岩富隧道は千葉県南房総市の廃隧道。国道127号線の現・岩富トンネル旧道に位置する。 1950(昭和25)年...

岩富隧道(国道127号線旧道)

岩富隧道(国道127号線旧道) 概要・歴史

岩富隧道は千葉県南房総市の廃隧道。国道127号線の現・岩富トンネル旧道に位置する。 1950(昭和25)年...
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岩富隧道(国道127号線旧道) ストリートビュー・空中写真

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TOP>総覧index>隧道index 旧岩富隧道 千葉県南房総市(旧国道127号) 2006・4・9 来訪 かつて多くの旅人が通り過ぎたであろう隧道。 開通して100年近くたった今、人知れずその隧道は息絶えていた。 最早、通り抜ける事
http://yamaiga.com/road/r127/main13.html
これぞ旧岩富隧道に違いない。姿形は前ほどの旧小浦隧道(の南口)とそっくりで、またしても素掘のアーチ部分は綺麗に整形されていた。「富山町誌」の古写真はここで撮られたかも知れない。そして今回の隧道は正真正銘の廃隧道扱いであり、坑口前には二重の柵が張り巡らされていた
http://nihonhaikei.blog.fc2.com/blog-entry-12.html
木々に日が遮られ夜のような暗い山中。その先に更に深い闇が此方へ来いと誘う。交通の利便の為に掘られた隧道とは思えぬような穴。吐き出された白色の砕石。奥には更にうず高く積みあがっている。とてもまともな状況ではないが、業深き好奇心が一歩前へと足を踏み出させる。体重を
http://geo.d51498.com/wxfff590/iwatomizuidou.html
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意くださいTOP > 総覧index > 隧道index旧岩富隧道千葉県南房総市(旧国道127号)2006・4・9 来訪かつて多くの旅人が通り過ぎたであろう隧道。開通して100年近くたった今、人知れずその隧道は息絶えていた。最早、通り抜ける事は出来なくなった隧道に物好きな男が一人やってきた。岩富トンネル手前、現道は切り通しの合間をカーブを描いてトンネルへ突っ込む。その切り通しの横を怪しげな歩道が斜面を登っていく。この日、お目当ての物件は岩富隧道の隣にある小浦隧道であり、その旧隧道の分岐点を探すため2つのトンネルを行き来していた。その時、たまたま目に入ったのがこの歩道である。WEBで岩富隧道を検索して出てくるのはJR内房線(旧北条線)の旧線隧道であり、道路隧道の方の情報は全く無い。てっきり埋められたか、広げて現トンネルにしたかどっちかかと思っていた。アスファルトの歩道を上り詰めるとこのような場所に。恐らく古道と思われる登山道がさらに上へと誘っている。これはこれで魅惑的な道だが、その横には更に気になる空間が。車一台が通れそうなスペース。やっぱこれ旧道だよね?少し奥のほうに荒れ果てた小屋がある。よく調べなかったのでちょっと用途はわからない。更に奥の方は木々が生い茂り、暗くなっていてよくわからない。が、この雰囲気。この先にあるものは一つ。キたァ!旧隧道だ!しかも、ちょっと崩れてるっぽい。(興奮と緊張でメチャ、写真ブレとるがなw。)崩れてるどころか閉塞ぎみ。奥は暗くてよく見えないが完全に天井まで瓦礫が詰まっている。旧岩富隧道はお亡くなりになっていました。取りあえず、反対側の様子も見に行こう。現岩富隧道。昭和25年製で延長257m、国道127号線の最長トンネルである。と、いう事は旧隧道もそこそこの長さがあったという事か?岩富トンネル坑口脇に某施設の駐車場へ向かう道がある。どうやら、これが旧道のようだ。バスが何台も止められそうな大きな駐車場。とりあえず斜面に向かって歩く。斜面に何か気配を感じる・・・。!?穴だッ!しかもこっちの方は無事なようだ!柵が張られているが、わずかに潜りこめそうな隙がある。よし、いくぞ!これが旧岩富隧道内部だ!あちこちで内壁が崩れている。反対側坑口だけでなく隧道全体が緩やかに崩壊に向かって進んでいる。あと、意外と奥の方まで光が届いている事に気付いた。調べた所、どうやら日当たりの良い方向の坑口を大きめに取る事により、隧道全体を明るくしているらしい。小浦隧道 の旅館側坑口が巨大なのもその為なのだ。この技法は千葉の隧道独特の技法だそうだ。煉瓦随道のような優美さはないが、旅人に少しでも安心して通れるように配慮した無骨な優しさを持つ隧道と言えよう。さて、隧道内部に数十m侵入した訳だが、自然光を多く取り入れてるとは言え、さすがに奥の方暗くなってくる。崩落も激しくなってくるし、だんだん不安になってくる。さらに隧道最深部になんか小さな光が見えるんですけど。(画像にカーソルを)今こうやって冷静に見ると閉塞しているように見えて、実はわずかに隙間があったのでは?と思えるが、この時妙にこの光が怖かった。もしかして何かの動物の目では?とか思って先に進むのが躊躇われた。そんな訳で、画像の地点でUターンしてしまいましたwヘタレですいませんw隧道から外に出ると、駐車場の向こうに海が見えた。かつての旅人達も薄暗い隧道から出た先、美しい海を見てホッと一息ついたのではないか。そんなかつての街道のワンシーンを思い浮かべつつこの地を後にした。2006年大晦日に再訪してみましたTOP > 総覧index > 隧道index掲示板 へこのページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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JR内房線 旧岩富隧道旧岩富隧道の名は新線に掘られた岩富隧道に由来するものであるが正確な名称は南無谷隧道である。当初新線の方も南無谷隧道と名付けられる予定であったが関係者より「南無阿弥陀仏と似通っているので縁起が悪い」とクレームを付けられ新線トンネルは近辺の地名を取り岩富隧道となった。そして、その新線のトンネル名により旧南無谷隧道の方も旧岩富隧道と呼ばれている様である更に奥へと進む。強力ライトで照らし出しても崩落点はまだ見えない。水深はすでに胸上へと達していた振り返り坑口を望む時間が掛かった割には、そんなに奥までは来ていないこれは入坑数mにしてあっという間に水深が腰を越えたので進行速度が極端に遅くなった為であるこの先深みは増すここで自分撮りをしてみた水深は両脇付近であるが更に深くなりそうであるこの隧道は恐らく千葉側が低い片勾配で中央若しくは千葉側坑口が埋没等をしている可能性がある。これ以上の進行となると泳いで行くしかないのであるが(現時点でつま先立ちで半泳ぎ状態なのだが・・)ライトとカメラが非防水な為、坑口100m程の進入であえなく断念崩落地点の確認も行えないまま帰投を決断した。進行不能、そして撤退・・最後に再度坑口より内部を望む開通後、たった5年という短い生涯だった旧岩富隧道。しかし応急処置とはいえ震災後から新線開通までの3年間間違いなくこの隧道を列車は走った幾つもの素堀トンネルが通るこの房総半島、もしかしたら今でも修復箇所は当時のままで残り通り抜け出来るかもしれない千葉側坑口の調査を含め、水没隧道用の重装備を整えた後に再度トライしてみたいと思う。~~ JR内房線 岩富隧道 ~~全長 748m幅  4.8m大正 7年 8月10日 木更津線開通と同時に供用開始大正 8年        安房北条(今の館山)まで開通と同時に北条線と改名大正12年 9月 1日 関東大震災により崩落、不通になる大正12年11月28日 復旧大正15年11月     西側に岩富隧道完成、旧線は破棄される昭和 4年        房総循環鉄道開通、内房線と改名←その1へ 戻る 再訪編へ→