三菱飯塚炭鉱 概要・歴史

三菱飯塚炭鉱は、福岡県飯塚市にあった炭鉱。

1915(大正4)年に中島徳松が開坑、1936(昭和11)年に三菱鉱業と合併し、1961(昭和36)年に閉坑した。

二つの巨大な巻き上げ機台座(幅13.5m高さ12m)の遺構が残されており、そばにケーブル支柱も見られる。

大正時代に建設されたもので、第二坑の本卸(入気・石炭運搬)と連卸(排気・人車運搬)に使用された。筑豊地方でも最大級の巻き上げ機台座であった。

また上山田線の平恒駅跡近くに積出専用の橋台跡があり、付近にはコンクリート遺構が残されている。

積出専用線だったらしい道路の下を生活道路がくぐる立体交差があり、橋梁跡が見られる。

飯塚市指定有形文化財に登録されている。

状態■■■
2018年12月12日 更新

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三菱飯塚炭鉱 住所

福岡県飯塚市平恒

三菱飯塚炭鉱 種類

廃鉱・採石場跡

三菱飯塚炭鉱 画像・写真

三菱飯塚炭鉱
三菱飯塚炭鉱
三菱飯塚炭鉱

三菱飯塚炭鉱 ストリートビュー・空中写真

三菱飯塚炭鉱 スポット

三菱飯塚炭鉱 ブログ・リポート

三菱鉱業飯塚鉱業所 (三菱飯塚炭鉱) トライスターの炭鉱と廃線と廃墟の
http://tristar.at.webry.info/201001/article_6.html
2010年1月12日 トライスターの炭鉱と廃線と廃墟の放浪日記の三菱鉱業飯塚鉱業所 (三菱飯塚炭鉱) に関する詳細記事。(Powered by BIGLOBEウェブリブログ)正直・・・
廃墟シリーズVol,9(三菱飯塚炭鉱):響とバイクと山遊び:So-netブログ
http://hibiki15.blog.so-net.ne.jp/2006-09-13
福岡県飯塚市穂波町の炭鉱遺跡です。三菱飯塚炭鉱の巻き上げ機台座で、今では廃墟というよりきちんと保存されているようです。高さは12メートルあり、筑豊最大級となります。昭和40年に閉山するまで稼動していたと思われます。横にもう一基ありますが、こちらの保存状態はあま
三菱飯塚炭坑跡 - 気ままよろず日記 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/c_xantia_01/42067325.html
上山田線探訪が終盤に差し掛かった頃、同線平恒駅跡付近に、炭坑の遺構があった。これは先日紹介した志免炭坑の竪坑櫓と同様の働きをする巻上機。志免のものは昭和18年の建設だが、こちらは大正時代のものとされているらしい。当時としては筑豊最大級の竪坑櫓だったそうだ。
ALL-A[飯塚炭鉱]
http://allxa.web.fc2.com/archi/industry/coalmine/iizuka/index.html
飯塚炭鉱は福岡県飯塚市平恒(ひらつね)でかつて操業していた炭鉱である(操業時の行政区分は穂波町)。1915(大正4)年、この地区にあった大徳炭鉱の経営者に就任した中島徳松が周辺の小規模炭鉱を統合して飯塚炭鉱とした。中島は1918(大正7)年に中島鉱業を設立し、
建築マップ 福岡県[飯塚炭鉱]1/5
http://allxa.web.fc2.com/a-map/jp_fukuoka/iizuka/iizuka01.html
炭田と炭鉱明治から昭和中期(おおむね昭和30年代)までの日本では多数の炭鉱が操業していました。太古の植物が鉱物化したものである石炭は、地中に炭層を成して埋まっており、この炭層が広がる一帯を炭田(たんでん)といいます。福岡県には(1)北九州市から内陸部にかけて広
巻き上げ機台座/三菱飯塚炭鉱(まきあげきだいざ)
http://www.kankou-iizuka.jp/homepage/?id=130
巻き上げ機台座は幅13.5m高さ12m筑豊地方でも最大級の巻き上げ機台座で、大正時代に作られ蒸気の力で稼動したと云われています。炭鉱の坑内に資材などを送ったり掘り出した石炭を地上に搬出する、トロッコを引張るためにロープを巻き上げる機械の台座として使用されました
三菱飯塚炭鉱
http://hasiru.net/~maekawa/mine/mitubishi/iizuka.html
三菱飯塚炭鉱その1福岡県嘉穂郡穂波町平垣大正4年、中島徳松により大徳炭鉱(飯塚炭鉱の前身)を開坑。大正7年、中島鉱業㈱を設立。昭和4年、中島鉱業を三菱鉱業に譲渡し、会社名を飯塚鉱業と改称。昭和11年、中島鉱業は三菱鉱業に合併され、三菱飯塚鉱業所となる。昭和33
三菱飯塚炭鉱
http://orange.zero.jp/zbc54213.wing/mitubisi-iiduka.html
福岡県飯塚市穂波町三菱飯塚炭鉱訪問日:2008.04(1/1)uWaoo~!近くからこうして見るとさすが存在感大ありですね。志免炭鉱のあのでかい竪坑櫓ほどではないですがそれでもデカイ!!飯塚炭鉱は1915年(第一次世界大戦勃発の翌年)に中島徳松氏が炭鉱開発に着
三菱飯塚炭鉱 | 九州ヘリテージ フィールドノート
http://blog.kyushu-heritage.jp/?eid=425206
福岡県の筑豊地方は古くから数多くの炭鉱があり、現在でも多くの遺構が残されています。その中でも飯塚市に以前から気になっていた炭鉱遺構があったのですが、旧伊藤伝右衛門邸を見学した折に訪ねていくことができました。福岡県飯塚市の南部(旧穂波町)の平恒に、昭和40年に閉
三菱鉱業 飯塚炭鉱 | あれなん
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/46.html
飯塚市平恒付近にあった炭鉱(中島鉱業→三菱鉱業→飯塚炭鉱→昭和40年閉山)詳細は画像の看板見てください(手抜きです(^^;)以前巻揚機台座のみを投稿、今回は気合入れて?再編集。この炭鉱は市内の割に意外と遺構がのこってます昭和23年頃の画像から今回投稿するのは黄
旧国鉄平恒駅付近の遺構 | あれなん
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/204.html
以前投稿の飯塚炭鉱関連の続きです先日この遺構が残るガス会社さんの許可を得て敷地内からじっくり見る事が出来た。まずは積込ホッパーがあった場所を特定アニGIFです(画像は国土交通省&GoogleMapより)1974年→現在と変るので判りやすいでしょう*3MB超えな
79年間で | あれなん
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/5.html
飯塚平恒付近の有名な炭鉱遺構三菱飯塚炭鉱巻揚機台座旧上山田線跡の道路沿いにあります。このように昔の写真と撮影場所を合わせて撮るとどれくらい変化したかよーく判ります。
こがえる寺(飯塚市、正法寺)へ行ってきた♪ε=ヾ(*~▽~)ノ
http://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/search/article/item/RV=1/RU=aHR0cDovL2Jsb2dzLnlhaG9vLmNvLmpwL2hhbW1lcl9kbmE3MC8zNTk1NTQxMi5odG1s
今朝6時頃に熊本県に上陸した台風は、依然強い勢力のまま北上を続け、現在(21時半)日本海南部で北上を続けています。こんな状況なので、本日は自宅待機だったhamm
天道炭鉱、三菱飯塚炭鉱、ついてくる猫
http://tokyo.rdy.jp/archives/4625
実はこの道は既に遺構の一部らしい。積出専用線の跡がそのまま道路に転用されているとか。見えてきた!三菱飯塚炭鉱。巻き上げ機台座!デカい!これはすぐそばにあるケーブル支柱跡。瑠璃山正法寺。飯塚のパワースポットらしい。

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