ピラム洞窟(ピラム壕)は千葉県富津市にある洞窟施設の通称。打越トンネル北側坑口脇に位置する。 「...

ピラム洞窟と洞口着弾観測所

ピラム洞窟と洞口着弾観測所 概要・歴史

ピラム洞窟(ピラム壕)は千葉県富津市にある洞窟施設の通称。打越トンネル北側坑口脇に位置する。 「...

ピラム洞窟と洞口着弾観測所 画像

ピラム洞窟(2022年6月)
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近くのスポット

ピラム洞窟と洞口着弾観測所 ストリートビュー・空中写真

ピラム洞窟と洞口着弾観測所 関連ブログ・参考リンク

http://ameblo.jp/folky530/entry-10499244033.html
そして海側には、石井造船所の跡。以前は、有名な廃墟物件だったのですが現在は、更地となっています。ドックヤード跡に残るレール今では、釣り場として良さそうです。残された係船柱は、良い椅子になりそうです。石井造船所跡地を出て内房線の本日2個目の煉瓦トンネル発見。樽山
http://helvetica.blog2.fc2.com/blog-entry-2401.html
内房線の竹岡駅から金谷駅まで歩いていると打越トンネルの手前に謎の洞窟がある。
http://yakumo1100.blog.fc2.com/blog-entry-112.html
前回の続きで、洞口着弾観測所及び周辺遺構を紹介する。127号線を海岸に沿って進み、内房線竹岡駅を過ぎた辺りにトンネルがある、その手前に釣具屋ピラム(現在閉店)がある、その駐車場に高さ3m程の所に大きな壕口が見えている。この前を走った事のある人は見たことがあるだろう、元々は低い位置に開口していたが駐車場を作る時に手前を削ったら、自然とこうなってしまったそうだ。トンネルを越えた海岸に洞口着弾観測所が海岸に見える、ピラム側の海岸からは回れない。
http://tekdiver2.sitemix.jp/html2/arakawas/backn009/piramu/piramu.html
金谷付近の洞窟陣地木更津からR127で金谷に向かって南下する途中、金谷港手前2キロ、打越トンネル直前の崖の高さ2mくらいの位置に明らかに人工的なものとわかる穴が開いている。ハシゴでもかけないと入れない位置なので何だろう?と思っていたのだが、雰囲気が洞窟陣地っぽい。位置的にも軍事遺構の宝庫である三浦半島の向かいだし・・・。気になったので、隣のピラムという釣具屋で訊いてみることにした。私は釣りが趣味ではないので、この店では何も買えないのだが、それにもかかわらず、経営者夫妻は快く質問に答えて下さった。○この穴は軍の洞窟陣地入口。○昔は、地上に近い位置に穴の入口があったが、地主が(駐車場を作るため?)山を掘り下げたため、穴の位置が後退し、位置が上がってしまった。→これで穴の位置の謎が解けた(^_^)○洞窟陣地は山の内部に張り巡らされていて、爆風除けに曲がった場所もある。大砲が設置できるような穴もあり、そこから浦賀水道を通過する敵船を砲撃する予定だったらしい。○駅(竹岡駅?)の方や、南側にも開口部はあるらしいが、多分封鎖されていると思う。入れるのはここぐらいだろう。○打越トンネル反対側の海岸に、監視哨のようなものがある。○R127じたいが、軍用道路。これができる前は旧道が使われていた。(って、旧道ってどこ?)お礼を言って店を出た。トンネルを抜けてすぐの場所の路肩にバイクを停め、国道を渡って海沿いの「監視哨」を見に行った。砂浜に人が一人入れる程度のコンクリ建造物があった。これが釣り道具屋さんが「監視哨」と言っていた建物だが、開口部が山側にしか無い、ということは、実際は監視哨として使われていたのではないと思う。いったい何だろう?その後、近所のお年寄り(10年くらい前に引っ越してきたらしい)に聞き込みしたら、「海底無線通信の施設らしい」。「海底無線」というのはありえないが、通信関係の施設だった可能性は無いとはいえない。「軍艦メカ開発物語」(深田正雄、光人社NF文庫)に興味深い記事が出ていた。当時の日本軍は、湾に侵入する敵艦を発見するため、海底に水中聴音機を設置し、海底ケーブルで聴音機からの電気信号を陸に送っていた、というのだ。場所的に、このあたりは東京湾の入口の狭くなった場所なので、水中聴音機が設置されていた可能性は高く、この施設は海底ケーブル関係のものかもしれない。【関連】対岸の三浦半島・観音崎の、水中聴音機関連のものとされている施設ピラムより竹岡駅側の洞窟の開口部について、住民の方に聞き込みして回った。すると、ある家のおばあさんから、「うちの1~2軒隣の家の裏山に防空壕があった筈」「もう少し先の十字路上の墓地の中に穴があって、子供の頃、男の子がよく探検していた」ということが聞き出せた。ありがとうございますm(_ _)mそこで、まず、「萩生バス停」のすぐ上のお墓に突入した。道幅が狭かったがセローならなんとかなるでしょ?ということで坂を登っていったら、道幅がますます狭くなって行き止まり。ヤバいんじゃ?セローの向きを変えようとしたら、道幅が狭いうえに片側溝、おまけに坂道。切り返しもままならず、方向転換に難渋した。結局、荷物を降ろして、バイクの尻を持ち上げるようにして方向転換。腕疲れた~。バイクでも変な道にはむやみに突っ込まないに限るな。墓地の崖を見たら、大穴が開いていた。半分以上、ゴミや土砂で埋まっているので入ることはできなかった。この穴の入口から海は見えるが、海岸線からはかなり離れている。歴史雑誌(「歴史群像」だっけ?)には、「サイパンで「海岸沿いの陣地を突破されて後はズタボロ」という痛い経験から、その後の日本軍は、陣地は海岸線から離れた場所に作り、上陸した敵にも対処できるようにした」と書かれていた。これもそういうコンセプトで作られた陣地か?墓地から出、民家の裏山の防空壕を見に行くことにした。この民家の裏側の崖に軍隊の作った防空壕がある。この家のおばあさんの話では、崖崩れのおそれがあるということで、穴は塞がれ、手前にフェンスが作られてしまった、とのこと。見せて頂いたがフェンスの内側に入り込まないかぎり、視認するのも難しい状態だった。残念。