油戸隧道、旧油戸南隧道(旧油戸トンネル北・南)は山形県鶴岡市の廃隧道。 油戸隧道は1941(昭和16)...

油戸隧道、旧油戸南隧道

油戸隧道、旧油戸南隧道 概要・歴史

油戸隧道、旧油戸南隧道(旧油戸トンネル北・南)は山形県鶴岡市の廃隧道。 油戸隧道は1941(昭和16)...
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油戸隧道、旧油戸南隧道 関連ブログ・参考リンク

http://www.hotetu.net/zuidouhaidou/121028yutozuidou.html
更新日時2012年11月04日油戸隧道:油戸漁港は、地方港湾加茂港の南西約3kmの地点に位置し、子持鼻崎と鉄砲崎で湾を形成している天然型の良港である。背後に油戸炭鉱があったことから藩政時代は佐渡金山で精錬用に用いる粘結炭の搬出と、加茂港の副港として一般貨物の出
http://www42.tok2.com/home/ht990/link5.htm
その五油戸隧道(鶴岡市油戸)鶴岡市油戸地内の海岸縁に二本のトンネルがあり、集落を通過する車を流しているが、二本のトンネルそれぞれに並行して旧隧道が存在する。油戸南隧道南隧道南口南口近景向こう側を覗くと北口の光が見える南隧道北口の旧道埋められた北口旧油戸南隧道は
https://yamaiga.com/tunnel/aburato.html
旧 油戸北・南隧道海鳴りの隧道山形県鶴岡市 油戸 山形県主要地方道50号『藤島由良線』は、日本海に沿って国道121号線と国道7号線とをバイパスする路線だ。僅か8km足らずの路線だが、『庄内夕日街道』の愛称を有し、湯野浜温泉に加茂水族館、由良海岸などの観光地を起終点及び途中に有する観光路線である。その歴史も古い。 そして、丁度その中間点付近にある油戸は、沿線唯一の人里であり、1957年まで同名の石炭鉱山が稼動する地であった。この集落の前後の海岸線は懸崖であり、そこにはそれぞれ一本ずつの隧道が穿たれている。現在利用されている物は、二代目であり、付近に廃隧道が残されている。これを紹介しよう。 2003年2月6日。海岸線の積雪は少ない、しかし海風は猛烈であり、その気温は零下を下回っている。この状況での山チャリは、想像を絶する困難を伴う。しかし、東北の冬の山チャリの舞台など、海沿いや都市部しか残されていないのだ。 主要地方道50号線に入り、うねうねと進路を変える海岸線に沿って走ると、強烈な海風が時には逆風に、時には順風になった。油戸集落が近付き2門のスノーシェードに入ると、まるで風洞の中を風に逆らって進む苦痛がマックスに達した。この体感風速は一体どれほどであろうか…、20m??まっすぐ進めないほどの風というのは、久々だった。 どことなく未来的な内部の構造。ナトリウムネオンのほかに、天窓から採り込んだ光も路面をより明るく照らしている。このスノーシェードは、夏でも横風や飛沫から道を守る役目がありそうだ。竣工は、平成6年である。 連続する2本のスノーシェードの総延長は約1kmほどある。逆風に耐え、苦しみに塗れたスノーシェードを抜けると、その先には海に向けて突き出した小さな半島が現れた。切り立った半島の付根には一本のトンネルが見える。これが、油戸トンネルだ。 1973年竣工の油戸トンネルである。余り新しいとはいえないトンネルだが、これが現道である。延長は123mだ。そして、このトンネルのすぐ左隣の岩盤に、もう一つの穴がある。 これが、その姿だ。そして、これこそが油戸北隧道…廃隧道だ。...0kmと離れてはいない。ただ、海岸の背後にそそり立つ急峻な山岳に隔てられ、その往来は容易ではないが。距離的には都市から近い、このような僻地の生活が、これは単純な好奇心によるものなのだが、気になる。 集落の様子。背後の山々にかつては石炭を産する鉱山があった。現在では、当時の痕跡は殆ど失われたと聞くが。この山並みの向こうには、鶴岡の市街地が広がっている。想像しがたい。 さて、本題の戻ろう。さきほど、引き返しを余儀なくされた旧隧道の、油戸側坑門を探索しよう。それは、すぐに発見された。現道の坑門とは、30mくらいしか離れておらず、やはり隣り合った位置にある。 すっかり埋没してしまった坑門。簡単なつくりだが、コンクリートの坑門が設置されている。そして、あそこに見える、小さな白い物は…? おお、これは扁額だ。小さいぞ、猛烈に。これじゃ、民家の表札だ。「油戸隧道」…、この名称は正式な名なのだろうか?おなじみ、『山形の廃道』サイト提供の「隧道リスト」によれば、これこそ「油戸北隧道」とされるものだ。対になるように存在した「油戸南隧道」は、北隧道の翌年の竣工であり、北隧道竣工時には、油戸隧道に南も北も無かったのだろうか。ちなみに、この油戸北隧道の竣工は、昭和16年だ。 隙間から内部を覗き込むと、遥か彼方に青っぽく小さな坑門が見えた。なんとも、寂しい景色だ。   油戸北隧道竣工年度 1941年  廃止年度 1973年  延長 119m   幅員   3.0m    高さ  4.0m油戸集落側の坑門は人為的に埋められており、通り抜けは出来ない。現在は微かに光を通すのみである。 油戸北隧道の探索はこれにて終了。次は、南隧道だ。じつは、この隧道、これまでのレポートで使用した写真にも写っている。現道のほうだが。後編へ当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口このレポートの最終回ないし最新の回の「この位置」に、レポートへのご感想など自由にコメントを入力していただける欄と、いただいたコメントの紹介ページを用意しております。あなたの評価、感想、体験談など、ぜひお寄せください。【トップページに戻る】2003.7.7
https://yamaiga.com/tunnel/aburato_2.html
旧 油戸北・南隧道海鳴りの隧道山形県鶴岡市 油戸 油戸集落の南には、その名も油戸南隧道がある。つぎは、こちらを紹介したい。 小さな湾になっている油戸から、主要地方道50号線をさらに南下。逆風に苦しめられながらも、まもなく一本のトンネルが現れる。1985年竣工の油戸南トンネルだ。突き出した岬の先端をくり貫いた、僅か80mのトンネルである。トンネル全体が非常に急な右カーブになっている。 そして、このトンネルの右にもアスファルトの路面が続いている。舗装はまだしっかりとしており、白線も残っている。ただ、雪が吹き溜まっていて、通る者は無い様子だ。 湾の反対側の半島の姿。うーーーん、いい景色だ。これは、私の中では北海道のイメージだ。行った事は無いのだが…。秋田にも男鹿半島という海岸の景勝があるが、そことは全く違う景観である。 さて、再びアスファルトの続きに目を向けよう。そこには、もう道は無い。残念ながら、旧隧道は既に埋められた後であった。素掘りの隧道があったようだが、瓦礫の山に入り口はふさがれている。 瓦礫によじ登り、天井との間にある僅かな隙間にカメラを差し込んで撮影してみた。非常に短い隧道だったようだが、瓦礫やゴミが奥まで詰まっている。すでに、用の無くなった隧道は無残にも埋められてしまったようだ。 現トンネルをくぐり、反対側に進んだ。岬の突端の細い部分を貫いている様子がよく分かる。旧道は左の防波堤の向こうに隔離されており、アクセスは困難である。 これが、油戸南隧道の南側の坑門である。この隧道は1985年まで利用されており、まだ前後の路面には当時の痕跡が色濃く残っている。素掘りのままの隧道とのミスマッチが面白い。残念ながら、よく見ないとここに隧道があったことが分からないほどに埋没しているが。しかも、隧道上部の岩盤は風化が進み、大変に危険な状態である。家一軒ほどもあるような巨岩が、隧道上部にゴロゴロとしている。また、一部ガードレールが流出している箇所は、一体どうしたのだろう。波濤の影響だろうか。いずれにしても、この隧道は長く使い続けることが出来ないものだったと思われる。 私はここで、自然の驚異といってよい現象に遭遇した。猛烈な海風によって、本来は天から降る雪が、海面から上空へ向けて吹き上がったのだ。写真に無数の白い斜線として写った雪は、左下から、右上に向けて移動した残影だ。この映像は、いずれ公開しよう。   油戸南隧道竣工年度 1942年  廃止年度 1985年  延長 23m   幅員   3.5m    高さ  4.0m大変短い隧道だったが、内部一杯に瓦礫が充填されており、通行不能。僅かに反対の明かりが見える。 これにて、油戸集落を取り囲む2本の廃隧道の探索を終了する。2003.7.8コメント投稿欄感想、誤字指摘、情報提供、つっこみ、なんでもどうぞ。「読了」の気軽な意思表示として空欄のまま「送信」を押していただくことも大歓迎です。頂戴したコメントを公開しています→コメント公開について 公開OK  公開不可!     送信回数 149回このレポートの公開中コメントを読む【トップへ戻る】