巣山坂は愛知県新城市にある廃道。 静岡県の秋葉山と愛知県の鳳来寺を結ぶ街道が通る坂「巣山坂」を車....

巣山坂

巣山坂 概要・歴史

巣山坂は愛知県新城市にある廃道。 静岡県の秋葉山と愛知県の鳳来寺を結ぶ街道が通る坂「巣山坂」を車....

巣山坂 画像

巣山坂(2019年2月)
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橋の跡
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バリケード
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ガードレールの柱
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鉄柱が並んでいる
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橋梁跡
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近くのスポット

巣山坂 ストリートビュー・空中写真

巣山坂 関連ブログ・参考リンク

https://minkara.carview.co.jp/userid/1796277/blog/42497194/
平成31年2月9日土曜日、愛知県新城市細川から巣山の山中に残る廃道「巣山坂」を歩いてきました。この辺りは元々、静岡県の秋葉山と愛知県の鳳来寺を結ぶ街道が通っていました。その街道のうち、細川と巣山の間をつなぐ峠道(険しさから「四十四曲がり」と呼ばれていたらしいです。)を車道改修した道が今回歩いてきた「巣山坂」になります。出発地点は、旧道と現在の峠道である愛知県道505号が交差するこの場所。写真右手奥へと入っていきます。始まりは普通の林道といった風情の道です。ルートの始めのうちに2か所分岐が出てきます。1番目は道なりに直進。昔の車道にしてはきつめの坂道をどんどん進んでいきます。1か所目の橋。橋台が石積みなのが時代を感じさせます。
https://yamaiga.com/road/suyama/main.html
道路レポート 愛知県道505号渋川鳳来線 八昇峠旧道(巣山坂) 第1回所在地 愛知県新城市探索日 2018.3.25公開日 2019.6.07トップ>目次>1/愛知県新城(しんしろ)市の巣山(すやま)地区は、三遠(三河と遠江)の国境をなす弓張山地のただ中にある山村だ。(→位置図)角川日本地名辞典によれば、地名の由来は緑丸という鷹が巣を営み住んでいたからとかで、これがいかにも“山あい”らしいし、現代にあっては、名作アニメ映画「もののけ姫」の森林シーンの環境音が録音された地だというエピソードが、やはりその森閑な立ち位置を物語っている。あるいは、真言宗の開祖・空海(弘法大師)が、霊山の候補地として立ち寄り、寺院を建て、しかし例によって、最後には「谷の数が一足りない」から諦めたという、典型的な弘法伝説の地であったりもする。この地を訪れるには、近年開通した三遠南信自動車道(地区の真下を長い三遠トンネルで貫いている)の渋川寺野ICが地図上での最寄りに見えるが、適当な道がないため利用しづらく、通常は、国道151号の新城市大野から愛知県道505号渋川鳳来線(約8km)を利用する。あるいは少し遠回りになるが、同じく大野と巣山を結ぶ愛知県道442号鳳来佐久間(約9km)も利用できる。しかしいずれにしても、巣山の入口付近は、登りのきつい山岳道路になっている。県道505号が、巣山に入る前に登る坂道には、「八昇峠」という名が付けられている。地形図や道路地図にこの名を注記したものを見たことがないが、愛知県公式サイトにも紹介されているくらいだから、正式な名前だろう。海抜約350mの八昇峠は典型的な片峠で、巣山を目指す場合はほとんど登りしかない。名前はそんな地形に由来しているのかも知れない。直前の集落である細川から、おおよそ180mの高度差がある。なんでも、国土を二分する有名な断層帯である中央構造線がここを通っているらしく、峠から流れ出して大野で豊川と合流する真立川は、典型的な断層谷であるという。断層に沿って深く刻まれた縦谷は、しばしば天然の峠道として古代から利用されることが多かっ...、流れを覗き込んだ私は思わず歓声を上げた。先ほど路傍で見たような苔生した空積みの石垣が、小渓流の両側にも築かれていたのである。それは護岸であり、また道のすぐ下は橋台となっていて、すなわちここにあるのは函渠ではなく、れっきとした橋だということが分かった。さらに言えば、石垣は流れの底にまで丁寧に及んでいて、いわゆる床固めが行われていた。この手間が掛かった石垣は、コンクリート一辺倒と化した現代の道路ではないことを、如実に物語っていた。見よ!小さくとも、迫力ある橋の姿だ!平時はほとんど水の流れのない小渓流だが、道の周りしっかりとした石垣による護岸が施されていた。現地調達とみられる粒の大きな石材が、巧みに組み合わされていた。もしかしたら、私が思っていた以上にこの道の過去には深い歴史が、多くの通行人の姿が、隠されていたのかも知れない。そのことを、初めて意識させられる光景だった。繰り返すが、橋自体の規模はごく小さい。しかし、この橋には十分すぎる頑丈さがあった。もし、昭和39年頃に旧道化したという読み(「新橋」竣工年から)が大きく外れていないとしたら、あの当時、こんな小さな渓流を渡るのにコンクリートの永久橋を用いるのは、限られた道だったのではないか。 木橋でも不思議ではないと思える小さな谷なのだ。しかも、最近になって(たとえば林業用トラックのために)補強された様子のない、古い橋だ。ともすれば、何気なく通り過ぎてしまっても不思議ではないような地味な上っ面だったが、よく見れば、この道の持つ底力を予感させるような、いぶし銀の橋だった。そして、橋の発見にインパクトを奪われた感はあったが、おそらくこれから進むべき旧道は、この分岐を右なのだ。つまりこれは、開始から10分少々、おおよそ200mにして――廃道探索が始まったということだと思う。 続くトップ>目次>1/お読みいただきありがとうございます。当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口このレポートの最終回ないし最新回の「この位置」に、レポートへの採点とコメント入力が出来る欄を用意しています。あなたの評価、感想、体験談などを、ぜひ教えてください。【トップページに戻る】