常磐炭鉱中郷鉱山 概要・歴史
新坑採炭開始の9日前に大規模出水し閉山
常磐炭鉱中郷鉱山(常磐中郷鉱山)は茨城県北茨城市にあった炭鉱。「J磐炭礦N郷礦」等として紹介されていることもある。
1896(明治29)年、茨城炭鉱株式会社設立。華川村小豆畑・芳の目地区に炭鉱を開発した。
1901(明治34)年、茨城無煙炭鉱株式会社に改組。1911(明治44)年に石岡地区に新坑を開削、華川を一坑、石岡を二坑とした。
1920(大正9)年の戦後恐慌以来、同社の業績は悪化、1925(大正14)年に破綻。翌1926(大正15)年、大倉鉱業に譲渡され、大倉鉱業無煙炭鉱となった。この時、石岡の各坑は中郷鉱として統合された。
1934(昭和9)年、入山採炭に譲渡され、入山採炭中郷鉱となった。
1944(昭和19)年、入山採炭と磐城炭鉱が合併し、常磐炭礦株式会社となる。1945(昭和20)年には中郷鉱は神ノ山鉱とともに常磐炭礦茨城鉱業所の管轄下となった。その後、中郷・神ノ山両炭鉱は統合され、茨城炭鉱となった。
1945(昭和20年)09月15日、常磐炭鉱中郷鉱専用線が開通。 南中郷駅から常磐炭鉱中郷鉱まで3.9kmを結んだ。
戦後、合理化・機械化をすすめ、エネルギー革命が進む中、ビルド鉱に指定される。災害事故が多発し一時は全国平均の二倍にまでなったが、保安強化策を進め1968(昭和43)年には保安優良日本一表彰を受けるまでになる。
1962(昭和37)年に中郷新坑の開削に着手。1964(昭和39)年には処理能力380t/hの大型選炭場が完成。1965(昭和40)年には中郷新坑の本坑道が完成した。ベルトコンベアーで原炭と充填ズリを同時に運ぶ世界初のツー・ウェイ・システムが導入された。総工費18億6千万円の投じられた中郷新坑は1971(昭和46)年8月に採炭準備を完了、8月23日から採炭開始の予定であった。
1971(昭和46)年8月14日に大規模な出水が発生。排水が試みられたが及ばず、全坑が水没。8月30日に中郷鉱は閉山となった。
1975(昭和50)年10月18日、常磐炭鉱中郷鉱専用線を正式廃止。
遺構としては、常磐炭鉱中郷鉱専用線沿いに橋梁跡やコンクリート遺構が散見され、終点の原炭積込所(県道299号線沿い)に巨大なホッパー跡などが残る。
この終点の三坑付近から二坑を経て六坑までの約1kmには常磐炭鉱中郷鉱曳索軌道が設置されていた。1917(大正6)年、茨城無煙炭鉱第二坑から南中郷村日棚の茨城無煙炭鉱第三坑専用軌道に曳索軌道を設置。全長1.5kmであった。その後、第二坑から第六坑へ坑口移動、曳索軌道を延長、全長約1.8kmとなった。十石隧道跡が残る。
また第六坑にも六坑連卸坑口跡が残る。