料斜坑が
上尊炭鉱株式会社豊州炭鉱
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上尊鉱業豊州炭鉱(福岡県田川郡川崎町)昭和35年9月20日午前1時ごろ、福岡県田川郡川崎町三ケ瀬にあった上尊豊州炭鉱において、出水のため、作業中の鉱員220名のうち、67名が遭難するという、当時戦後最大の炭鉱事故が発生した。豊州炭鉱は当時、上田尊之助氏が経営、