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[松島航空基地]松島要塞(牛網隧道) 昭和13年から矢本飛行場の基地の工事が始まり、昭和17年に第1滑走路・第2滑走路が完成。後、2本の滑走路が追加された。 昭和17年10月21日、館山海軍航空隊松島派遣隊(対潜哨戒)が開隊。昭和18年、霞ヶ浦海軍航空隊松島分遣隊(戦闘機搭乗員教育)が開隊。昭和19年8月1日、横須賀鎮守府隷下松島海軍航空隊(中攻搭乗員実機教育)が開隊。宮崎海軍航空隊が当地に移動してからの開隊だった。 昭和年20年4月1日より出水海軍航空基地より特攻作戦を含む航空作戦に従事。同年6月に作戦任務解除を受けて再び松島海軍航空基地(矢本飛行場)へ戻るも、戦況の悪化で北海道の美幌海軍航空基地へ疎開、当地で終戦。
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松島海軍航空隊牛網地下壕(松島要塞)その1石巻湾に面した海岸部の平坦地に立地する松島海軍航空基地は、その地形から空襲や地上戦には不利な基地で、本土決戦を前にした海軍は基地の中枢を北西部の丘陵地、鷹ノ巣山の地下壕に移し、倉庫機能のほかに作戦室、通信室、居住室、病室、奉安室などを設置し、松島航空基地の指揮と運用機能の確保を図った。 これらの地下壕は終戦まで各種兵器と燃料などの格納保管と一部の隊員の居住区となり、戦後は米軍による接収までの保管場所として利用され、米軍の摂取は昭和30年まで行われたようで、約1.1kmの地下壕がそのまま残っている。