麻生吉隈炭鉱 概要・歴史

麻生吉隈炭鉱(麻生鉱業 吉隈炭鉱)は福岡県嘉穂郡桂川町にあった炭鉱。

1909(明治42)年に吉隈弥栄分坑として開坑。

後に麻生吉隈炭鉱となり、太平洋戦争中には外国人捕虜などが労働に従事させられている。

最盛期には従業員約2500人、家族を含めると約8000人が同地周辺で暮らし、1958(昭和33)年には吉隈炭鉱従業員の子弟が多く通った桂川東小学校の児童数は1500人を超えたという。

1969(昭和44)年に閉山。

1985(昭和60)年、炭鉱跡に集会場を建てるための工事中に遺骨が発見された。調査の結果、504体埋葬数あったという。遺体はその後、吉隈炭坑共同墓地納骨堂に納められている。

木造の共同浴場跡がスーパー「ASO弥生店」に転用されていたが、2012(平成24)年までに解体された。ボタ山跡は麻生飯塚ゴルフ倶楽部となっている。

地図位置の現在グラウンドとなっている箇所には巻揚機の関連の支柱らしいコンクリート遺構が見られる。

状態
2019年06月05日 更新

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麻生吉隈炭鉱 住所

福岡県嘉穂郡桂川町吉隈

麻生吉隈炭鉱 種類

廃鉱・採石場跡

麻生吉隈炭鉱 ストリートビュー・空中写真

麻生吉隈炭鉱 スポット

麻生吉隈炭鉱 関連ブログ・参考リンク

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2009年7月22日 トライスターの炭鉱と廃線と廃墟の放浪日記の麻生 吉隈炭鉱に関する詳細記事。( Powered by BIGLOBEウェブリブログ)蒸し暑い日が続きますね・・・
三井山野第一、第二坑→新山野炭鉱 トライスターの炭鉱と廃線と廃墟の
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麻生吉隈炭鉱跡
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桂川町もまた他の筑豊の市町村と同様、かつては炭鉱町として栄えてきた。 最盛期における吉隈炭鉱の従業員は約2500人。家族を含めると約8000人が住み、昭和33年には吉隈炭鉱従業員の 子弟が多く通った桂川東小学校の児童数は1500人を超えた。しかし昭和44年 、同炭鉱が閉山すると、児童数は激減。 ...
福岡県の炭鉱探訪マップ
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麻生鉱業 吉隈炭鉱 | あれなん
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