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更新日時 2009年12月31日 島原鉄道線(しまばらてつどうせん)は、長崎県諫早市の諫早駅から同県島原市の島原外港駅までを結ぶ島原鉄道の鉄道路線である。島原半島の北岸から東岸を走る鉄道路線。非電化ローカル線であるが、諫早口では近郊輸送の役割も担っている。かつては博多駅までの国鉄線直通優等列車も運行していたが廃止され、島原半島と福岡を結ぶ当路線の連絡機能は失われた。以前は島原外港駅からさらに南島原市の加津佐駅までを結んでいたが、同区間は2008年(平成20年)4月1日に廃止された。部分廃止以前は諫早 - 南島原間を北目線(きためせん)、南島原 - 加津佐間は南目線(みなみめせん)と呼ばれていた。このうち南目線も南島原 - 島原外港間一区間は存続しているため南目線が完全に廃止されたわけではない。島原鉄道 諫早駅-島原外港駅リンク 島原外港駅(しまばらがいこうえき)は、長崎県島原市下川尻町にある、島原鉄道島原鉄道線の駅。同線の終着駅である。当初2008年の廃止予定区間の中に含まれていたが、島原市の要望によって当駅まで存続となった経緯がある。相対式ホーム2面2線を有するが、1997年に交換設備が廃され、実態は1面1線の単式ホームを有する地上駅である。駅舎は南東側のホームの諫早方に置かれ、出札窓口を有する。ただし2008年度より無人駅となっている。ホーム・線路は駅舎側のみ使用されていて、反対側のホームへ渡る構内踏切には立ち入りができないが、ホーム上には待合所が置かれたままとなっている。自動券売機の設置はない。2008年5月現在、列車停止標識が駅構内の終端部(かつての加津佐方)に設置されている。旧加津佐方面はカーブしており見えにくいが、車止めが設置されている。列車の夜間停泊はなく、列車はそのまま折り返す。発着列車は毎時1本程度。島原外港駅: 秩父が浦駅(ちちぶがうらえき)は、長崎県島原市秩父が浦町にあった島原鉄道島原鉄道線の駅である。単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の西側に置かれている。駅舎はなく、ホーム上に待合所が設置されている。待合所の安徳方に裏側の道路に...である。島式ホーム1面2線を有する地上駅。無人駅。駅舎は無く待合室のみ。片方のホームはほぼ使われていない。駅は崖のそばにある。当駅から隣の東大屋駅までの間は、急峻な海岸線沿いを通るため、崖沿いやトンネルを通る箇所が多い。島原鉄道廃線:鉄橋島原鉄道廃線を跨ぐコンクリート橋島原鉄道廃線:トンネルに続く廃線跡島原鉄道廃線:トンネルに続く廃線跡島原鉄道廃線:トンネル 東大屋駅側島原鉄道廃線:勾配表 東大屋駅側島原鉄道廃線:トンネル 東大屋駅側島原鉄道廃線:キロポスト 東大屋駅側島原鉄道廃線:トンネル 東大屋駅側島原鉄道廃線:トンネル銘板 東大屋駅側島原鉄道廃線:トンネル 有馬吉川駅側島原鉄道廃線:トンネル 有馬吉川駅側島原鉄道廃線:トンネル 有馬吉川駅側島原鉄道廃線:トンネル 有馬吉川駅側島原鉄道廃線:トンネルに続く廃線跡コンクリート橋(用水路) 東大屋駅(ひがしおおやえき)は、長崎県南島原市口之津町東大屋にあった島原鉄道島原鉄道線の駅である。単式ホーム1面1線を有する地上駅。無人駅。 口之津駅(くちのつえき)は、長崎県南島原市口之津町西大屋にあった島原鉄道島原鉄道線の駅である。単式ホーム1面1線の無人駅であった。駅舎やホームは撤去されずに残っている。 白浜海水浴場前駅(しらはまかいすいよくじょうまええき)は、長崎県南島原市口之津町町名にあった島原鉄道島原鉄道線の駅である。単式ホーム1面1線を有する地上駅。 駅舎はなく、ホーム上に待合所と飲料類の自販機が設置されている。ホームの口之津方に出入り口がある。無人駅。 加津佐駅(かづさえき)は、長崎県南島原市加津佐町水下津にあった島原鉄道島原鉄道線の駅である。同線の終着駅であった。単式ホーム1面1線を有する地上駅。側線が2本あった。 無人駅で駅の奥には車止めがあった。 給油設備があった。 廃止されても駅舎は撤去されていない。加津佐駅加津佐駅 終着駅戻る Copyright (C) 2006-2023 hotetu.net All Rights Reserved外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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島原鉄道廃止区間を訪ねて廃止鉄道ノート九州 減速進行 地区:長崎県島原市 廃止区間:島原外港~加津佐/35.3km 軌間:1067mm/単線 動力:蒸気→内燃島原半島の東岸に沿って南端の加津佐まで達していた島原鉄道。昭和中旬の大水害や雲仙普賢岳噴火による被害を克服し、全線を通じて運行を続けてきたが、平成に入り収支の厳しい島原以南はついに廃止されてしまった。廃止後十年ほど経過した2018年時点でも跡地利用は進まず、ほぼ全線にわたり路盤が放置されている。略史大正11(1922) -4/22 口之津鉄道 開業昭和3(1928) -3/1 〃全通18(1943) -8/13 島原鉄道に合併平成20(2008) -4/1 〃 島原外港~加津佐廃止路線図1937年2010年廃線跡現況A現在の島原鉄道終点島原外港(A参照)の先には、今もレールが数百メートルつながっている(B参照)。留置線にでも使われていたのかもしれない。その後は放置された路盤が続き、踏切跡や橋梁跡(C参照)がそのまま残されている。藪地もあればバラストが残された区間もある。18年3月BC18年3月18年3月秩父が浦(D参照)は雲仙普賢岳の災害後に位置が移動され、比較的新しいホーム跡が残されている。ここからしばらくは災害対策として高架化が実施された区間に入り、高架橋の下には以前の築堤も一部残されている。D18年3月E安徳(E参照)も高架駅に変わった駅跡がそっくり姿をとどめ、路盤にはバラストがきれいに続いている。18年3月駅の先にはトラス橋が二本連続する。北側は土石流対策としてつくられた水無川導流堤に、南側はその源流ともなる水無川(F参照)に架けられている。当線の中でトラス橋はこの区間のみとなる。川を渡ると築堤で徐々に高度を下げ地平に降りるが、やはり路盤は放置状態が続く。F18年3月G瀬野深江(G参照)にもホーム跡が残る。線路跡の一部は農作業に利用され、農道状態の箇所も出てくる半面、入り込めないほどの藪地もある。18年3月...(BG参照)は、珍しく橋桁が外されている。道路側を通行する車両の高さ制限を解除する目的と考えられ、確認した範囲内では桁が撤去された唯一の例となる。一見、跨道橋のようにも見えるが、道路の下に川が流れる二重構造を採用している。18年4月東大屋(BH参照)の先には橋梁が三ヶ所(BI・BJ・BK参照)残され、相変わらずワンスパンの小橋梁が多い。BH18年4月BIBJ18年4月18年4月BK路盤も放置された箇所が多いが、大きな雑木もなく、一定の周期で人の手が入っていることをうかがわせる。また一部には車のわだちも刻まれている。18年4月再度、国道に接近すると口之津(BL参照)に到着する。同社が運航する天草行フェリー乗り場の真正面に、駅が設けられていた。既に駅舎は撤去され、ホーム跡を含めてバス車庫に再利用されている。BL18年4月BM駅西側の鉄橋(BM参照)は柵で囲われ、立ち入りは出来ない。続く白浜海水浴場前(BN参照)から先、線路跡は海岸沿いの林に同化してしまうため、国道に再接近するまでの間、ルートの追跡は難しくなる。ただし国道との並走区間に入ると、当時の橋梁(BO参照)を見つけることもできる。18年4月BNBO18年4月18年4月終点加津佐(BP参照)はホームと駅舎を残し、空き地となった構内にレールを敷設すれば、今にも鉄道が復活しそうな雰囲気だ。前浜海水浴場に隣接し、行楽客には便利な場所に位置していたためか、国道側に設けられたバス停は、同名ではなく加津佐海水浴場前とされている。BP18年4月 -保存車両-BQ水無川右岸堤防沿いにDL(BQ参照)が保存され、案内板もあるが、保存状態はあまりよくない。18年4月参考資料鉄道ピクトリアル通巻509号/島原鉄道/今井琢磨 著参考地形図1/50000 島原 口之津 三角1/25000 島原[H6修正] 雲仙[H6修正] 須川[S60修正] 口之津[S60修正]参考写真 97年当時の各駅ご記帳処お断り・連絡先 ↑ページtop制作公開日2020-3/27 転載禁止 Copyright (C) 2018 pyoco3 All Rights Reserved.