栃原金山は、茨城県久慈郡大子町の鉱山。大沢川支流手古屋沢沿いに位置する。 江戸時代に佐竹藩の隠れ....

栃原金山

栃原金山 概要・歴史

栃原金山は、茨城県久慈郡大子町の鉱山。大沢川支流手古屋沢沿いに位置する。 江戸時代に佐竹藩の隠れ....

栃原金山 画像

栃原金山の県道沿いの看板(2023年2月)
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観光施設跡(鉱山事務所を転用?)。壁面は1999年頃からこの状態
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観光化してからは受付にもなっていた
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すぐ脇に飲食スペース跡?がある
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栃原金山ゲート。入ってすぐは舗装があるが、すぐにダートになるため、車両進入は控えるべき
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選鉱場跡
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選鉱場跡
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選鉱場跡
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内部には観光化した際の案内板がある
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ボールミル2号より供給された鉱石はもう一度精鉱と尾鉱に比重選鉱して精鉱は精鉱ボックス4号5号へ尾鉱はネコ流し桶へ
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選鉱場に隣接して「わんがけ体験」の建物がある
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パンフレット
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栃原金山料金表。大人1100円だったらしい
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「わんがけ体験」の看板が落ち葉に埋まっている
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売店跡
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売店跡
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砕鉱場
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右側の砕鉱施設
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砕鉱施設
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観光用の案内板
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ヘルメット
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砕鉱施設内部
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建物脇のズリ?
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左側のコンベア施設
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砕鉱場横に詰め所のような建物がある
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建物内部
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軽トラが放置されている
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近くのスポット

栃原金山 ストリートビュー・空中写真

栃原金山 関連ブログ・参考リンク

http://mineralhunters.web.fc2.com/totihara.html
茨城県の大子町に「茨城 天平の玉 ・栃原金山」と銘打つ、本州唯一 採掘中の金山が あります。(ありました?)案内パンフレットには、天平時代にこの地方で産出した金を 携えた遣唐使が、これと交換に、その当時の最先端の文物を中国から持ち帰ったと あります
http://www.okukuji-report.com/kinzan/kinzan/kinzan.htm
茨城(常陸の国)の金山. 中世末期のの佐竹時代、奥久慈を中心と
http://yamadeasobou.sports.coocan.jp/ibayama/ibasankou/ibasankou2/totiharaatago.htm
栃原金山と愛宕山. 愛宕山と言う名前の山は全国にも沢山あると思いますが、茨城にも 3つあります。今日はその内の1つである栃原金山の近くの愛宕山に登ってきました。 この山は地形図上、登山道の表示がありませんので予めコースを想定して行きましたが 、
http://woodlandtrail.fc2web.com/repo/repo59.htm
県道32に出た後、西に1km足らず進むと、「栃原金山」の案内表示が見えてきます。 レポ17でははっきり書かなかったですが、実は、最終的にはここを目指していたのです。 ここは休鉱中の金山で、掘ればまだ出るようですが、採算は取り難いとか。で、観光用に
http://ameblo.jp/hotetu/entry-10856577687.html
2011年4月10日 歩鉄の達人の歩鉄の達人のブログの記事、栃原金山(廃坑山トロッコ)です。
http://ameblo.jp/hotetu/image-10856577687-11155823206.html
2011年4月10日 歩鉄の達人のブログの「栃原金山(廃坑山トロッコ)」に投稿された画像です。
http://www.miharu-e.co.jp/ja7fyg/kouzan/tochihara/tochihara.html
東洋金属鉱業(栃原金山)茨城県久慈郡大子町栃原(低中温熱水鉱床)本州でただ一ヶ所、現役の金山
http://www.hotetu.net/kouzannkidou/kouzankidou.html
2011年03月吉日, 栃原金山は茨城県久慈郡大子町栃原にある低中温熱水鉱床の鉱山 である。 .. 当時の炭鉱会社の中では多角経営の進んだ会社という評価がなされていた が、1969年、茂尻鉱にて人身事故を起こしたことで茂尻鉱が廃坑に追い込まれた。
http://www.hotetu.net/kouzannkidou/110330tochiharakinzan.html
2011年4月10日 栃原金山は茨城県久慈郡大子町栃原にある低中温熱水鉱床の鉱山である。約600年 前発見され江戸時代に佐竹藩の隠れ金山として採掘されていたが佐竹藩の殿様が秋田 に国替えとなり鉱口を塞ぎ鉱山技師共々秋田に行ってしまい眠った
http://homepage3.nifty.com/hi-red/tochihara.html
茨城県の北、大子町に栃原金山という鉱山があり、軌間508mmのトロッコが使われてい ました。水郡線の上小川駅から西に走った山 栃原金山は一般人の見学が可能で、 入場料を払うとマイクロバスで坑道まで案内して貰えます。私が訪れたとき、見学者は私
http://yotsuba23.blog104.fc2.com/blog-entry-1213.html
まあ、時間があまり取れなかったので、廃坑の跡を見に苦労することもないだろうという思いが働いたのも事実だ。 あとから調べたら、20分以上かかるようだ。 私がこの金山の存在を知ったのはもうずいぶん前に、金の採掘場の見学と金採り 
http://www.miningjapan.org/idx/tochihara/index.html
栃原金山は茨城県久慈郡にあり、いまも操業している貴重な金属鉱山である。しかも金山。"陸奥の金"として歴史に名を馳せた東北・北関東にあって、唯一の金山なのである。 もっとも近年の金価格低迷により、採掘・製錬より「観光鉱山」としての比重が高まってツ黴
https://4travel.jp/travelogue/10633112
金山探索第一部「栃原金山」とは…要約です【約600年前発見され江戸時代に佐竹藩(常陸太田市から水戸市へ移城のちに秋田へ国替えさせられる)の隠れ金山として採掘されていた。佐竹藩は国替え時に鉱口を塞ぎ鉱山技師を秋田に連れて行った。昭和62年(1987年)東洋金属鉱
http://orange.zero.jp/zbc54213.wing/totihara-kinzan.html
HOME  茨城県大子町(だいごまち)栃原  栃原金山  撮影:2009.12   (1/1) ●主な採掘金属 : 金 (Au)●経営企業    : 「金山沢鉱山」→「大子鉱山(株)栃原鉱業所」→’87年に「東洋金属鉱業株式会社」と改名、閉山。栃原金山は他の茨城県内の金山と同様約400年以上昔の佐竹藩時代に発見・採掘を始めた金鉱山である。それを近代に入り昭和のかかりに再度採掘し始めたのが「金山沢鉱山」である。それまでの長い期間のことはよくわからないが恐らく小規模に断続的には続いていたのだろう。「金山沢鉱山」は1943年のいわゆる「金山整備令」により閉山を余儀なくされるがその後1982年に冒頭の「大子鉱山(株)栃原鉱業所」が試掘したところ有望鉱床発見。1987年には営業採掘はじめるために社名を「東洋金属鉱業株式会社」と改名。しかしまもなく金相場が低迷し採算割れしだしたので1999年一旦採掘を停止、休業している。その後は観光化に方向転換したり金粉入りのミネラルウオーターを販売したりしたがどれも軌道に乗らず事実上失敗。現在に至る。ちなみに金の品位はそれ程悪くなく、トン当たり/約30グラムあったらしい。相場さえ悪くなければ充分に採算の取れたラインである。何事も継続が一番難しいということか・・・県道32号線を久慈川から西進すると10キロぐらいでここに着く。右側に”東洋金属鉱業株式会社”と”栃原金山”の看板がある。「栃原下」のバス停と「栃原金山」の看板。同所。●左:端を渡ってすぐに別サイトで見覚えのある”栃原金山”のアーチがある。最も骨組みだけで肝心のものがないが。金山観光を   やめてしまったのもいつだったか不明。この様子だと相当時間がたっている模様。本丸にはここから5~6分。●右:橋を渡ってすぐ左側の元事務所。前は広い駐車場。●左:事務所の内部、バッテリー充電機が見える。手前は家庭用冷蔵庫か、鉱山専用充電器と家庭用冷蔵庫が同居してるなんて観光坑道でしか見れない光景ですね。●右:砂金取りをしていたようだ。いわゆるバンニング、別名”わんがけ”ともいう。砂金入りの砂をお椀ですくいユッサユッサ...様子。トロッコ軌道とすぐ奥からは壁も岩肌のままである。水は溜まってはいるが大して流れ   てはいないようだった。もっと上のほうに行くと何か珍しい物でもあるかなと思いずんずん登って行ったんですが今回は何にもnothingでした。ザンネンです。  栃原坑口から選鉱所にトロッコで鉱石を輸送するための軌道コース。道路の脇の上を2~300m走っている。鉱石はトロッコのままでは選鉱所には行っていないようだ。。ここでベルコンにバトンタッチして選鉱所まで搬送しているようだ。ではこの積み出し口は何だろう?坑内のビン(漏斗)みたいなやつ。確実に積み込みをストップできるように重いレールを取っ手代わりに溶接しているし。●左:こちらは観光用だろうか、なんとなくそんな感じがするが。内部だけ改装したのかもしれない。●右:ウィルフレーテーブルのことだと思う。写真下の平らなやつ。これも比重差を利用した構造の機械で簡単。平らな板(プレート)に金入りの泥を流し板を揺すると一方に金が寄ると言う理屈。●左:これは”ネコ流し”のようですね。ネーミングのルーツはよく分かりませんが命名はかなり昔からのようです。理屈は簡単。早い話   が滑り台の上から金の混ざった泥水を流し箇所箇所に小さなダムを設けてそこに比重の重い金がひっかかる、ということ。佐渡   金山なんかではダムの変わりにサラシ木綿を敷いてそこに金粒を木綿の抵抗で引っ掛ける、というものだった。選鉱作業という   のは殆ど全部比重の違いを利用したものばかり。よくあるシックナー(鉱山でよく見るコンクリート製の大きくて丸い施設、中心に   攪拌用のモーターの付いているものもある)などもそう。●中:右写真の説明。●右:写真真ん中の機械のこと。ボールミルという。クラッシャーの一種。鋼球(鉄球)を入れた円筒形のドラムの中に砕いた鉱石をい   れドラムを回転させてより細かく微粉末状にする機械。●左:各種機械の設備された建屋の外観。前には沈殿池らしき池もある。●右:裏をぐるっと回るとちょっと高台になっていて鉱石を投入するようなポケットがある。枯葉でいっぱいだが形状からしてそうだろう。   トロッコ軌道は見られなかったが・・・   (1/1)    HOME    (完)
https://ameblo.jp/kampan/entry-12725491009.html
土曜日は生瀬富士に行った後に今度は大子町栃原にある栃原金山の跡地散策に寄り道しました  この金山は平成初期まで実際に営業していて、日本で最後まで採掘していた金山・・・らしい。
https://punchhunter2.exblog.jp/32749327/
ネット上の情報や手元の資料を見ると、この『T原金山』で金が発見されたのはおよそ600年前(ということは1400年前後ですかね)。16世紀にはこの地を治める佐竹氏が金山の開発を行い、大量の良質な金が採れたらしいのですが、佐竹氏が秋田に国替えとなったため、いったん閉山となってしまいます。
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