土肥金山 概要・歴史
観光坑道の上にはシックナー跡などが今も残る
土肥金山(といきんざん)または土肥鉱山(といこうざん)は、静岡県伊豆市の土肥地区にある金鉱山跡。
建徳・文中・天授(1370年代)の時代、足利幕府直轄の金山奉行が土肥を支配し、盛んに金を掘ったのが土肥金山の始まりと伝えられる。江戸時代に入り、慶長年間に隆盛を極めるが、その後衰退し1625(寛永2)年に休山となる。
近代に入り、1906(明治39)年に神戸の実業家・長谷川氏が外国人技師を招へい、探鉱に成功する。1917(大正6)年に土肥金山株式会社が設立される。
佐渡金山に次ぐ日本第2位の産出量を誇ったが、1965(昭和40)年、鉱量枯渇のため閉山した。海面下190mの坑道は総延長100kmにも及び、金銀の総産出量は約1400億円相当にも達したという。
1972(昭和47)年、土肥金山株式会社は土肥マリン観光株式会社と改称、坑内の一部を観光坑道として整備し一般公開した。
「静岡県の民宿ガイド」(1978年6月、静岡新聞社)では前身となる「土肥マリンランド」が「松原公園にできたレジャーセンター、ボーリングやプールがあって若者に人気があります」と紹介され、観光坑道についての言及もなく、当初はレジャー施設としての性質が色濃かったことがわかる。
観光坑道入り口の上部には、当時鉱山施設が建っていた石垣や長い石階段、シックナーだったらしいタンク状の遺構が今も残っている。
坑内には江戸時代の採掘作業の風景が等身大の電動人形により再現されており、「マップルマガジン伊豆1996年版」(昭文社、1996年3月)では「等身大人形18体が置かれ、うち4体は作業をしているかのように動く」と紹介されている。
ほかに金山資料館「黄金館」で資料や鉱石などが展示され、ギネスにも認定された250kgの世界一の巨大金塊も公開されている。またレストハウスに昭和初期から閉山後までの写真ギャラリーがある。