霞ヶ浦駐屯地・朝日分屯地引き込み線は、茨城県土浦市の荒川沖駅から土浦市阿見町にある霞ヶ浦駐屯地及....

霞ヶ浦駐屯地・朝日分屯地引き込み線

霞ヶ浦駐屯地・朝日分屯地引き込み線 概要・歴史

霞ヶ浦駐屯地・朝日分屯地引き込み線は、茨城県土浦市の荒川沖駅から土浦市阿見町にある霞ヶ浦駐屯地及....

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霞ヶ浦駐屯地・朝日分屯地引き込み線(2022年4月)
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霞ヶ浦駐屯地・朝日分屯地引き込み線 ストリートビュー・空中写真

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https://ameblo.jp/ironmaiden666666/entry-12696285461.html?frm=theme
常磐線荒川沖駅を所管駅としていた専用線1985年頃まで存在していたらしい ※1975年時点での線路配置   荒川沖駅に残る貨物側線自衛隊線はここから手前へのびていく
https://www.hotetu.net/haisen/kanto2/120623jieitaikasumigaura.html
 霞ヶ浦駐屯地(朝日分屯地)専用線:霞ヶ浦駐屯地(JGSDF Camp Kasumigaura)は、茨城県土浦市右籾町2410および阿見町に所在し、関東補給処等が駐屯する陸上自衛隊の駐屯地である。南側に隣接する茨城県道203号荒川沖阿見線を越えた位置に航空学校霞ヶ浦校が使用している霞ヶ浦飛行場が、隷属する分屯地として朝日分屯地がある。戦前、第1海軍航空廠では、桜花など海軍戦闘機の開発が行われた。また山本五十六(連合艦隊司令長官・海軍次官)が大佐時代に、当地で副長及び、航空学校教頭などを勤めたことで、銅像が建っている。第一次世界大戦の戦勝国である日本がヴェルサイユ条約に基づきドイツから押収移設した飛行船格納庫があったため、前述のツェッペリン号の停泊地となった。戦後は取り壊されて、現在の霞ヶ浦駐屯地などになった。昭和27年10月、保安隊発足とともに武器補給廠として昭和28年1月、武器補給廠の恒久駐屯地設立の工事が茨城県土浦市の旧霞ヶ浦海軍第1航空廠跡地において開始され、昭和28年2月に霞ヶ浦駐屯地が開設されました。5月には武器補給廠から武器補給処と改称され、昭和29年1月に霞ヶ浦駐屯地に移動を完了した。常磐線荒川沖駅から専用線が敷かれており、昭和50年頃までは年に数回(主に年度末に)貨物列車が通っていた。現在は線路が撤去され、併走の道路が拡幅されている。