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■多比地下壕前回、紹介したやたらと広い石切り場跡は、後の調査で「海軍技術研究所音響研究部」の地下施設だったことが判明した地下工場・地下施設建設(http://www16.ocn.ne.jp/~pacohama/kyosei/tikakoujo.htmlより引用)沼津市江ノ浦の多比には海軍技術研究所音響研究部の地下工場がつくられた。海軍技術研究所音響部は一九四一年十二月、沼津に設置された。ここでは空中聴音機、潜水艦探知機、音響魚雷、爆雷などの研究をしていた。空襲が激しくなると海軍技研は多比や江間(伊豆長岡)の石切場跡を利用して地下工場にした。多比の地下工場への移転は四五年七月のことだった。この地下工場建設に、朝鮮人が動員されたことがわかっている(沼津市明治史料館『昭和の戦争と沼津』)。「『阪復』静岡県区内接収関係」のなかには多比地下工場の地図がある。多比公民館から神明宮と桂林寺にはさまれた小道を上っていくと右手に壕の入口がある。人口は低いが内部は広い。防衛庁史料には六カ所の工場が記されている。三カ所の工場跡については調査したが、ほかの工場の調査については今後の課題であ