雲仙鉄道(小浜鉄道) 関連ブログ・参考リンク
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更新日時 2015年12月31日 雲仙鉄道(うんぜんてつどう)とは、長崎県雲仙市(営業当時は南高来郡愛野村)の島原鉄道愛野村駅(現在の愛野駅)から長崎県雲仙市(営業当時は南高来郡小浜町)の雲仙小浜駅(肥前小浜駅)を結んでいた鉄道路線、およびその運営会社である。1938年に全線が廃止された。温泉軽便鉄道として開業した当時は1日7往復が運行されていた。歴史1923年(大正12年)5月5日 温泉軽便鉄道が愛野村(現在の島原鉄道愛野駅)~千々石を開業。1923年(大正12年)7月1日 温泉軽便鉄道 浜駅開業。1924年(大正13年)5月31日 温泉軽便鉄道が温泉(うんぜん)鉄道に社名変更。1927年(昭和2年)3月10日 小浜鉄道 千々石~肥前小浜(のちの雲仙小浜)を開業。1927年(昭和2年)6月 島原鉄道・温泉鉄道・小浜鉄道の3社で諫早~肥前小浜間直通運転開始。1932年(昭和7年)11月 島原鉄道との直通運転を廃止。1933年(昭和8年)6月15日 小浜鉄道が雲仙鉄道に社名変更。1933年(昭和8年)10月2日 雲仙鉄道が温泉鉄道を合併。1935年(昭和10年)6月1日 島原鉄道に経営委託。1938年(昭和13年)8月16日 愛野村~雲仙小浜間全線廃止。駅一覧愛野村駅 - 愛津駅 - 水晶観音駅 - 浜駅 - 千々石駅 - 上千々石駅 - 木津ノ浜駅 - 富津駅 - 雲仙小浜駅島原鉄道諫早駅 8:29発の列車で出発。島原鉄道キハ2500形。島原半島の観光地図。諫早駅-愛野駅間の写真はローカル線の旅 島原鉄道(諫早-島原外港)を参照①9:00愛野駅着。①雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)旧愛野村駅跡①温泉鉄道想い出道地図。大正9年(1920年)7月温泉軽便鉄道株式会社創立。昭和13年(1938年)8月 雲仙鉄道解散①愛野駅脇の雲仙鉄道廃線跡。②雲仙鉄道廃線跡(愛野村駅-愛津駅間)②雲仙鉄道廃線跡(愛野村駅-愛津駅間)③雲仙鉄道廃線跡(愛野村駅-愛津駅間)④雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)旧愛津駅跡。④雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)旧愛津駅...仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。①トンネルは一般道として使われている。①雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。①雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。②待避口が有るのが、廃線跡を確信させる。②トンネルの中からのこの風景が一番好きだ。②雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。②橘湾が見える。②雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。②雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡 待避口が廃線跡の証拠となる。③雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。③橘湾。④木津漁港。⑤雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。⑤雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。⑥雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)木津の浜駅跡。 12:21着⑥雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)木津の浜駅跡。⑥木津駅跡バス停乗り場。⑥雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。⑦雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡 木津周辺。⑧木津。⑧雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。⑨雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。⑩雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。⑪橘湾小浦。⑫雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。⑫雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。⑬雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。⑭雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。⑮雲仙鉄道(温泉軽便鉄道) 富津駅跡。 12:52着⑮雲仙鉄道(温泉軽便鉄道) 富津駅跡。⑯雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。⑯雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。⑰雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。⑱雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。⑲雲仙鉄道(温泉軽便鉄道)廃線跡。⑲一般県道北野千々石線。⑳雲仙鉄道(温泉軽便鉄道) 雲仙小浜駅跡。 13:18着⑳雲仙鉄道(温泉軽便鉄道) 雲仙小浜駅跡。⑳雲仙鉄道(温泉軽便鉄道) 雲仙小浜駅跡。⑳北村バス停 13:33分北村発、諫早駅行きで帰る。バス賃約1000円。戻る Copyright (C) 2006-2023 hotetu.net All Rights Reserved外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『雲仙市』を掲載」
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雲仙鉄道の歴史雲仙鉄道は 嘗て長崎県南高来郡の愛野村と小浜町を結ぶ 路線距離17.34kmの鉄道路線であった軌間は国鉄と同じ1067mmであったが軽便鉄道法により大正時代に創業敷設された廃止当時の停車場とキロ程は下記の通りである愛野村-<1.7km>-愛津-<2.1km>-水晶観音-<1.1km>-濱-<4.4km>-千々岩(ちじわ)-<1.2km>-上千々岩-<2.4km>-木津ノ浜-<2.4km>-富津(とみつ)-<2.0km>-雲仙小濱
http://pyoco3.c.ooco.jp/kyusyu/unzen/unzen.html
雲仙鉄道を訪ねて廃止鉄道ノート九州 減速進行 地区:長崎県雲仙市 区間:愛野村~雲仙小浜/17.4km 軌間:1067mm/単線 動力:蒸気・内燃雲仙や小浜温泉への観光客誘致を目的に、ふたつの鉄道会社がそれぞれの路線を開業した。しかし計画時の思惑通りに事は運ばず、両社は合併して経営にあたったが、長崎から雲仙への直通バス運行等も影響し、短期間で終焉を迎えてしまった。略史大正12(1923) -5/5 温泉軽便鉄道(愛野村~千々石) 開業13(1924) -5/31 〃 温泉鉄道に改称昭和2(1927) -3/10 小浜鉄道(千々石~雲仙小浜)開業8(1933) -6/15 〃 雲仙鉄道に改称10/2 雲仙鉄道 温泉鉄道を合併13(1938) -8/16 〃廃止路線図1937年2010年廃線跡現況A島原鉄道との接続駅、愛野村(A参照)には駅名標を模した石造りの案内板が設けられている。制作費も高そうだが耐久性も高そうで、鉄道の歴史をしっかり後世に伝えてくれるものと期待される。現駅の南側に乗り入れていた跡地は通路等に利用され、痕跡を見つけ出すことは難しい。なお現在の駅名は愛野に変更されている。17年5月西に向かう路線はすぐ島原鉄道と別れ、左カーブで市街地の中を抜ける。農協施設やパチンコ店、更に数軒の民家を越えた先の用水路に、当時の橋台(B参照)を見つけることができる。両岸とも石積みで、桁を結合したアンカーボルトも残されている。ここからは区画整理された農地に飛び込み、やはりルートを直接たどることは不可能となっている。B17年5月Cしばらく進むと生活道路と交差し、その先は有明川右岸の民家や倉庫の中を進む。以前は、民家庭先に道床とバラストが残っていたとの話も聞いた。更に右カーブで西に向きを変え始め、二車線の市道と交差したのちは再び農地内に飲み込まれる。交差部西方の市道沿いには愛津の駅名標(C参照)が立てられ、その存在を伝えている。この路線は全ての駅跡に同様の案内があるため、場所の特定が容易なのはありがたい。ただし当駅...)は、今もそのまま道路用として供用され、片や直線、片や曲線で、照明にも明暗の差があるのは面白い。J17年5月KL17年5月17年5月Mその後眼下に再び海が見えてくると、前駅に続きホーム跡の残された木津の浜(M参照)に到着する。駅は集落のかなり高所に設けられ、眺望はよいものの、利用者にとって不便であったことは想像に難くない。また同所に木津駅跡バス停も置かれているが、時刻表は錆びて読み取ることができず、実際にバスが運行されている様子はうかがえない。17年5月駅の先で長い切り通しを抜け、さらに深い左カーブを過ぎると富津地区に入る。入り江を囲むように進むルートの途中にトンネル(N参照)が一箇所掘削され、一部がコンクリートで補強されるものの、ほぼ原型を保ったまま道路用として利用されている。ただ出口の見通せないカ-ブトンネルの上、内部でのすれ違いも不可能なため、通行車両はかなりの注意を払って進入しているようだ。N18年3月O地区の東端に位置したのが富津(O参照)で、ここも中心部あるいは港との高低差はかなり大きい。駅は、石碑北隣の民家とガソリンスタンドにまたがっていた。また民家側に入口があったこと、石碑との間の道が取付道路になっていたこと、廃線跡道路は今も汽車道と呼ばれていること、以前は大型の路線バスが走っていたこと、等の話を地元で聞くことができた。18年3月県道は橘湾に沿って南東方向に進み、同時に下り勾配で徐々に高度を下げて、視界の開けた海岸沿いの平地に降りる。少し道幅の広がった道路上を進むと、消防の施設に突き当たって左に折れ、国道57号線に合流する。この突き当たりに終点の雲仙小浜(P参照)が設置されていた。南側の民家前に残る石垣はホーム擁壁跡と言われているが、狭い空間で確認しずらいのは残念なところ。また小浜温泉街とは大きく離れており、バスとの競争に不利であったことは否めない。P17年5月参考地形図1/50000 肥前小浜[S7部修]1/25000 愛野[T15測図] 肥前小浜[該当無]ご記帳処お断り・連絡先 ↑ページtop最終更新日2018-5/8 転載禁止 Copyright (C) 2017 pyoco3 All Rights Reserved.
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島原半島にある、雲仙国立公園の西側に位置する小浜(おばま)温泉。その歴史は古く、温泉街として有名である。また、温泉としての放熱量は日本一だそうで、いわゆる地熱発電所が近年に完成し、稼働している。 島原半島における交通としては、明治20年ごろには周回道路が完成している。もっとも、その頃の道路はカゴ・人力車や荷物を積んだ牛舎が主体であったようだ。
http://himahima1.cocolog-nifty.com/in/2012/04/post-3240.html
偶然、昭和2年の長崎日日新聞の小浜鉄道開通時の記事を見つけました。記事といっても、一面全面記事です。以前から、この鉄道には二つの疑問がありました。一つは、この短区間(愛野町~小浜町)になぜ、2つの会社があったのか。後で合併をしますが、大正12年開通の温泉鉄道(愛野町~千々石町)、昭和2年開通の小浜鉄道(千々石町~小浜町)です。もう一つの疑問は、なぜ鉄道が温泉街まで行かず、手前の北野までしか運行しなかったかです。