陸軍清洲飛行場 概要・歴史

清洲飛行場(きよすひこうじょう)は愛知県あま市にあった旧陸軍の航空基地。甚目寺飛行場とも呼ばれていた。

1944(昭和19)年に現在のあま市・清須市・稲沢市にまたがる約200haの土地に建設された。収穫間近な小麦を引き抜いて捨てるほどの急な工事により10月に完成。飛行第五戦隊が配属され、終戦までの間に20~30名が戦死した。

戦後、一帯は農地として再び開拓され、ほとんど痕跡は見られないが、地図位置に作戦室跡のコンクリート遺構が半ば埋もれる形で残っている。

作戦室跡は農地内に位置し、無断で立ち入ることはできないが、許諾を得て接近見学することは可能である。

甚目寺公民館敷地内には、開拓記念碑が建てられている。

状態
2019年02月19日 更新

物件は管理されており、無断侵入や破壊・損壊行為、物品の持ち出し等は法的に禁じられています。航空写真・ストリートビューからの鑑賞を強く推奨します。また周辺地域を訪問される場合でも、公道上から外見のみを見学し、地域の方々に迷惑となる行為は厳に慎まれるようお願い致します。情報は最新の状態を反映しているとは限らず、リニューアル・再生されている場合もあります。当サイトの情報は物件の歴史的に一時的な状態を示しているのみです。また、不使用施設以外の味わい深い施設をおことわりの上紹介している場合がありますのでご注意下さい

陸軍清洲飛行場 住所

愛知県あま市石作北浦

陸軍清洲飛行場 種類

軍事施設・戦争遺構

陸軍清洲飛行場 画像・写真

陸軍清洲飛行場
陸軍清洲飛行場の作戦室跡
陸軍清洲飛行場
農地内に唐突にコンクリート遺構が残る
陸軍清洲飛行場
農地所有者の方によると、福田川の東側にあった飛行場から離れたこの位置に作戦室が作られたのは、空爆を避けるためだったのでは、とのこと
陸軍清洲飛行場
現在、内部にはゴミが放置されている
陸軍清洲飛行場
戦時を覚えていらっしゃる所有者の方によると、戦後間もない頃は子どもが中に入って遊べたという
陸軍清洲飛行場
短期間で突貫工事で作られ、終戦時に完成が間に合わなかったのでは、とのことである
陸軍清洲飛行場
陸軍清洲飛行場
陸軍清洲飛行場

陸軍清洲飛行場 ストリートビュー・空中写真

陸軍清洲飛行場 スポット

陸軍清洲飛行場 ブログ・リポート

清洲飛行場作戦室跡
http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/owari/owa015.htm
清洲飛行場作戦室跡(きよすひこうじょうさくせんしつあと)昭和時代尾張清洲飛行場があった場所清洲飛行場作戦室跡(中央の石造物)あま市石作北浦(名鉄甚目寺駅下車徒歩15分)清洲飛行場は,1944(昭和19)年,内務省土木部から関係
陸軍清洲飛行場跡
http://www.geocities.jp/skegfirst/kiyosuhikoujyou.html
陸軍清洲飛行場跡2009年4月訪問愛知県は甚目寺町。東名阪自動車道が貫く広大な田園地帯にかつて陸軍の飛行場がありました。周辺地域では甚目寺飛行場と呼ばれていたこの飛行場。正式には清洲飛行場といいます。東海地区を中心とした中部地方へ爆撃にくる米軍爆撃機B-29を
愛知県 陸軍清洲飛行場 -underZero-
http://underzero.net/html/tz/tz_466_1.htm
陸軍清洲飛行場その1(甚目寺町大字石作字北浦2009/6)昭和19年10月、内務省からの作業を引き継ぎ、第百五十野戦飛行場設定隊により建造された飛行場。完成後は飛行第五戦隊が名古屋北部の防空任務を担った。ほぼ同時期に建設された小牧飛行場は戦後米軍に接収された後
陸軍清洲飛行場 作戦室跡 : -廃虚日常記録帳-
http://blog.livedoor.jp/kuubohosiina/archives/39415663.html
愛知県あま市かつてこの周辺には、陸軍清洲飛行場がありました。今ではほとんど消失しましたが、作戦室が残っていると知り行ってきました。(2014.3)住宅に囲まれた畑を進むと見えてくるまるで船のようだ!東から見ると種明かし南には銃眼ぽい穴蔦がすごい3月でコレだ!夏
おヒマな中年二輪愛好会 10.1123 陸軍清洲飛行場・・・復習
http://mat0213.blog17.fc2.com/blog-entry-871.html
まず、「陸軍清洲飛行場」の概要を述べておこう「陸軍清洲飛行場」は、太平洋戦争末期の昭和19年春関係地主へ対して否応なしの一方的な宣言により、飛行場の建設が始まった当時日本における土木技術は低くブルドーザー・キャリオールなど重機は、海軍が持ち帰った米軍のものを使

ピックアップ廃墟