https://hekikaicinema.memo.wiki/d/%CA%A1%C5%E7%B8%A9%A4%CE%B1%C7%B2%E8%B4%DB
広野劇場所在地 : 福島県双葉郡広野町浅見川(1953年)、福島県双葉郡広野町(1955年)、福島県双葉郡広野町山岸(1958年・1960年)、福島県双葉郡広野町(1963年)、福島県双葉郡広野町大字下浅見川(1965年)開館年 : 1947年3月閉館年 : 1965年頃『全国映画館総覧 1955』によると1947年3月開館。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1965年の映画館名簿では「広野劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。
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広野劇場は広野駅前通り駅から5分ほどの場所に今も外壁だけは残っている。年鑑に杉田とあるが、正しくは松田秀雄氏の経営。昭和22年から42年まで経営した。初め小名浜の江名からフィルムを取り寄せたこともあるが後に浪江の行人荘から回してもらった。標葉劇場というのは、双葉町が誕生する以前の新山町の劇場なので戦前に新山会館と呼ばれていた館であろう。新山会館の株主は白富士という銘柄の酒造家富沢氏という人物で、島田親子は年間800円支払って経営していた。島田は相双の映画館の東宝、大映、○活、新東宝、松竹、東映の六社の邦画フィルムを一手に扱い、南は四倉国際まで島田経営のチェーン館を中心にやりくりしたという。(島田有造氏談)
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広野町の小館広野劇場は松田菓子店が経営し、いまなお建物が残っている。宮城県出身の行人社吉田興行師は浜通り地方で洋画を扱い、みずから浪江中央劇場を建設して本拠にした。のち結婚式場如水会館に。映画も上映した。