布伏内地区住宅 関連ブログ・参考リンク
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kitanohosomiti/top20081.html
阿寒町から北上途中、布伏内集落(旧 古潭)にも炭住街の廃祉が残る。人員急増の昭和22年、22棟の社宅が融資により建設された。ここから炭鉱跡までは約6.5km程度である。
https://ameblo.jp/kimamadoshujin/entry-11526984129.html
新雄別駅対岸の住宅跡です。風鈴が残っていました、風を受ける短冊は色こそ褪せていましたが、きれいな形のままでした。炭鉱閉山後、産炭地振興策により多く工場が進出しましたが、炭住の一部はその社宅として転用されたのでしょう。 進出した工場の中には、某有名ハムメーカーもありました。また、ある工場では受け入れた中国人研修生が行方不明になったと言う騒ぎがありましたが、それも今は夢のようです。現在、産業廃棄物処理場が1ヶ所操業しているのみです。
http://geo.d51498.com/mirmoruins/yubetsu/001.html
道東の某所、国道から枝分かれする道道を雄別方面へ北上すると急激に人口密度が薄くなる場所がある。布伏内という地区で、写真のような鉱員住宅の廃墟が多く点在する。この地区に入ると既に携帯電話は圏外表示される。
https://gossy54200.exblog.jp/238477062/
どーんと意表をつくように布伏内の集落が現れたのであった。この「いないいないばあ」みたいな意外性が、布伏内の魅力のひとつなのである。昔の炭鉱住宅らしき廃墟。廃校になった中学校。炭鉱が閉山されたのは1970年代なのに、2000年までこの学校が存在していたことに驚いた。炭鉱が閉山した後もこの地に住み続けている人は、どうやって生計を立てているのだろうか。ちなみに平成22年の国勢調査の段階では、この地区の人口は198人となっています。