吉坂堡塁砲台(きっさかほるいほうだい)は福井県大飯郡高浜町にある戦争遺構。 舞鶴要塞の一貫として....

吉坂堡塁砲台

吉坂堡塁砲台 概要・歴史

吉坂堡塁砲台(きっさかほるいほうだい)は福井県大飯郡高浜町にある戦争遺構。 舞鶴要塞の一貫として....

吉坂堡塁砲台 画像

吉坂堡塁砲台(2023年10月)
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近くのスポット

吉坂堡塁砲台 ストリートビュー・空中写真

吉坂堡塁砲台 関連ブログ・参考リンク

https://ameblo.jp/mango2-100822/entry-12760507774.html
今日は舞鶴軍港東側に設けられた吉坂(きっさか)堡塁をレポートします。 右端に離れて位置しているのが吉坂堡塁となります。 堡塁の履歴です。
https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/maibun-c/event/26siryou_d/fil/19.pdf
http://yakumo1100.blog.fc2.com/blog-entry-1146.html
舞鶴 吉坂堡塁砲台(本堡塁) その1吉坂堡塁砲台は、本塁堡と付属塁堡からなっているが、今回は本塁堡のみ行って来た下調べの時間が足りず、コースが良く判らなくて、付属塁堡の場所が特定出来なかったのだ。ちなみに上り口は2ヶ所あり、京都側と福井側にある国道27号線の青葉トンネルが県境で、この遺構は両県にまたがっていると思われる便宜上舞鶴要塞郡の一つとして、カテゴリーは京都に分類する。京都側から登ると、本堡塁に直接行ってしまうのだが、福井側の杉森神社から登ると付属堡塁に行けるらしい。杉浦神社に行ってみたが、車を停める所が無く京都側からのアタックとなった。
http://kanreport.blog58.fc2.com/blog-entry-398.html
京都との県境、福井県高浜町には吉坂(きっさか)堡塁がある。吉坂堡塁は本堡塁と付属堡塁で構成されており、若狭湾または小浜湾に上陸し舞鶴軍港に侵攻してくる敵を迎え撃つために明治35年に竣工した。さて、行き方であるが、こちらのブログを参考にさせて頂いた。
http://www.redbrick.jp/news02/kissakaphoto.htm
早佐古さんから吉坂砲台跡探索時の写真と説明文をお送りいただきました。舞鶴要塞施設 吉坂保塁及び付属保塁 日清戦争後、舞鶴軍港の建設と時を同じくして陸軍によってつくられのが舞鶴要塞施設です。舞鶴湾口を挟む高台には、湾内へ侵入しようとする艦隊を阻むために葦谷、浦入、金崎、槇山の4砲台が、要塞の東側の吉坂と西側の建部山には、上陸した敵の攻撃から要塞を防御するためにそれぞれ保塁砲台(火砲を備えたものを保塁砲台という)が配置されました。上陸適地である高浜海岸を見下ろす吉坂保塁は、上陸時の防御正面と想定されて建設。南側の高地に付属保塁がつくられるなど、規模も大きなものです。現在も、繁茂したクマザサに守られるかのように、砲座や地下弾薬庫、指揮所などの構造物や、兵舎跡や弾廠跡など施設全体が、付属保塁砲台も含めて良好な状態で遺されています。吉坂保塁 弾薬庫A(外観)吉坂保塁 弾薬庫A(内部)吉坂保塁 弾薬庫B(外観)吉坂保塁 弾薬庫B(内部)吉坂保塁 指揮所か(外観)吉坂保塁 指揮所か(内部)吉坂保塁 銃座か (指揮所横)吉坂保塁 12cmカノン砲砲座 下部構造物吉坂保塁 臼砲・機関銃砲座吉坂保塁 兵舎跡付属保塁 弾薬庫 (外観)付属保塁 弾薬庫 (内部1)付属保塁 弾薬庫 (内部2)付属保塁 弾薬庫 (内部3)付属保塁 弾薬庫 (外観)付属保塁
http://teeart.blog107.fc2.com/blog-entry-452.html
今回の舞鶴探索最終日は、舞鶴のお隣り福井県は高浜町にある、吉坂(きっさか)砲台を探索することに。ま、最終日と言っても昨日と今日の二日間だけの探索で、今夜には横浜に戻るのだが・・・。
http://topposaku.sakura.ne.jp/yoshizaka-hourui.html
吉阪付属砲台から軍道を辿ること約30分、堡塁外の井戸や建物遺構に出くわしました。冬枯れの割には笹が繁茂しており全体像が掴みにくい状態でした。良く目を凝らしてみると堡塁入口の門の石垣がありました。早速「日本の要塞」のイラスト図を参考にしながら 堡塁内に入ってみました。堡塁入口から入るとすぐ面前にぺトン製の砲側庫があります。砲側庫を右回りに迂回するとレンガ製の地下砲側庫が現れます。地下砲側庫から竹藪を掻き分け、また迂回すると砲座に出くわします。ドッカンガラガラの発射の度に砲車ごと後退する12糎カノン砲が2門1砲座で、掩蔽庫を間に挟んで3砲座6門ありました。一番南側の砲座には、直径1.5m・深さ1mの程の穴が開いていました。同様の穴は、佐世保要塞で廃止後に偽砲台となった面高砲台の12糎カノン砲座にもありました。吉阪堡塁は戦時中、高射砲が据えられたとのことです。(または偽砲台か?)もしかすると高射砲の砲架(または偽砲)の基礎を埋めた跡かもしれません。吉阪堡塁(堡塁入口の井戸・家屋跡から堡塁内に入る)掩蔽庫の入口には銃眼を設けて不測の事態に備えています。砲座の後ろはスロープになっていて、砲座から取り外して攻城砲としての使用も考えられていたようです。一番北側の砲座を廻るとコンクリート(ぺトン)製の戦闘指揮所があります。その北方には壕があり臼砲6門や前面の空堀に侵入してきた敵を掃射する機関銃座があったようです。 登山初めには小雨が降っていましたが、天気も回復し残雪に気をつけながら探検ごっこを楽しみました。午後からは、レンガ博物館・槇山砲台他へ行ってみます。(学研「日本の要塞」95pより転載)