大島炭鉱(松島炭鉱大島事務所)は長崎県西海市の大島にあった炭鉱。 江戸期、明治期にも小規模な採掘...

大島炭鉱(松島炭鉱大島事務所)

大島炭鉱(松島炭鉱大島事務所) 概要・歴史

大島炭鉱(松島炭鉱大島事務所)は長崎県西海市の大島にあった炭鉱。 江戸期、明治期にも小規模な採掘...

大島炭鉱(松島炭鉱大島事務所) 画像

1974-1978年 国土地理院

近くのスポット

大島炭鉱(松島炭鉱大島事務所) ストリートビュー・空中写真

大島炭鉱(松島炭鉱大島事務所) 関連ブログ・参考リンク

http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/railbus/ooshima.html
大島の西、蛎ノ浦島には、崎戸炭鉱がありました。1907(明治40)年に採掘が始まり、1968(昭和43)年に閉山となりました。こちらは三菱 . 廃墟となったアパート跡の向こう側がこの写真の8年前に廃坑となった、崎戸炭鉱本坑跡の風景と思われます。 ⑱崎戸本郷ツ黴
http://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-11522802790.html
西海市大島へ向かった大島橋を渡り、島に上陸島に入ると、すぐに大きな造船所が見えますしこたま全国の造船所に仕事で入っていたのですが、ここは初めてですねさて、松島炭鉱大島鉱業所、(大島鉱業所全景)(第一坑)(昭和49年の航空写真)最東端に選炭場積出港が確認できる最
http://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-11525042316.html
大正6年6月5日、大島炭鉱(株)を設立三井鉱山、古賀鉱業、松島炭鉱など出資大正9年6月15日、湧水と不況で掘進中止、操業中止、昭和7年11月15日、大島炭鉱(株)解散鉱区は、三井鉱山2/3、松島炭鉱(株)2/3で共有、昭和10年5月1日、松島炭鉱(株)は、三井
http://hayabusa-3.dreamlog.jp/archives/51220027.html
下図は、西海市大島にあった松島炭鉱大島鉱業所の当時の様子です。この炭鉱が、島をあげての産業であったことがうかがえます・・・前身である大島炭鉱株式会社は大正6年の開坑、同9年に操業停止しています。その後、昭和10年に松島炭鉱株式会社により、大島坑が開坑されました
http://hayabusa-3.dreamlog.jp/archives/51220472.html
昭和33年頃の大島鉱業所付近です。小さなブロックのように見えるのは、全て炭鉱住宅です。私の場合、坑口とか、鉱業所の遺構にも興味がありますが、もっとも興味があるのは、この「炭鉱住宅街」の面影です・・・ターミナルの売店の方は、ほとんど面影は無くなった・・・と話して
http://hayabusa-3.dreamlog.jp/archives/51220886.html
昭和30年頃の炭鉱住宅街、浜町の様子です。大島の中では、もっともその面影が残っている場所ですが、さすがに時代は移っているようです・・・家の基本構造は変わっていないのですが、壁を直したり、増改築されている家が多くなっています。壁をトタンなどで、覆うお宅も多かった
http://orange.zero.jp/zbc54213.wing/oosima-tankoo01.html
HOME長崎県西海市大島町大島炭鉱撮影:2009年12月大島炭鉱は正式名称を”松島炭鉱株式会社、大島鉱業所”と言う。その名の通り大島の南に位置し度重なる出水事故に悩まされ閉山になった松島炭鉱のことである。大島で石炭が発見されたのは江戸時代後期といわれている。明
http://kyuragi2011.blog.fc2.com/blog-entry-99.html
長崎県西海市。日本一島が多い県であり、炭鉱島も数多く存在する。ヤマという言葉よりシマと言った方がしっくり来そうな地域である。今回紹介する松島炭鉱大島鉱業所も島に築かれ、独特の情緒を醸し出す。大島に到着後まず目についたのが巨大な体育館。従業員の福利厚生、集会等で
http://blog.goo.ne.jp/peugeotamu/e/b40dd755cf7b3b7ee205f3918b22c183
さて大島炭鉱については三井松島産業が出している「三井松島産業100年の礎石」に詳しいので、当ブログでは割愛させていただきます。現役であった頃の写真も含めて、大島のみならず、松島や池島についても記載があります。大正6年に一旦開坑するも1932年に大量の出水により
https://sites.google.com/site/ikeshima20/ikejima-tankou-enkaku/ooshima-kougyou-sho
松島炭鉱株式会社(*1)大島鉱業所沿革もどる現在の大島の様子(造船所)松島炭鉱株式会社(現:三井松島産業)は、二度の出水事故の影響で松島坑での採掘を断念し、昭和10年に大島に拠点を移した。大島は、長崎県西彼杵半島の西方、約4kmの海上に位置する、面積13.29
http://hasiru.net/~maekawa/mine/sakito/osima.html
松島炭鉱㈱慰霊塔長崎県西海市大島町中央地区大島は、長崎県西彼杵(にしそのぎ)半島の西方海上約4kmに浮かぶ離島であったが、平成11年11月11日、11時11分11秒に「大島大橋」(全長1,095m)が開通し、本土と陸続きになった。昭和10年5月、松島炭鉱㈱が大
https://sites.google.com/site/ikeshima20/st0/stoshima
もう西彼杵郡の大島に炭坑があったことを知らない人もいるかもしれません。松島炭鉱大島鉱業所が閉山したのは昭和45年のことでした。このページの写真が撮影されたのは昭和二十年代です。左上の写真が大島鉱業所二抗、右下がその抗口の様子です。現在の○合丘団地付近なのだとか
http://blogs.yahoo.co.jp/kazu7046/6067506.html
大島ツーリングの最後は、島内に残る廃墟を紹介したいと思います。大島は昔、炭鉱で栄えた島でした。今でこそ、行楽施設や観光名所が充実して来ていますが、少し目を遠くへ向けると、炭鉱当時のアパートや施設が廃墟となって残っています。(画像1枚目)子供の頃に来た時は廃墟群