葡萄鉱山は新潟県村上市(旧・朝日村)にあった鉱山。 嵯峨天皇の頃に白銀が採掘されたと伝わる。徳川...

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名称 葡萄鉱山
住所 新潟県村上市蒲萄
種類 廃鉱・採石場跡
新潟県の廃鉱・採石場跡
スコア
★★★★★★ 42
現況 現存
評価 ■■

葡萄鉱山 概要・歴史

選鉱場跡が森に埋没

葡萄鉱山は新潟県村上市(旧・朝日村)にあった鉱山。

嵯峨天皇の頃に白銀が採掘されたと伝わる。徳川時代には村上藩が稼行したという。

1907(明治40)年に長谷川久太郎氏が再発見、開発が始まり、1917(大正6)年に葡萄鉱山(株)が設立される。鉛・亜鉛が主に採掘された。

1942(昭和17)年に日本曹達(株)に経営が委任され、1945(昭和20)年に同社に吸収されるも、戦後の1947(昭和22)年に再び独立している。

1955(昭和30)年に朝日鉱山(株)買収。1960(昭和35)年に閉山した。

選鉱場跡、坑口跡や堆積場跡などの遺構が残るが、ほとんど森に没している。

(※参考:『新潟縣葡萄鑛山鉛亞鉛鑛床調査報告』(伊藤昌介、産業技術総合研究所地質調査総合センター、1950年))

葡萄鉱山 画像

葡萄鉱山跡(1970年5月)。選鉱場跡らしき施設が確認できる
葡萄鉱山跡(1970年5月)。選鉱場跡らしき施設が確認できる
©国土地理院
『新潟縣葡萄鑛山鉛亞鉛鑛床調査報告』(伊藤昌介、産業技術総合研究所地質調査総合センター、1950年)より
『新潟縣葡萄鑛山鉛亞鉛鑛床調査報告』(伊藤昌介、産業技術総合研究所地質調査総合センター、1950年)より

近くのスポット

葡萄鉱山 ストリートビュー・空中写真

葡萄鉱山 関連ブログ・参考リンク

柵の向こう側 葡萄鉱山
http://pulam.blog.fc2.com/blog-entry-22.html
例のごとく、詳しい場所など分からずに、とりあえず来てみた(汗当時の地図。現在の地図と比べても、大体の位置しか分からない。なんせ手書きに近いので、距離がアバウト!道路も現在とは、全く違う。選鉱場跡へ来た。朽ちかけた門が、出迎えてくれる。施設が残っているとの情報だ
葡萄鉱山(新潟県)
http://www.ja7fyg.sakura.ne.jp/kouzan/budo/budo.html
葡萄鉱山新潟県岩船郡朝日村熱水鉱脈鉱床葡萄鉱山は、明治時代に開発され鉛・亜鉛を目的に東邦亜鉛が採掘した鉱山で最盛期は600~700人の規模であったと伝えられ良質の方鉛鉱・閃亜鉛鉱を産出したが昭和35年(1960)閉山となった、現在は山林となりつつあり選鉱場跡、
葡萄鉱山跡
http://mikkun.yu-nagi.com/07min/018budo.html
葡萄鉱山跡葡萄鉱山跡岩船郡朝日村の葡萄鉱山を見てきました。今は村上市ですか・・・そうですか・・・ここはいつから掘っていたのかな?慶長二年(1597年)の絵図には描かれていませんが、その後の元和六年、(1620年)の文書には記載があるそうです。葡萄鉛山と呼ばれて
葡萄鉛鉱山跡/村上市 - 新潟県北部の史跡巡り - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/rekisi1961/52931169.html
葡萄鉛鉱山選鉱場跡選鉱場の石垣在りしの葡萄鉛鉱山(朝日村史より)在りしの葡萄鉛鉱山(朝日村史より)精錬所跡の基礎草が生えない位夥しい量の精錬滓溶岩が溶けたような精錬滓(からみ)葡萄鉛鉱山跡は、村上市大字葡萄にある。葡萄川の谷に面している。いつ頃から開発されたか
葡萄鉱山(朝日村)
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/15.Niigata/Asahi_Budo-mine.html
蒲萄(ぶどう)鉱山 ※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「勝木」(昭和22.3)を使用したものである所在:村上市蒲萄地形図:蒲萄/勝木異表記:葡萄鉱山(碑文等)形態:川沿いから山中にかけて家屋や施設が集まる標高:約110m(北側の建物群)訪問