清越鉱山(せいごしこうざん、清越金山)は、静岡県伊豆市にあった金山。「清○金山」等として紹介されて...

清越鉱山

清越鉱山 概要・歴史

清越鉱山(せいごしこうざん、清越金山)は、静岡県伊豆市にあった金山。「清○金山」等として紹介されて...

清越鉱山 画像

清越鉱山( 1976年11月)
©国土地理院

近くのスポット

清越鉱山 ストリートビュー・空中写真

清越鉱山 関連ブログ・参考リンク

http://www.funkygoods.com/hai/seikoshi/seikoshi.html
清越金鉱山の選鉱場前広場は、地元の土建会社が資材置き場として利用しており、 一見現在も稼動しているかのように見える。しかし、その奥にある選鉱場の建物は、 ガラスも割れ廃墟の様相を呈している。選鉱場へは、資材置き場の右側からアプローチ する。
http://www.arakawas.sakura.ne.jp/backn011/seigoshi/seigosh1.html
伊豆はかつて金鉱山がたくさんあったが、現在では金の採掘を行っている施設は無い。 天正金鉱を訪れたついでに、伊豆の金鉱跡3箇所に立ち寄ることにした。 【清越鉱山跡】. 昭和62年(1987年)に閉鎖した、伊豆最後の金鉱山。→地図. 天城湯ヶ島(現・伊豆
http://flarestack.blog99.fc2.com/blog-entry-129.html
2011年1月11日 廃墟、工場の写真やイラスト、その他どうでも良い日記などを公開していく自己満足 ブログ. 清越鉱山その1 ・ DSC_7404_20110111000228.jpg 大仁金山からの続き。 金山跡を後にし、目指すは伊豆の廃鉱山の中でも有名な清越鉱山。
http://flarestack.blog99.fc2.com/blog-entry-131.html
2011年1月24日 廃墟、工場の写真やイラスト、その他どうでも良い日記などを公開していく自己満足 ブログ. 清越鉱山その3 ・ DSC_7450.jpg 清越鉱山その3 倉庫(事務所?)の奥には 坑道の入口があります。 DSC_7462.jpg 軌道も残っていますね。
http://kaede472.blog118.fc2.com/blog-entry-186.html
2011年2月26日 楓:廃墟の美学 特別編 (09/16) ・ ムリムリ:清越鉱山 (02/26) ・ 楓:ホテルアムール (01/ 28) ・ 楓:尾去沢鉱山 (01/28) ・ ムリムリ:尾去沢鉱山 (01/26) ・ ムリムリ:ホテルアムール (01/22) ・ :奥多摩ロープウェイ (01/12) いかにも廃坑感あるし
http://haikyotabi.blog33.fc2.com/blog-entry-35.html
木造建築が織りなす夢のような廃墟空間 清越金山. IMG_3627_R.jpg 場所は静岡県西伊豆、やはり廃墟半島はだてではなかった。 今回紹介するのは、「清越金山」である。伊豆半島には金山がいくつか存在する。その中のひとつだ。
http://damakozo.web.fc2.com/photo/seikoshi.html
同じ静岡県だというのにこのアクセスの不便さ。 そんな困難を乗り越えやってきたのは 土肥町に存在するこの清越鉱山。 既に廃鉱、ではなく休鉱状態のこの廃墟は、案外 簡単に見つかった。 土肥から修善寺へ抜ける136号線を走りすぐ右側に見える大きな キノコ
http://ruin-explorer.com/seigoshi/seigoshi1.html
清越鉱山 金山 鉱山 廃鉱 坑道 地下. 金山坑道. 撮影日 2007年8月. 当鉱山は,昭和6年(1931)に坂田勇氏が1号脈の貧弱な露頭を 発見し、土井彦太郎氏により試掘中であつたものを昭和9年(1934) に某鉱山会社が買収し、○○鉱山の支山として探鉱し
http://ameblo.jp/airitakashi/entry-10376586141.html
廃鉱山です。廃墟の中でも最高に好きなジャンルです中はかなり朽ちていて危険です。懐かしい電話。スズメバチの巣が天井からぶら下がっていました
http://blog.livedoor.jp/kurobee_ruins/archives/6427541.html
2010年4月30日探訪。伊豆にはいくつかの金鉱山が点在しているが、そのひとつが木造選鉱所で有名な清越金山である。昭和7年に中外鉱業が清越金山を取得、開発を進めたが、昭和62年に休山となった。※2011年9月下旬~10月上旬頃解体されました。
http://www.geocities.jp/kashii_gannyuu/index.kinzan.htm
1932(昭和7)年に中外鉱業清越鉱山となり1987(昭和62)年5月に休山。閉山はしていないが状態は閉山も同然。私がカーナビで「清越鉱山」の文字を見つけ、初めてここを訪れたのは2004年の10月だった。そのときはカメラも持ってなかったし、まだ廃墟慣れしていな
http://blog.livedoor.jp/darker916/archives/8590499.html
2009年10月下旬この当時は古いコンデジで撮っていた為、非常に画質が悪いです。撮影技術もヘタで、手ブレ写真ばかりなのが残念。伊豆半島の西側に存在する清越金山伊豆廃墟めぐりのひとつとして訪れた。ここは木造で出来た建物がとても良い味と雰囲気を出している。
http://kpaper12.blog13.fc2.com/blog-entry-151.html
国道136号線を、船原トンネルを抜け土肥の町に向け南下。車を走らせ土肥のほうへ下っていくと、左手にそれらしき物件が見えてくる。昭和7年、中外鉱業株式会社によって採掘が開始され、金価格の下落、人件費、市の水脈保全協定などの理由から昭和62年に休山。そんなん。今回
http://hibarilove.fc2web.com/photo/seikoshi.html
●清越鉱山篇Introduction5月吉日、車を走らせること2時間。同じ静岡県だというのにこのアクセスの不便さ。そんな困難を乗り越えやってきたのは土肥町に存在するこの清越鉱山。既に廃鉱、ではなく休鉱状態のこの廃墟は、案外簡単に見つかった。土肥から修善寺へ抜け
http://blog.livedoor.jp/rikiyasan3445/archives/5134150.html
古い建物はほとんど壊されてしまい、ソーラーパネルだけが鎮座しております。
http://orange.zero.jp/zbc54213.wing/seigosi.html
             せい ごし   こう ざん     清 越 鉱 山    (1/1)            静岡県伊豆市土肥新田     Photo:2009.03もしも窓から人の顔が見えたら・・・・・エッ、ェッ、どぇひゃ~~~っ!!このサイトは稲川淳二か!  >しゅみましぇ~ん<  (-_-;)つかみは冗談として、旧選鉱所のUPです。内部の様子は下の写真にもありますがご多分にもれず荒れています。しかし柱など一部はまだガシッとしててこのままでもまだ当分は崩れそうになさそうでした。ただ外側は見たとうりかなり荒れています。 清越鉱山は伊豆半島中西部、土肥金山のすぐ近くに位置する金、銀の中堅規模の金鉱山である。鉱脈の発見はそれほど古くない。経営母体の中外鉱業の社史によると1931年(S6)金鉱床発見とある。同じ伊豆の金、銀鉱山の縄地や大松鉱山などが江戸時代だったことを考えると実にゆっくりしている。 ここの鉱山の特徴としてはいつ頃の話かは不明だが金の品位がとても高かったという。その当時としては国内最高クラスだったともいう。具体的な数字は不明。それともうひとつ。採掘しながらズリをあまり坑外に出さなかったらしい。というのも(想像だが)途中でズリ場の確保が難しくなってきたため「埋め戻し」方法に切り替えたのではなかろうかと思う。金、銀鉱山の場合、銅や鉛と違ってズリの量が桁違いに多い。企業にしてみればズリ場確保は頭の痛い課題だったと思う。そんな清越鉱山も1987年5月、遂に採算割れで休山。翌6月には閉山、中外鉱業も鉱山事業から撤退し以後貴金属のリサイクル事業に着手現在に至る。  これは余談だが日本の土木技術が世界的水準にあるのも数百年かもっと前からの金、銀、銅鉱山の採掘経験、技術、カンなどが実を結んだ結果だろうと思う。特にトンネルやダムや治水工事などはそっくりそのまま鉱山の技術が使えるだろう。機械類なども転用できるものがたくさんある。鉱山関係者によると、日本は露天掘りが少ないから効率が悪く費用対効果がよくない、とたまに聞くがそのおかげでいろんな技術開発が促進され現在の技術大国になったともいえる。これもケガの巧妙と言えるか...内部はあちこちにベルトコンベアが立体交差しています。木造なので人がいなくなると傷みが早いですね。酸素とアセチレンのボンベだけが寂しくたたずんでいます。 足元に気をつけながら登っていくとなんと、筋交いの向こうに大きな空間が。そこにはクラッシャーが。時代がかったモーターと、いやモートルと言った方がいいですね、プーリー兼フライホイール、と言うよりも”はずみ車”にベルトがかかった状態でs/wが入るのを待っています。 とてもそこまで行く勇気はないですね。一歩踏み出すと最下段まで直滑降!の可能性が。やめなさい、手順無視してまた作業、いつか地獄へ直滑降”・・・・なんて標語がどこかにありましたね。よくある”若者”はここにはハイカイしていないようだ。していれば必ず”証拠”を残すから。へしゃがったドラム缶が一個転がっている。おみごと!木造の幾何学模様のようだ。 選鉱所から奥へ行ったところの鉱山事務所。この向こうに坑口がある(らしい)。フェンスでいけない。 何でこんな所に船が???(L写真の右端) 舳先を見るとお祭り用のものか?ペイントも派手だし。 事務所の最奥部。ネット情報によるとこの裏側に坑口があるらしい。正面の山の地下深くにその坑道が潜っていっている。なんでも土肥金山と清越鉱山と持越鉱山とは坑道で繋がっているとか。ホント?藪の中にほとんど隠れてしまっているがこれはコンプレッサー室だったようだ。 L写真の更地にはトロッコのレールが敷かれおりそのままR写真のコンプレッサー室の前を通り最初の選鉱所の最上部に入っていたらしい。いろいろ情報を総合するとどうやらそう考えると納得だ。つまり選鉱所最上部のレベルとL写真の更地のレベルがほぼ同一レベルということだと思う。(若干の落差はあるかもしれんが)それにしても軌道の跡は皆目分からなかった。 あの選鉱所を裏側から撮影。なんと簡単に行けたんだ。道路をそのまま登ればいいだけ。ナンノコッチャその隣にあった普通の建物。鉱山関係だろうけど何か分からない。 上の写真でも書いたがやはりご当地はシイタケが名産なんですね。選鉱所の上の脇道を登るとミカンとシイタケの畑がたくさんあった。    (1/1)    HOME    *****   >おしまい<
http://www.miningjapan.org/idx/seigoshi/index.html
Seigoshi Mine<清越鉱山>清越鉱山は、比較的最近まで操業していた本格的な金山である。鉱山の敷地が小高い山の中腹にあり、麓にはズリ(鉱石の選りかす)が多量にある。そこでは、低品位の金鉱・銀鉱や、「輝銀鉱」などの鉱物を採集することができる。えっ、金が拾える!!どうぞいくらでも拾ってください。背中が痛くなるほどリュックに詰めて帰っても、0.1グラムほどの金が採れれば上出来、仮に素人で精錬できたとしても150円程にしかなりません。鉱山の敷地にはまだ建物やトロッコ軌道が残っており、操業時の雰囲気を感じることができる。通洞坑などは、今でも充分入坑できそうな程整備されている。...■清越鉱山全景。__________________■通洞坑へ向かって敷かれた軌道。...■清越通洞坑。_____________■坑内輸送用バッテリー機関車。...■通洞坑口から坑内を覗いてみる。整備された坑道がどこまでも続いていた。...■操業時を偲ばせる風景が残る構内。■周辺地図■交通伊豆箱根鉄道「修善寺駅」からバス、「新田」下車徒歩約10分。[Home] [中央竪坑]
https://ameblo.jp/kamosikaneko/entry-12646741553.html
コンクリの基礎だけ残っていて、後は別会社が倉庫として使っています。現役の会社なので入りませんでした。 坑道かな?とも思ったのですが、違いました。鉱山運営時も物置だったのかな?
清越鉱山 関連ワード
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