海軍第三火薬廠(ロシア病院、舞鶴市) 関連ブログ・参考リンク
http://egf.air-nifty.com/forest/2008/12/post-f886.html
2008年12月15日 一般にはなぜか「ロシア病院」と呼ばれることが多い舞鶴の第三火薬廠の一部。廃墟で ある。なぜか書籍「舞鶴の近代化遺産」にも紹介されておらず、このことから、かえって「 ロシア病院」という言葉を蔓延させているのかもしれない。 かなり広い
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/3kayakusyo.html
第三火薬廠の廃墟 朝来谷には戦前までバカでかい海軍第三火薬廠があった。 今の 日本板硝子工場や舞鶴工専、グリーンスポーツセンター・山麓公園などはその跡地の一 部に戦後建てられたものである。 第三火薬廠?そんな物があったのか。このあたりを よく
http://egf.air-nifty.com/forest/2011/04/post-cf55.html
廃墟となっていたものを、平成16年度に改修。施工は大滝工務店で 京都本店(旧松村邸) C: 日藤第1・第2トンネル D: 大庄屋上野家 E: 舞鶴赤れんが博物館 F: 海軍第三火薬廠 炸薬成形工場(「ロシア病院」) きのう(4月16日)
http://decadentworld.6.ql.bz/gallery/gallery_0004.html
旧海軍第三火薬廠跡、通称「ロシア病院」 ロシアでもなければ病院でもない。ロシア病院、その由来は不明。 巨大工場の一角で人間魚雷回天の頭部に取付ける九八式爆薬の成型作業も ここで行われていたらしい。
http://wonderinholiday.blog.fc2.com/blog-entry-8.html
2011年10月24日 第三火薬廠 Ⅰ. 舞鶴にある旧日本海軍の施設、第三火薬廠を紹介します。 解説引用 『 第三火薬廠は弾薬の成型と保管を行っていたようである この場所はロシア病院という 呼び名で廃墟愛好家達の間では広く知られていることと思います。
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/nagahamakyksyo.html
長浜 火薬廠 ( かやくしょう ) : 海軍火薬廠爆薬部: 海軍第三火薬廠 (舞鶴市長浜). ↓ ここが長浜。手前の海岸沿いの平らな所はすべて火薬廠の跡地である。空撮は坂根 正喜氏。朝来に較べれば狭いが、それでも結構な広さがある。写真の一番手前は今の
http://egf.air-nifty.com/forest/2010/06/post-1657.html
2010年6月6日 舞鶴 海軍第三火薬廠 向砲熕谷の地下式火薬庫に入った. Img_1114 5月5日にこの 遺構を見つけたのだけれど、水が深く溜まっており、長靴では無理で中に入るのは諦め たのだが、その後、べーさんのご教示などにより、ウェダー(胸までの
http://www.geocities.jp/k_saito_site/bunkn32.html
朝来校の「土管」など 朝来谷と岸田篤翁 朝来の地名の意味 馬田の伝説(舞鶴市吉野) 狐狩・嫁の臀はり(舞鶴市大波上) 木辺久左衛門(舞鶴市大波下) 白屋の土地取り上げ 第三火薬廠 住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠 人間魚雷「回天」の製造
http://egf.air-nifty.com/forest/2008/12/post-4d59.html
2008年12月28日 舞鶴 第三火薬廠 検査場(鋳造成形工場). Img_1021. つづいて、高専の北東側の検査 場の 住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠」の地図で、溶酸破砕場と示され ているあたりにあった構造物。この2つは形はよく似ているが、構造は
http://egf.air-nifty.com/forest/2009/11/post-47f1.html
2009年11月2日 海軍第三火薬廠. 11月1日、舞鶴のIさんと、『住民の目線で記録した旧日本海軍第三 火薬廠』の著者である関本長三郎さんと3人で舞鶴市朝来の第三火薬廠跡に行った。 ほんとは、この日舞鶴市主催の火薬廠をめぐるハイキング会が予定され
http://egf.air-nifty.com/forest/2010/05/25-1107.html
関本さんの本「住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠」の地図によると「爆薬乾燥置場」のように思えるが判然としない。(地図C). Img_0954 内部の様子。右側に見える壁は仕切りではあるが閉じていない。壁の向こう側は冒頭の写真で
http://egf.air-nifty.com/forest/2010/05/22-7794.html
俗に「ロシア病院」とよばれる砲炸薬成形工場(上の写真)は、けっこう知られているが、これの奥部の遺構についてはあまり語られることがない。きょう(2010.5.1)、息子を寮に送り込んだついでに、砲熕谷の奥部を探ってみた。奥側の「ロシア病院」のすぐ奥に、この「粉薬
http://egf.air-nifty.com/forest/2010/05/post-2556.html
舞鶴第三火薬廠 高専北側の蜜蝋関連施設. 関本さんの「住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠」の地図によれば、高専の北側には蜜蝋精製所や蜜蝋装填所といった蜜蝋関連施設が記載されている。 本日(2010.5.5)、このあたりを
http://egf.air-nifty.com/forest/2009/04/post-056b.html
大きな地図で見る. A:爆薬庫. 2009/04/05 建築, 近代化遺産-北近畿, 近代化遺産-第三火薬廠 | 固定リンク 記事に書かれた場所に関しては気づいていて、舞鶴に行ったときにテニスコートの横まで来たのですが、 砂利道の入口に「個人
http://egf.air-nifty.com/forest/2008/12/post-0e7d.html
舞鶴第三火薬廠 隧道式地下火薬庫. Img_1010. 息子の年末回収を兼ねて、第三火薬廠を見てきた。 2008/12/27 近代化遺産-北近畿, 近代化遺産-第三火薬廠 | 固定リンク · Tweet · ≪ 住民の目線で記録した旧日本海軍第 日(土)、舞鶴戦争遺跡探訪会を開催します。(2013.08.25); 舞鶴第三火薬廠(2008.12.15); 住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠(2008.12.24) この記事へのトラックバック一覧です: 舞鶴第三火薬廠 隧道式地下火薬庫: ≪ 住民の目線で記録した旧日本海軍第三
http://blog.livedoor.jp/ruins_giso/archives/2119777.html
通称「ロシア病院」太平洋戦争中の第三火薬廠跡地です雪に阻まれこの先の建物には行けず入口の建物の外観のみ雪が消えたころリベンジ
http://blog.livedoor.jp/besan2005/archives/51368079.html
11/22の舞鶴の戦争遺跡探索午後の部は、朝来地区の山中に眠る旧海軍第三火薬廠跡の見学。以前の探索でも旧火薬廠の廃墟を訪れていますが、http://blog.livedoor.jp/besan2005/archives/51284815.html 今回はSさん
https://blogs.yahoo.co.jp/rk_family_pp/35056470.html
それは旧海軍第三火薬廠跡、通称「ロシア病院」です。廃物件はこちらとこちら。北海道の雄別炭砿病院に比べたら・・・wいずれはじっくり紹介させていただきます。そして中舞鶴駅跡に立ち寄り・・・道の駅舞鶴とれとれセンター?に立ち寄ったけど・・・
http://www7b.biglobe.ne.jp/~haganetoumi/2014maizuru3.html
2014.11.29と言う訳で、週末に連休を設定して舞鶴に行って来ました。最近はシーズンのラストを呉で締める事が多かったのですが、今年は雪が積もらないうちに舞鶴を見ておきたいと思い、春先に続いて舞鶴湾周辺の戦争遺跡を中心に見て歩く事にしました。初日は早朝に大阪
http://machikadonoseiyoukan.web.fc2.com/kayakysyouhaikyo.htm
旧海軍第三火薬廠朝来工場砲煩谷22工場舞鶴市朝来岡安昭和17年昭和17年、拡大する日中戦争による火薬の需要に応えるため、舞鶴市の朝来地区一帯に広大な火薬工場を建設しました。それが、旧海軍第三火薬廠朝来工場です。その敷地は西は現・日本板硝子工場、東は舞鶴高専東の