https://besan2005.livedoor.blog/archives/54873083.html
本日は京都府京田辺市にある三山木海軍火薬製造所跡の遺構群を探索してきました。三山木海軍火薬製造所は元々は大正10年に設立した大日本火薬工業という民間企業で、第一次大戦後に倒産しましたが、山城火薬が引き継ぎ操業をしていました。大日本火薬工業も山城火薬も海軍からの払い下げの火薬を使用して製品を製造していたため、民間企業ではありましたが軍との密接な関係にあり、アジア歴史資料センターの資料では頻繁に陸海軍の軍人が視察に訪れています。満州事変勃発後は軍の火薬の消費が大幅に増え、火薬の払い下げが受けられなくなったため、日曹火薬に吸収されました。そして昭和19年に海軍に移管して海軍直営の火薬工場になった・・・と手持ちの書籍にはありますが、どうやら海軍の直営ではなくフォロワー様によれば昭和18年に関東電気興業という企業に買収され昭和19年に軍需工場に指定されたそうで、舞鶴にあった第三火薬廠の指導の下に製造していたようです。つまりは海軍の指導と委託を受けて火薬製造をしていた民間企業の工場だったという事になりましょうか。ここでは一応「三山木海軍火薬製造所」と呼称しておきます。
https://ameblo.jp/rk-ppp/entry-12735901569.html?frm=theme
そして変更先はいくつか候補を提供し、三山木の火薬工場跡をメインに京都山城方面を回ることになりました。 現地には1時間ほど早く到着し、事前に下見しておきました。そしてわたくしの目論見通り、ある場所から近道として入ることができることを確認。それはこちらとなります。
https://twitter.com/BESAN_T/status/969554034687266816
京田辺市の三山木にある海軍火薬製造所跡の遺構。元々民間の火薬製造工場だったが昭和19年に海軍直轄の工場となる。1枚目・旧火薬庫。2枚目・火薬庫を取り囲む防爆壁の土塁。3枚目・防爆壁に開けられた出入り口のコンクリートのトンネル。