尺別鉄道線 関連ブログ・参考リンク
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釧路の尺別炭礦にあった、幻の駅、「尺別炭山駅」へ向かう途中に見かけた廃屋。ちょっと覗いてみることに。もう、いつ頭の上から崩れ落ちてきてもおかしくない状況。律儀に玄関より入らせてもらいます。唯一、カルチャーの匂いがする残滓が・・・尺別炭山駅の廃止と尺別炭礦の閉山
http://www.hotetu.net/haisen/Hokkaido/090716syakubetutetudou.html
更新日時 2010年08月02日 尺別鉄道線:雄別鉄道の親会社である雄別炭礦が運営していた。機関庫は新尺別に置かれ、C12形蒸気機関車を3両、客車4両、貨車11両を保有していた。もとは雄別炭礦鉄道が炭鉱と鉄道の運営を行っていたが、1959年に鉄道部門を分離(尺別線は雄別炭礦にて継続)して雄別炭礦株式会社と、雄別鉄道株式会社が発足した。その後、倒産直前の1970年2月に雄別炭礦に吸収合併されている。雄別炭礦直営路線 尺別鉄道線:尺別 - 尺別炭山間 10.8km 6駅 票券閉塞式尺別鉄道 路線総延長 10.8 km 軌間 1067 mm 最大勾配 25 パーミル 最小半径 200 m尺別駅 - 社尺別駅 - 八幡前停留場 - 第1尺別川橋梁 - 新尺別駅 - 第2尺別川橋梁 - 旭町停留場 - 第3尺別川橋梁 - 第4尺別川橋梁 - 第5尺別川橋梁 - 第6尺別川橋梁 - 第7尺別川橋梁 - 第8尺別川橋梁 - 尺別炭山駅 ①JR北海道 尺別駅(しゃくべつえき)は、北海道釧路市音別町尺別にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の駅。駅番号はK44。電報略号はヤク。 1970年の雄別炭鉱自主閉山までは、雄別炭鉱尺別線の始発駅として栄えた過去をもつ。日本を代表する秘境駅のひとつ。 ①JR北海道 尺別駅。駅名の由来:北海道旅客鉄道釧路支社に因ると、アイヌ語の「サッ・ペッ(かれた川)」に因るものだという。 民家が数軒あるが、かつて数千人が暮らした大きな市街地は消滅。わずかに街路の跡と崩れた屋根が残るのみ。1966年3月に駅前に簡易郵便局が設置された記録が残っているが、今は跡形もない。 尺別炭礦が尺別駅に作った貨車用貯炭場。昭和3年、北日本鉱業(株)から三菱鉱業(株)によって買収された尺別炭礦は、鉄道省の根室本線に連結する鉱山専用鉄道(尺別軌道)を開設しました。このことは石炭輸送にとって好条件。写真は尺別駅前にあった貯炭場。②尺別駅西側の尺別鉄道との分岐点あたり。③JR根室本線から分岐し国道38号線を渡り、廃線跡が続く。④尺別鉄道の廃線跡が続く。⑤橋梁。橋梁...ら尺別川を渡る跨道橋迄は探索が不可能でした。⑭尺別鉄道の跨道橋。跨道橋の詳細レポートは150円の旅のSentimental-Wayさんのブログを見てください。http://sentimental-journey.blog.so-net.ne.jp/2009-07-25⑭尺別鉄道の跨道橋及び奥に見える林(尺別川)から跨道橋へ続いていたようだ。⑮尺別炭鉱の復興記念碑及びそこの上に置かれていた石炭。⑮新尺別駅前に建っていた「尺別生活館」の建物。⑮尺別給油所跡⑮給水塔の一部が残っている。⑯水道施設?⑰第2尺別川橋梁。⑱塹壕みたいなところの中はゴミだらけだ。何の施設だろう。この辺から、硫黄臭のような・・・もしかしたら硫化水素か?やばい⑲第3尺別川橋梁。⑳ゲートがあり場合により通行止めになる。①第4尺別川橋梁。②第5尺別川橋梁。③第6尺別川橋梁。④第7尺別川橋梁。⑤森林が深くなった行く。⑥道も悪路になって行く。⑦あと、もう少しで尺別炭山駅でしたが、携帯電話が圏外になってかなりの距離を入山した。道も悪く、ヒグマ等に遭遇も怖かったので勇気ある撤退をした。尺別炭山駅の詳細は150円の旅のSentimental-Wayさんのブログに書かれていますので参考に。尺別炭坑ブログリンク http://blog.so-net.ne.jp/sentimental-journey/2009-07-21/trackback前回尺別炭山駅を見ることが出来なかった為、2010年7月31日再訪した。⑧尺別川の対岸に廃屋が見える。⑧道道361号線とは思えない藪だらけの状況です。⑧尺別炭山駅周辺の施設跡。アブが沢山纏わり付いて来るので急いで写真を撮り撤収。⑧尺別炭山駅周辺の施設跡。アブが纏わり付くので、ピンぼけです(笑)⑧尺別炭山駅周辺の施設跡。戻る Copyright (C) 2008-2019 hotetu.net All Rights Reserved外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』Sentimental-Wayさんのブログ
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください雄別炭鉱尺別鉄道 しゃくべつてつどう 根室本線尺別駅と尺別炭鉱との間を結んでいた軽便運炭鉄道に替わって、昭和17年(1942年)に尺別〜尺別炭山間10.8㎞の尺別炭鉱専用鉄道として開通した。 しかし、2年後の昭和19年(1944年)戦争の都合により尺別炭鉱は休鉱となったため、鉄道の運炭も休止状態となった。 戦後、尺別炭鉱は雄別炭鉱に吸収され、鉄道は雄別炭鉱尺別専用鉄道となり、石炭輸送・沿線住民の輸送に活躍したが、尺別炭鉱の閉山に伴い、昭和45年(1970年)4月16日、この運炭鉄道は軽便鉄道時代も含め、50年の歴史を閉じることとなった。尺別—八幡仮乗降場—新尺別—尺別炭山尺別駅〜新尺別新尺別駅尺別炭山駅廃線へこのページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください私鉄・専用線尺別鉄道軽便運炭鉄道に替わり、昭和17年(1942年)に尺別〜尺別炭山間10.8㎞の尺別炭鉱専用鉄道として開通。戦時中炭鉱、鉄道も一時休止状態。戦後、尺別炭鉱は雄別炭鉱となり、鉄道は雄別炭鉱尺別専用鉄道と称した尺別炭鉱の閉山に伴い、昭和45年(1970年)4月16日廃止。(軽便鉄道時代より通算50年の歴史となる)釧路に向かう夜行鈍行列車でうとうと、ふと夜明けの窓を見ると小さな機関車の煙が見えた。思わず列車を飛び降りてみるとそこは尺別という駅だった。 駅を出て見るとそこには炭鉱の専用鉄道のホームがあった。全く予備知識もなく思いつきの出会いだった。 1962.4.5 新尺別駅で出発を待つ尺別駅をでて炭鉱に向かうバック運転で尺別駅に向かう。晩年は3両のC12 で運行され、このC12001は土佐電鉄の車両で1948年製とされる。 切妻スタイルの客車 新尺別駅このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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尺別鉄道- 廃線 - 【十勝→中標津への道中、釧路最西部の炭鉱町・尺別に立ち寄りました】 前項に書いたように、十勝から中標津へ移動する経路として、私は遠回りになることがわかっていたにも関わらず、池田から浦幌、音別、釧路西部の大楽毛から阿寒湖、そして中標津へ、というルートを選択しました。つまり、釧路支庁最西部をかすめて阿寒湖へ抜けたわけで、その釧路支庁西端部に入ったところにある尺別に立ち寄りました。 尺別。 現代の鉄道ファンであれば、尺別の名は「根室本線に、そんな名前の駅があるようだ」程度の認識にしかならないでしょう。いや、それも言い過ぎでしょう。「尺別? 知らん!」の一言で終わりでしょう。そんな尺別にも、多くの道内の街と同じように、小さな炭鉱町があり、炭鉱町から幹線鉄道である根室本線に接続する運炭路線(尺別鉄道)がありました。当然ながら既に尺別鉄道は廃止済ですが、廃線跡が存在しているにも関わらず、この地域は私自身アクセスする機会を作りにくく、実際これまで一度も来たことがありませんでしたし、こんな機会でもなければなかなか来れない地域でした。 そのせっかく作った機会、尺別炭山へ立ち寄る第一歩として、私は尺別鉄道と根室本線との分岐駅である尺別駅に行ってみました。根室本線・尺別駅 尺別駅に到着し、周囲を眺める。存在しているように見える民家は、どう見ても廃屋にしか見えない… 少しのどが渇いていたものの、ジュースの自販機など見渡す限り無い… この状況だから、少し高いところから周囲を見渡してみたくなりました。高いところとなると、そこには尺別駅構内の跨線橋以外は見当たらず、跨線橋の階段を登りました。すると、駅すぐ隣の踏切の警報音が鳴り出しました。列車が近づいています。尺別駅跨線橋上から見る、札幌方面へ向かう特急・スーパーおおぞら 尺別駅周囲を眺めるより先に私の目の前に現れた、特急・スーパーおおぞら。そう、ここ尺別駅は根室本線、かつ、釧路~帯広~札幌の途中駅だからこそ、優等列車が駅構内のレール上を走り続けるし、停車する普通列車本数は少ないながらも どこかの路線のように1日1本なんてことにはなっていない。それでも… スーパーおおぞら が通過した後、改めて駅周辺を見渡すと、何ともすごい状況。本当にここは「ただの通過駅」としか見えない様子が展開されていました。優等列車含め、結構な本数の列車が通るが故に逆に悲しい現実です。 仕方ない。私はホームへと出てみました。 尺別駅構内 左の写真は尺別駅構内で私が撮影した写真。私の立ち位置は、普通にホームの上。そう、ここはホームが長大で、かつては本当に大きな駅であったであろうことがすぐにわかります。その長大なホームが切れたところは、かつての石炭関係の鉄道用地であったはずですが、夏の暑い時期、草に覆われて何も想像すら出来ない世界になっていました。尺別駅、石炭関係の用地であったはずのエリア 尺別駅で時間を費やした後、私は行けるところまで、尺別炭山方面へ走ってみることにしました。 JTB出版・鉄道廃線跡を歩くシリーズによれば、尺別駅から炭山への線路跡は、普通に自動車で走れる舗装2車線路の左手に、道路に沿ってのびていたようです。駅があったとされる八幡前には、鳥居と いかにも線路跡らしい未舗装路を見ることが出来ました。 そして私は尺別炭山方面へと更に進む。途中、鉄道廃線跡を歩くシリーズでも紹介されていた、とても目立つコンクリートの跨道橋が目の前に現れ、この跨道橋はカメラに収めました。尺別鉄道 新尺別駅跡手前・コンクリート製跨道橋跡 目立ったコンクリート製跨道橋跡を過ぎると、道路は舗装部が終了、未舗装部に入りました。尺別炭山がだいぶ近づいてきました。しかし… 私はここで尺別炭山まで足を伸ばすことを諦めました。この時、すぐ横には小さな橋台が見えていました。しかし、既に前が見えなかったんですよ。前が見えなかった、はオーバーな表現ですが、蜂、蝿、虻、… もう何だかわからない虫の大群に取り囲まれ、私はとても先へ進める状況にはなくなりました。ここで無理をしても仕方がない。私は ぜひ炭山跡を見たい、の気持ちはわずかに持ちながらも、もと来た道を引き返し、尺別を去りました。 5.標津線(2) へ進む十勝・標津2005 へ戻る