宮原線(みやのはるせん)は、大分県玖珠郡九重町の恵良駅から熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅までを結...

宮原線

宮原線 概要・歴史

宮原線(みやのはるせん)は、大分県玖珠郡九重町の恵良駅から熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅までを結...

宮原線 画像

宮原線肥後小国駅跡(2007年7月)
I, Masamic, CC BY-SA 3.0 <http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/>

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宮原線 ストリートビュー・空中写真

宮原線 関連ブログ・参考リンク

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更新日時 2014年12月06日 宮原線(みやのはるせん)は、大分県玖珠郡九重町の恵良駅から熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。1980年の国鉄再建法の施行を受け、第一次特定地方交通線として1984年に全線が廃止された。なお、線名の宮原(みやのはる)とは、終点の肥後小国駅のある阿蘇郡小国町の字名である。改正鉄道敷設法別表第113号に規定する予定線の一部で、佐賀県佐賀から福岡県瀬高、熊本県隈府(現在の菊池)を経て大分県森(豊後森)に至るという壮大な計画であった。佐賀・瀬高間が佐賀線として、瀬高・南関間が東肥鉄道として、大分県側で本路線が開業したが、そのすべてがすでに廃止されている。宮原線は、1937年に恵良・宝泉寺間が開業したが、太平洋戦争の激化にともない不要不急線として延伸工事は中止、既開業区間も1943年に休止された。なお休止区間のレールは戦時中の金属供出に充てられたといわれている。戦後の1948年には復活し、1954年には大分・熊本県境を越えて肥後小国まで延伸され、農林資源の開発や観光路線として期待されたが、盲腸線であるうえ、人口が希薄な県境の高原地帯を走る路線であり、利用は振わなかった。宮原線(廃線)恵良駅 - 町田駅 - 宝泉寺駅 - 麻生釣駅 - 北里駅 - 肥後小国駅 ①恵良駅(えらえき)は、大分県玖珠郡九重町大字右田にある九州旅客鉄道(JR九州)久大本線の駅である。かつては当駅から宮原線が分岐していた。 ①恵良駅構造は相対式ホーム2面2線を有する地上駅。構内にはかつて当駅で分岐していた宮原線の跡が残っている。無人駅。①宮原線列車が発着していた恵良駅の3番線は線路跡がよく残る。②旧国鉄宮原線の恵良駅 - 町田駅間の役場前踏切より撮影。③旧国鉄宮原線の恵良駅 - 町田駅間の石上踏切より撮影。④旧国鉄宮原線の恵良駅 - 町田駅間の廃線跡。⑤旧国鉄宮原線の恵良駅 - 町田駅間の廃線跡。⑥旧国鉄宮原線の恵良駅 - 町田駅間の廃線跡。町田トンネルを拡幅し道路トンネルへ転用している。...の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。⑫旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。⑫旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。⑬旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。⑬旧国鉄宮原線の北里駅 - 肥後小国駅間の廃線跡。 ⑭肥後小国駅(ひごおぐにえき)は、かつて熊本県阿蘇郡小国町大字宮原にあった日本国有鉄道(国鉄)宮原線の駅(廃駅)で、行き止まりの終着駅である。駅跡は道の駅小国として整備され、施設内には往時の列車写真が掲げられている。 ⑭肥後小国駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を持つ有人駅で、本線のほか機回し線と側線があった。  ⑭建物の周囲の歩道部分には枕木が敷かれ、さらに構内の片隅にはレール・駅名標・転轍機・腕木式信号機もひっそりと保存され、また当所のバス停留所名称は「小国ゆうステーション」でもあり、かつてここが「鉄道の駅」であったことを証明している。⑮肥後小国駅以降の未成線部分。⑯肥後小国駅以降の未成線部分。⑯肥後小国駅以降の未成線部分。跨線橋が残る。⑰肥後小国駅以降の未成線部分。⑰肥後小国駅以降の未成線部分。⑰肥後小国駅以降の未成線部分。⑱肥後小国駅以降の未成線部分。橋梁が残る。⑲肥後小国駅以降の未成線部分。隧道が残る。⑳肥後小国駅以降の未成線部分。隧道が残る。 九州鉄道記念館に展示されている キハ07 41号 製造初年:1937 製作社等:日本車両。戦前の代表的な機械式(クラッチで変速する方式)気動車で、連結運転の時は双方の運転士が合図しながら走っていました。昭和27年にガソリンエンジンをディーゼルエンジンに変更。この車両は昭和32年に豊後森機関区に配置され、宮原線で使用されました。昭和44年に引退となり豊後森機関区や大分運転所で大切に保管されていました。戦前に製造された同型車で原形を保っているのはこの車両だけです。キハ07 41号サボと車内。戻る Copyright (C) 2006-2023 hotetu.net All Rights Reserved外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ワシモ(WaShimo)のホームページ  旅行記 ・旧国鉄宮原線遺構 - 熊本県阿蘇郡小国町 2019.03 きゅうこくてつみやのはらせんいこう旧国鉄宮原線遺構汐井川橋梁(左)と堂山橋梁(右)宮原線(みやのはるせん)は、大分県玖珠郡九重町の恵良駅から熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)でした。涌蓋山(わいたさん)を背景にした堂山橋梁しかし、1984年(昭和59年)12月1日に全線が廃止されました。宮原線は廃線後も有名な路線だそうです。その大きな理由のひとつが今も残るアーチ橋だそうです。堂山橋梁の近景宮原線跡地には、廣平・菅追・堀田・汐井川・堂山・北里・幸野川の7本のコンクリートアーチ橋が残っていて、2004年(平成16年)2月に国の登録有形文化財に登録されました。汐井川橋梁と民家廃線から34年を経過した現在でも今なお小国の人たちの日常生活の風景の中にあります。これらの橋梁のように、造建築物は風景にマッチした美しいものでなければならないと思わさせられます。汐井川橋梁近景それら7つの橋梁のうち、堀田橋梁から幸野川橋梁の5つを今回訪ねることができました。まず最初の写真は、麻生釣駅~北里駅に残る汐井川橋梁(左手)と堂山橋梁(右手)の2つの橋梁が同時に見える写真です。堀田橋梁小国富士とも称される標高1500mの湧蓋山(わいたさん)を背景にした堂山橋梁は、現役時代にも有名な撮影ポイントで、雑誌等でもよく紹介されていたそうです。北里駅跡小国町北里は、新千円札にその肖像の採用が検討されている北里柴三郎の生まれ故郷です。北里駅はホームが保存され、地元の特産品や野菜を売る店が建ち、ホームには上屋とベンチも新設されています北里駅跡 これら7本の橋梁は竹筋コンクリート造とされ、特に幸野川橋梁については建設時に竹筋を目撃したとの証言があり、一部の橋梁から採取したコア中に竹片が所在することが目視確認されているそうです。 北里橋梁肥後小国駅跡は道の駅小国(ゆうステーション)となり、駅名標などが保存されています。北里~肥後小国間の線路跡は大部分が遊歩道として整備されています。島津斉彬公使用の手水鉢北里~肥後小国間の線路跡は元はマウンテンバイクのコースとして使用されたため路面は未舗装のままであり、鉄道時代の面影をよく残しているそうです。肥後小国駅跡小国町では『旧宮原線跡地活用検討委員会』が有志によって結成され、これらの橋梁遺構を地域資源として活用する取組がなされているそうです。肥後小国駅跡【参考にしたサイト】(1)宮原線 - Wikipedia(2)竹筋コンクリート - Wikipedia あなたは累計人目の訪問者です。 Copyright(C) WaShimo All Rights Reserved.
https://otchee.com/railroad/miyanoharusen.html
知っていますか?あの街に鉄道が走っていたこと覚えていますか?あなたの街に駅があったことその廃線跡はどうなっているんだろう?さぁ、鉄道遺構へ行こう!!【宮原線】Web otchee!! > 遺構へ行こう 〜鉄道廃線跡を訪ねて〜 > 宮原線宮原線路線の概要久大本線の恵良駅から肥後小国駅までを結んでいた全長26.6kmの路線。1937年6月27日に恵良駅〜町田駅〜宝泉寺駅が開業。太平洋戦争の影響で不要不急路線となり1943年9月1日から戦後の1948年3月31日まで休止線扱いとなった。金属を提供するためにレールは剥がされたらしい。また、肥後小国駅への延伸工事も中止された。その後、1948年4月1日から営業が再開された。1954年3月15日、宝泉寺駅〜麻生釣駅〜北里駅〜肥後小国駅間が延伸開業。1968年、全線開業してまだ14年しか経っていないが、国鉄諮問委員会より出された「赤字83線」に含まれる。1981年、第1次廃止対象特定地方交通線となり、1984年11月30日限りで廃止された。宮原線は改正鉄道敷設法別表 九州ノ部 113号の「佐賀縣佐賀ヨリ福岡縣矢部川、熊本縣隈府ヲ經テ肥後大津ニ至ル鐵道及隈府ヨリ分岐シテ大分縣森附近ニ至ル鐵道」の一部となっている。開通部分の宝泉寺駅〜肥後小国駅間は地形の関係で蛇行した状態で敷設され、当時の技術者の苦労がうかがえる。隈府は菊池付近で、肥後小国駅からはここをめざして工事が行われていた。しかし、肥後小国駅の先の僅かな部分のみ工事されただけだった。山岳地帯を通るため難工事となっていたことは想像に難くない。宮原線主な探索の記録2003.11.23肥後小国駅跡〜北里駅跡2003年11月23日に熊本県小国町に残る宮原線(恵良〜肥後小国)跡の一部を使った、「旧国鉄線宮原線廃線蹟を歩く」というウォーキングイベントが行われました。旧国鉄宮原線跡地・・・2004.10.30宮原線跡地探索モニターツアー1日目、まずは豊後森にある機関庫に集合しました。宮原線は1つ隣の恵良駅から分岐していましたが、列車は豊後森駅まで来ていました。ここには宮原線を走っていた蒸気機関車も所属・・・2004.10.31宮原線跡地探索モニターツアー2日目は今回の目玉、北里〜麻生釣間の探索です。この区間は多くの遺構が残っているようなので、かなり楽しめそうです。しかし、事前に旧国鉄宮原線跡地再活用検討委員会の・・・2005.5.15町田駅跡・宝泉寺駅跡天気が良かったので宇佐〜玖珠〜小国〜日田と走らせました。途中、豊州鉄道跡や豊後森のラウンドハウスを遠目に見つつ、車はそのまま国道387号線を小国方面へ。途中、久大本線・・・2006.5恵良駅〜宝泉寺駅跡付近2006年5月、大分の友人の結構披露宴に出席しました。翌日、そのまま大分道で福岡まで帰るのはもったいなかったので、とりあえず下道で帰ってました。水分峠でソフトクリームを舐めつつ・・・宮原線特別寄稿(All Photograph & Text/TOM)2007.9.23宝泉寺駅跡〜麻生釣駅跡3月11日に北里-肥後小国間のMTBコースを訪走した際、宮原線の全区間の歴史と現状調査を実施した。その際、麻生釣駅跡とそれより宝泉寺駅までの軌道敷き跡・・・ TOP|phoblog de otchee*|遺構へ行こう|From the air|PC50|Fe-Ph|5402|NNR|Font|e-mail Copyright (C) otchee All Rights Reserved.
http://ekisya.net/B-HAISHI/215-MIYANOHARU/215_MIYANOHARU.htm
宮 原 線(恵良-肥後小国)恵良-町田-宝泉寺-麻生釣-北里-肥後小国昭和59(1984)年12月1日廃止)※所在地は撮影当時のものです恵 良 駅(大分県玖珠郡九重町) ▲宮原(みやのはる)線の起点駅ですが、列車はすべて隣の豊後森駅が始発でした。ホームは2面3線で、駅舎からいちばん遠い3番ホームが宮原線のホームでした。(1984.11撮影)→久大線・恵良駅町 田 駅(大分県玖珠郡九重町) ▲昭和12(1937)年6月開業。地上からかなりの階段を昇ったところに駅舎がありました。周辺は民家が結構あり、学校もありました。(1984.11撮影)宝 泉 寺 駅(大分県玖珠郡九重町) ▲昭和12(1937)年6月開業。駅舎は開業時のもの。宝泉寺温泉への下車駅で、駅から少し歩くと温泉街でした。しかし列車で温泉に訪れる客は当時から少なかったようです。(1982.8撮影)麻 生 釣 駅(大分県玖珠郡九重町) ▲昭和29(1954)年3月開業。石造りの駅舎。高原の駅でした。(1982.8撮影)北 里 駅(熊本県阿蘇郡小国町) ▲昭和29(1954)年3月開業。ホームは高い場所にあり、駅前とは地下道で結ばれていました。この写真の構造物は駅舎ではなく、中は地下道への階段になっています。(1984.11撮影)肥後小国駅(熊本県阿蘇郡小国町) ▲昭和29(1954)年3月開業。駅舎は開業時のもの。小国町の中心駅でしたが、利用客は100人に満たないという駅でした。この駅の所在地が小国町大字宮原なので宮原線という線名がつけられたのでしょうか。(1982.8撮影)JR・国鉄 路線一覧へもどる   トップへもどる
http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/JNR-miyanoharu/miyanoharu.html
宮原線のC11   大分県と熊本県の県境の高原地帯を走っていた、美しいC11の記録です国鉄宮原(みやのはる)線は、久大本線の恵良から肥後小国まで26.6kmの路線でした。(左図の赤線)分岐駅は恵良でしたが、列車は全て機関区のある豊後森から運転されていました。豊後森から終点の肥後小国まで走るのは1日3往復で、乗車するには難度の高い路線でした。ただし土曜日だけは通学用に昼間に1往復運転され1日4往復走っていました。先輩のAさんに引率されて2週間の九州SL撮影旅行の途中に宮原線を乗りに行きました。1970(昭和45)年8月1日の土曜日です(Aさんは宮原線に乗ることを最優先[=土曜日に訪問]に旅行計画を組まれたそうです)。 ←左の地図は、国土地理院1/20万「大分」 S46.4.30発行より ↓交通公社時刻表1970(S45).8月号より高原を走りお客の少なかった宮原線は、国鉄再建法で特定地方交通線の第1次廃止対象路線となり、1984(昭和59)年に廃止されました。↓宮原線① 肥後小国 1970(S45).8.1   肥後小国駅停車中のC11191号です。宮原線② 肥後小国 1970(S45).8.1豊後森から乗ったキハ20形単行運転で、高原列車の車窓風景を満喫し、肥後小国へ13:49に到着しました。13:54に肥後小国を出発しましたので、滞在わずか5分です。停車中の気動車orホームから撮ったC11191号の斜め後ろ姿です。豊後森機関区の美しい機関車でした。肥後小国には、石炭の積み込み設備と機関車駐泊所もありました。宮原線③ 肥後小国 1970(S45).8.1この写真は、たぶん肥後小国を出発する気動車の窓から撮ったと思います。C11が、結構長い貨物列車の先頭に立ち、いつでも出発できるという感じでした。宮原線④麻生釣(あそづる) 1970(S45).8.1大分県と熊本県の県境の峠にある高原の駅:麻生釣で途中下車しました。周りに何もない麻生釣駅を出発していく豊後森行き気動車の後ろ姿です。肥後小国に貨物列車が出発準備中でしたので、ここで途中下車して...最もきれいでした。黒光りという表現がピッタリする機関車でした。宮原線⑧麻生釣~北里 1970(S45).8.1上の写真⑤⑥⑦の続きです。C11191号の貨物列車が通り過ぎました。 宮原線⑨麻生釣~宝泉寺 1970(S45).8.1蒸気機関車を撮ってから1時間半後くらいでしょうか、キハ20単行の肥後小国行きがやってきました。麻生釣16:09の列車です。麻生釣から少し歩いて撮りました。インターネットで宮原線の写真を検索すると、宮原線にはコンクリート製のアーチ橋がたくさんあり、廃止が迫った頃は撮影名所になっていたようです。(駅から遠いので行きませんでした)宮原線廃止後は、そのコンクリート製アーチ橋が国の登録有形文化財に指定され、廃線跡めぐりの名所になっているそうです。宮原線⑩麻生釣(あそづる) 1970(S45).8.1麻生釣のホームから、北里方向を見た風景です。上の⑨のキハ20が、肥後小国で折り返して麻生釣へ来るのは、約1時間後の17:08です。麻生釣のホームで待っていると、日も傾いてきて、柴刈りのおばさん達が線路を歩いて帰っていきます。このあたりには人家がないので、まだ家は遠いと思われます。宮原線⑪ 麻生釣 1970(S45).8.1上の写真⑩の場所から振り返るとホームがあります。柴刈りのおばさんが、線路を宝泉寺方向へ歩いて行きます。 宮原線⑫ 麻生釣 1970(S45).8.1このホームの向こうにも、もう一本ホーム跡が見えます。貨物ホーム跡でしょうか?どんな貨物を出荷していたのか気になります。 宮原線⑬ 麻生釣 1970(S45).8.1逆光写真でわかりにくいですが、豊後森行きのディーゼルカーが麻生釣に到着します。時刻表を見ると、麻生釣17:08発の豊後森行きの上り最終列車!です。この列車に乗り、豊後森に向かいました。宮原線⑭ 宝泉寺 1970(S45).8.1宝泉寺で1両増結しました。増結した車両は、豊後森16:40発、宝泉寺止め(17:03着)の列車でした。連結して2両編成になったこの列車(上りの最終列車)は、17:28に宝泉寺を出発します。その折返しの、豊後森18:50発の列車が宮原線の下り最終列車です。津島軽便堂
http://mabumaro.com/jpg/train/miyanoharu/miseisen.html
国鉄宮原線 未成線跡 肥後小国駅の南方の小国高校の北側から西側にかけて未成線の跡らしい遺構が見つかった。 未成線の遺構は国道212号線を東西に貫くように走っている。 明らかに鉄道の単線分のサイズの道はコンクリート橋で川を渡り、まっすぐに西に向かっており、その先の山を貫くトンネルが見えたので、車を止めて観察する。 道の駅ゆうステーションからさらに南方向に伸びる小国高校に沿って西側にカーブしている道が未成線であることは、幾多の廃線跡を検証している先達のサイトで確認出来る。 宮原線は、肥後小国駅からさらに熊本電鉄の前身である菊地軌道の終点菊池までの延伸計画があった。 トンネルの手前に用水路の通った築堤が未成線の上をオーバーハングしている部分が一番鉄道の遺構であることを感じさせられる場所だと思った。 改めて未成線の遺構をGoogleストリートビューで探してみると、小国高校の北側の道が整備されて遊歩道になっていた。 国道212号線の西側部分は以前と全く変わっていないように見受けられた。 道の駅に車を停めて終着駅の気分を味わった後に未成線の遺構を散策するというのがおすすめです。取材年月日2001年3月13日
http://9.pro.tok2.com/~yjinno/miyanoharu.html
九州トップ北海道東北関東中部近畿中国・四国宮 原 線国鉄監修「交通公社の時刻表」1984年12月号より転載1937.6.27 恵良-宝泉寺間開通1943.9.1  営業休止1948.4.1  復活1954.3.15 宝泉寺-肥後小国間開通1984.12.1 全線廃止 「みやのはる」線と読みます。1922年改正鉄道敷設法別表「113 佐賀県佐賀ヨリ福岡県矢部川、熊本県隈府ヲ経テ肥後大津ニ至ル鉄道及隈府ヨリ分岐シテ大分県森付近ニ至ル鉄道」に沿い、豊後森(恵良)より熊本県隈府(菊池市付近)を目指して建設されました。「佐賀県佐賀ヨリ福岡県矢部川」は佐賀線(現廃線)として開通し、矢部川は現在の鹿児島本線瀬高です。 戦時中レールや橋桁が不足したため、重要度が低いとみなされ1943年営業休止となったばかりか同時に未開業だった宝泉寺-麻生釣間もレールを撤去されました。宝泉寺までは1948年に復活したものの肥後小国までの全通は1954年まで持ち越されました。 1968年の赤字83線にも名を連ね、国鉄再建法による特定地方交通線選定の際にも基準期間の平均輸送密度が164名と九州最小だったため第1次廃止対象に選定され、結局バス転換となりました。 起点は恵良ですが、全列車豊後森発着です。肥後小国の1つ手前の北里は細菌学者の北里柴三郎の出身地であり、北里文庫があります。肥後小国の駅舎は廃線後すぐ撤去されました。恵良の次の町田は横浜線に同名の駅がありますが、横浜線のほうは以前は「原町田」で、1980年4月1日に改称されました。乗車 1984.9.15駅名 起点からのkm 開駅年月日(恵良)   0.0町田    4.7 1937.6.27宝泉寺   7.3 1937.6.27線内唯一の交換駅で、腕木式信号が活躍。麻生釣  14.8 1954.3.15北里   22.5 1954.3.15肥後小国 26.6 1954.3.1521歳当時の作者です/宝泉寺が交換駅といっても、この列車本数では・・・九州トップ北海道東北関東中部近畿中国・四国
http://5.travel-way.net/~niemon/kumamoto/ogunimati/sugasako.html
参考菅迫橋梁旧国鉄宮原(みやのはら)線2005.09.18国登録有形文化財阿蘇郡小国町西里 菅迫橋長:136mコンクリート造11連アーチ橋架設:昭和12年堀田橋梁から国道387号線へ戻り700m北上。左斜め後へ道路を上り、450m先に黄色のポストが立っているところがありますので、そこを歩いて下って行くと藪の中に見えてきます菅迫(すがさこ)橋梁「久大本線の恵良駅から分岐し肥後小国駅に至る旧宮原線の施設。昭和10年着工,同29年全線開通した。いずれも単線仕様のアーチ橋で,設計は鉄道省熊本建設事務所,鉄材節約のため無筋コンクリート造である。径間長10mで11連のアーチが連続する菅迫橋梁が橋長136mと最大規模を誇る。幾何学形状の構造物が,山間部の近代化を象徴的に物語っている。」ここから歩いて下って行きます。
http://blog.livedoor.jp/moonchild6/archives/1992910.html
巨大なコンクリートの構造物が現れる。7基ある"竹筋橋"の1つ、菅迫(すげのさこ)橋梁だ。アーチは11連あり、延長136mは国鉄宮原線最長。昭和12年頃完成とされる。接近困難な林の中にあり、写真を撮ってもごらんの有様だ。右手(下の写真)が恵良側で、前項の藪を抜けた線路跡はこの橋の上に出てくる。
http://www.yado.co.jp/hasi/kumamoto/miyanoharusen/horita/index.htm
 堀田(ほりた)橋梁は昭和59年(西暦1984年)に廃線となった旧・国鉄宮原(みやのはる)線のコンクリート造り4連アーチ橋ですが、 今、道路の上の部分は壊されていますので3連のみ残っています。また、橋の下は地元の人達の物置になっているようです。少し ゴチャゴチャしており、きれいな状態ではないですね。
http://www.yado.co.jp/hasi/kumamoto/miyanoharusen/douyama/index.htm
 堂山(どうやま)橋梁は昭和59年(西暦1984年)に廃線となった旧・国鉄宮原(みやのはる)線のコンクリート造り3連アーチ橋です。 涌蓋山(わいたさん)の麓に湧く山川温泉の入口に架かっており、 この橋梁の手前にも「ほたるの里温泉」という共同温泉があります。
http://5.travel-way.net/~niemon/kumamoto/ogunimati/kitazato.html
参考北里橋梁旧国鉄宮原(みやのはら)線2005.09.18国登録有形文化財小国町北里字北里橋長:60mコンクリート造5連アーチ橋架設:昭和13年頃幸野川橋梁から県道318号線を2.2Km東進。県道が国道387号線へ上がるところに架かっています北里橋梁「久大本線の恵良駅から分岐し肥後小国駅に至る旧宮原線の施設。昭和10年着工,同29年全線開通した。いずれも単線仕様のアーチ橋で,設計は鉄道省熊本建設事務所,鉄材節約のため無筋コンクリート造である。径間長10mで11連のアーチが連続する菅迫橋梁が橋長136mと最大規模を誇る。幾何学形状の構造物が,山間部の近代化を象徴的に物語っている。」