麻生吉隈炭鉱 関連ブログ・参考リンク
http://tristar.at.webry.info/200907/article_9.html
2009年7月22日 トライスターの炭鉱と廃線と廃墟の放浪日記の麻生 吉隈炭鉱に関する詳細記事。( Powered by BIGLOBEウェブリブログ)蒸し暑い日が続きますね・・・
http://tristar.at.webry.info/201105/article_8.html
2011年5月19日 トライスターの炭鉱と廃線と廃墟の放浪日記の三井山野第一、第二坑→新山野炭鉱 に関する詳細記事。(Powered by BIGLOBEウェブリブログ)後の新山野炭鉱です。 昭和10年に橋上保氏は麻生吉隈炭鉱から 鉱区の一部を譲渡を受け
http://hasiru.net/~maekawa/mine/yosikuma/yosikuma.html
桂川町もまた他の筑豊の市町村と同様、かつては炭鉱町として栄えてきた。 最盛期における吉隈炭鉱の従業員は約2500人。家族を含めると約8000人が住み、昭和33年には吉隈炭鉱従業員の 子弟が多く通った桂川東小学校の児童数は1500人を超えた。しかし昭和44年 、同炭鉱が閉山すると、児童数は激減。 現在その数100人ほどになった。また町の経済も衰退して行き、現在では財政再建団体指定の危機に瀕するまでになって いる。 そんな吉隈炭鉱跡を2007年4月2日訪ねてみた。
http://hasiru.net/~maekawa/mine/fukuoka.html
住友忠隈炭鉱(穂波町) ・ 三井三池炭鉱(大牟田市) ・ 金田町の炭坑跡 ・ 鉱害 ・ 幻の旧 国鉄油須原線(大任町) ・ 新目尾炭鉱(鞍手町) ・ よみがえる石炭~筑豊の炭層(香春町 ) ・ 麻生吉隈炭鉱(桂川町) ・ 日鉄二瀬鉱業所高雄第2坑跡(飯塚市) ・ 井之浦炭坑跡(
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/207.html
麻生鉱業吉隈炭鉱ボタ山カイトさん撮影の吉隈坑ボタ山弥栄付近から漆生方向現在のボタ山跡地麻生飯塚ゴルフ場になって面影は無し平山坑ボタ山(現在は嘉穂総合高校)より吉隈地区方向画像左寄りのゴルフ場一帯が元はボタ山上から見るとこんなだったボタ山の桂川町側一帯がゴルフ場
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/21.html
桂川町の東側吉隈地区にあった炭鉱。(昭和44年閉山)(あの麻生大臣のお家が経営していた)現在鉱業所の全体は住宅地や公共の施設になり当時の面影はほとんど残ってない、ボタ山もゴルフ場(麻生飯塚ゴルフ)に変わり、石炭積込場の臼井駅や上山田線も無くなって、かつてこの地
https://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-11279063829.html
今回も、旧麻生鉱業(株)の炭鉱調査を行います、(旧麻生鉱業(株)吉隈炭鉱)先ずは野球、広場だろうか?右側にも巻上機台座があったと聞きましたが現在は何も残っていない。そして、このバックネットのところに坑口があったようだ、そして広範囲に歩く、旧共同浴場。旧スーパー
https://ameblo.jp/gmgwwmd0/entry-11280049975.html
久々に吉隈炭鉱の共同浴場がどうなったか…更地になってますね。解体を始めると早いです。広場の方へ歩くと広場の看板に腰掛ける方が、今回この方に炭鉱の話をしていただいた。お爺さんはここの吉隈炭鉱で働いていたとの事である。坑口の詳しい位置や台座の位置、事務所の位置など
http://hasiru.net/~maekawa/mine/yosikuma/yosikuma2.html
麻生吉隈炭鉱無縁墓地跡福岡県嘉穂郡桂川町吉隈麻生吉隈炭鉱無縁墓地跡麻生吉隈炭鉱の坑口等があった現在の広場の真正面に桜の木が植わった場所がある。その奥に小屋のような建物がある。中をのぞくと祭壇のような棚がこしらえてあった。「あの小屋のような建物は何ですか」と先の