清洲飛行場(きよすひこうじょう)は愛知県あま市にあった旧陸軍の航空基地。甚目寺飛行場とも呼ばれて...

陸軍清洲飛行場

陸軍清洲飛行場 概要・歴史

清洲飛行場(きよすひこうじょう)は愛知県あま市にあった旧陸軍の航空基地。甚目寺飛行場とも呼ばれて...

陸軍清洲飛行場 画像

陸軍清洲飛行場の作戦室跡(2019年2月)
農地内に唐突にコンクリート遺構が残る
© 2019 廃墟検索地図 転載禁止
現在、内部にはゴミが放置されている
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農地所有者の方によると、福田川の東側にあった飛行場から離れたこの位置に作戦室が作られたのは、空爆を避けるためだったのでは、とのこと
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戦時を覚えていらっしゃる所有者の方によると、戦後間もない頃は子どもが中に入って遊べたという
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短期間で突貫工事で作られ、終戦時に完成が間に合わなかったのでは、とのことである
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近くのスポット

陸軍清洲飛行場 ストリートビュー・空中写真

陸軍清洲飛行場 関連ブログ・参考リンク

http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/owari/owa015.htm
清洲飛行場作戦室跡(きよすひこうじょうさくせんしつあと)昭和時代尾張清洲飛行場があった場所清洲飛行場作戦室跡(中央の石造物)あま市石作北浦(名鉄甚目寺駅下車徒歩15分)清洲飛行場は,1944(昭和19)年,内務省土木部から関係
http://www.geocities.jp/skegfirst/kiyosuhikoujyou.html
陸軍清洲飛行場跡2009年4月訪問愛知県は甚目寺町。東名阪自動車道が貫く広大な田園地帯にかつて陸軍の飛行場がありました。周辺地域では甚目寺飛行場と呼ばれていたこの飛行場。正式には清洲飛行場といいます。東海地区を中心とした中部地方へ爆撃にくる米軍爆撃機B-29を
http://underzero.net/html/tz/tz_466_1.htm
陸軍清洲飛行場その1(甚目寺町大字石作字北浦2009/6)昭和19年10月、内務省からの作業を引き継ぎ、第百五十野戦飛行場設定隊により建造された飛行場。完成後は飛行第五戦隊が名古屋北部の防空任務を担った。ほぼ同時期に建設された小牧飛行場は戦後米軍に接収された後
http://blog.livedoor.jp/kuubohosiina/archives/39415663.html
愛知県あま市かつてこの周辺には、陸軍清洲飛行場がありました。今ではほとんど消失しましたが、作戦室が残っていると知り行ってきました。(2014.3)住宅に囲まれた畑を進むと見えてくるまるで船のようだ!東から見ると種明かし南には銃眼ぽい穴蔦がすごい3月でコレだ!夏
http://mat0213.blog17.fc2.com/blog-entry-871.html
まず、「陸軍清洲飛行場」の概要を述べておこう「陸軍清洲飛行場」は、太平洋戦争末期の昭和19年春関係地主へ対して否応なしの一方的な宣言により、飛行場の建設が始まった当時日本における土木技術は低くブルドーザー・キャリオールなど重機は、海軍が持ち帰った米軍のものを使