峰之沢鉱山(みねのさわこうざん)は浜松市天竜区龍山町(旧・磐田郡龍山村)にあった鉱山。 峰之沢地....

峰之沢鉱山

峰之沢鉱山 概要・歴史

峰之沢鉱山(みねのさわこうざん)は浜松市天竜区龍山町(旧・磐田郡龍山村)にあった鉱山。 峰之沢地....

峰之沢鉱山 画像

峰之沢鉱山(2023年6月)
© 2023 廃墟検索地図 転載禁止
ほとんど緑に飲み込まれたコンクリートアパート
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銅鉱石積み出し施設
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中に木々が茂っている
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施設は木材関係の事業所に転用されている
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©国土地理院
©国土地理院
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『産業遺産研究』(産業遺産研究編集委員会、中部産業遺産研究会、1999年5月)より
『産業遺産研究』(産業遺産研究編集委員会、中部産業遺産研究会、1999年5月)より
『産業遺産研究』(産業遺産研究編集委員会、中部産業遺産研究会、1999年5月)より
『産業遺産研究』(産業遺産研究編集委員会、中部産業遺産研究会、1999年5月)より
『産業遺産研究』(産業遺産研究編集委員会、中部産業遺産研究会、1999年5月)より

峰之沢鉱山 動画

近くのスポット

峰之沢鉱山 ストリートビュー・空中写真

峰之沢鉱山 関連ブログ・参考リンク

http://kouchan0129.cool.ne.jp/01tenryukawa.html
今は廃坑になった峰之沢.
http://pal19951001.web.fc2.com/zakki/kinjyo.html
名称: 峰之沢鉱山跡 実は何も知らないで5年位前に友人とオフロードバイクでこの あたりの林道をひとつづつ入っていったときに、偶然この鉱山アパート跡を でもこの道 のちょっと先には山中に墓場があるし、廃坑や廃墟といい、なんか悲しいところです。
http://yama-machi.beblog.jp/sakumab/2011/04/post-eb0f.html
峰之沢鉱山の遺構として、本坑口跡の上に残る鉱員住宅はよく知られています。1枚めの写真は、天竜川対岸の青谷から望む下平山の風景ですが 厳密に言えば「廃鉱石」? 「鉱山には演芸場もあってね、(小唄)勝太郎なんかも来
http://shige1973.seesaa.net/article/363140134.html
呪われた廃坑. 130523_1144~020001.jpg 130523_1202~010001.jpg 130523_1242~020001.jpg 今日は、事前にインターネットで調べた、天竜川沿いにあると思われる、峰之沢鉱山跡地まで、バイクで行って来ました 顔1(うれしいカオ)
http://ameblo.jp/6blogs/entry-11696360221.html
6Frogs - 毎日をデザインで考える- 廃虚 廃屋 廃校 鉱山 廃村 秘境 登山. 6Frogs - 行ってみたら凄かった。 │ 廃墟や廃村、秘境. 一服中の農業のおっちゃんと軽トラを颯爽と駆る森林管理のじいちゃんに案内され、熾烈を極めた藪漕ぎを越え、 
http://www.geocities.jp/kashii_gannyuu/index.minenosawa.htm.htm
静岡県西部にあった鉱山。近くの久根鉱山とともに銅を産出していた。他の多くの鉱山と同じように、太平洋戦争前後の一時期はとても賑わったようだ。しかし採掘量の減少などから昭和44(1969)年に閉山。現在では2棟の鉱山社宅とコンクリートの選鉱場跡などが残るのみとなっ
http://kaede472.web.fc2.com/ruins02_333.htm
峰の沢鉱山社宅ずっとい行きたかった峰の沢鉱山社宅でも、行こうと思った時には「もう埋まってるよ」と言われた。埋まってしまったら仕方ない。諦めよう・・・そう思って何年もここに行かないでいた。ふとしたキッカケでここに行こうと決めてその想いがようやく果たせた。2棟の社
http://neonats.blog.fc2.com/blog-entry-69.html
西部地区【探索日】2004年4月合同探索:itou様、みっと様静岡県西部を流れる天竜川のほとりに銅を産出した鉱山が2つあった。その一つ峰之沢鉱山。最盛期鉱山関係者は1万人を越えていたが、昭和44年(1969年)閉山。今は、秋葉湖に積み出し用の施設跡が残されてい
http://yoshio-niikura.cocolog-nifty.com/tanabota/2013/11/post-706f.html
これまで全て解体、めぼしい遺構はないとみられていた峰之沢鉱山(浜松市天竜区)のインクライン。再度の調査でついに発見してしまった。森の中を彷徨いながら、こんな素晴らしい遺構に巡り会ったその感動がわかるだろうか。わからないよね。なおこれにより以前書いた「対岸からイ
http://ruin-explorer.com/haikyo001/haikyo01.html
峰の沢鉱山廃墟鉱山廃鉱坑道地下グリーンフィールド遺構調査機構トップへ戻る峰の沢鉱山鍾乳洞トンネル廃墟鉱山廃鉱坑道地下
https://blog.goo.ne.jp/amamiyatomohiko/e/15ee0026394f1cf0a45e8beaf9a3e228
あるはま(歩く浜松)2 旧「峰之沢鉱山」の銅鉱石積み出し施設 <天竜区龍山町下平山> 最初、車で行きに通り過ぎたときには説明もしてくれたのですが、こんなに巨大な施設とは気づきませんでした。 やはり、車から降りて、歩かないとだめですね。  それと、大勢で行ったので、たくさんの目と口で「ここは何だろ?」「ここに金属の輪がまだ残っているよ」「あの林の奥もそうですね」など、いろいろ発見があり、検討ができておもしろいです。 これは、「雨宮日記」で紹介した「銅鉱石を貯めてトラックに積み替えたコンクリの巨大な施設」です。 写真の両側にも同じようなコンクリと石の施設が広がっています。
http://orange.zero.jp/zbc54213.wing/minenosawa-01.html
HOME   静岡県浜松市天竜区龍山町下平山  峰乃沢鉱山 Photo:2010.11  (1/1)   ●採掘金属 : 銅●経営企業 : 久原鉱業(→日本鉱業→日鉱ホールディングス)  峰之沢鉱山は戦国時代の武田信玄の命により発見された金山と言われているが江戸時代に入ってからの金山との説もある。当時の採掘模様が分かる”金山地蔵”や”女郎塚”というものが現地にあるらしいがどこか分からなかった。開発の歴史は明治に入ってしばらく後、江戸時代以来の採掘が始まるが採掘者の詳細は不明。その後は,・1907年(M40):久原鉱業が鉱業権を取得。・1912年(T1) :この頃には茨城の日立鉱山開発の経験もあり機械化を進め職員数も増え出鉱量が年産3万トン近くにも           なる。・1920年(T9) :鉱山にて大規模火災発生。しばらく操業停止。・1934年(S9) :操業再開。時代は大陸侵略に邁進しようとしているさなか(この3年前満州事変)、政府、軍部にとって地下           資源は喉から手が出るほど欲しい状況、増産に次ぐ増産(まもなく’39年ヨーロッパで第二次大戦始まり           満州でもノモンハン事件勃発)。・1942年(S17):前年の開戦により金属の増産が叫ばれていたがこの年、選鉱場が完成。これで粗鉱5000トン/月の処理           が可能に。引き続き粗鉱倍増計画を立案。同時に戦線悪化に伴い前線に徴用される坑夫が増え欠員補充           に朝鮮半島からの強制連行者が増え始める。・1945年(S20):年初にまた大規模火災発生。休山に。8月終戦。・1950年代半ば:戦後の混乱期を脱し戦後復興にまい進。戦災で焼け野原になった日本はあらゆる方面で物資が不足。イン           フラ整備やその他で金属、中でも銅、鉄、鉛、亜鉛などはいくらあっても足りない状況。増産に次ぐ増産でこの           頃が平和な時代での同鉱山最盛期で従業員数700人にも達し全鉱山人口はその数倍にも達したという。そ           れだけの人々がこの平地の少ない山間に住んでいた...があるのだがこれがそのひとつ。持参の農耕用の鎌で藪こきして上がろう     としたが歯が立たず無理だった。林業用のなたでないと無理だ。しかし錆びてはいるがきちんと手摺も付いている。●L写真:2号棟の”2”の数字が読める。屋上の金網も遠くから見る限りはしっかりしているようだが・・・しかし急な斜面に建てたアパ     ート、居住性はどうだったんだろう。何処へ行くにも急な登り降りだから生活自体が大変だったと思う。足腰は鍛えられるか     もしれないが・・・●M・R写真:見れば見るほど”天空の城”ならぬ”天空の町”である。よくも暴れ川と言われた天竜川沿いの急峻な山の急斜面に住      宅を建てられるものだ。住めば都とは言うが。春や秋など季節のいい時はいい眺めだろうが反面、大雨など天気の悪い      時などは怖くなるのでは。●L写真:やはりこんな当時を彷彿させる遺構があった。なんのパイプかは分からない。●M写真:バックの山がなければまさに閑静な木立の中のマンションという感じなのだが・・・。●R写真:昔懐かしい換気扇。省電力ならぬ無電力。いや「風力換気扇」と言うべきか。今普及すべきでは。●L写真:途中にはこんなものが。重力式濾過装置制御盤。●M写真:だいぶん上部に来たがここも一面茶畑。●R写真:茶畑の向こうの斜面にはかつて鉱山病院があった(茶畑で働いていたおばさん曰く)。つまりこのあたり一帯すべて鉱山の作業場だ     ったということである。今はご覧のとおりだ。今は製材所になっているがここがかつての選鉱所。●L写真:製材所となりの実に時代を感じさせる何か分からない遺構。選鉱所の関連施設だとは思うが。●M・R写真:天竜川に架かる鉱山時代のインクライン(傾斜鉄道、ケーブルカーみたいなもの)の橋脚らしいがどうも小生が調べた限り位置      的にちょっと違うような気もするのだが・・・では何か、と聞かれると???です。●L写真:天竜川に架かっている瀬尻橋。●R写真:旧国鉄時代のバス停「日入沢口」。このバス停は生きているのか死んでいるのか・・・不明。バス停の上部の山の中が鉱山     地域になる。      (1/1)     HOME    >おしまい<    >おつかれさま<
https://yamaikitai.hamazo.tv/e9353132.html
峰之沢鉱山を探索してきました。山いき隊に就任してからすぐに名前だけは聞いていたのですが、なかなか実際に行くことができず。今回ようやく念願かなってです。峰之沢鉱山といっても、現在は閉山。今回訪れたのは、当時建てられた鉄筋アパートのひとつです。
http://lost2011.blog.fc2.com/blog-entry-1662.html
山間部を流れる天竜川、その川面を遙か眼下に見下ろす高所にあった峰之沢鉱山。斜面にはかつての鉱員住宅跡が残されており15年以上前に一度だけ訪れたことがある。それ以外にはめぼしい痕跡はないと考えていた鉱山だったが下界とを繋いでいたインクライン(斜面軌道)の痕跡が残されているとしばらく前に聞いた。深い森の斜面に橋脚のような建造物が残されているようでこのようなものが人知れず眠っていたことに驚かされ草木が枯れ果てる冬を待った。姉川発電所訪問時も書いたが【LINK】、森の遺構は木漏れ日によって撮りづらいことこのうえないので太陽光が遮られる曇りの日を選んだ。
峰之沢鉱山 関連ワード